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私はnoteで書くメモを、習慣として、ノートに書いていますが、noteに書きたいと思わなければ、メモはメモのまま就寝、お風呂に入りながら、ふと、「良い写真とは何か」について考えていて、写真撮影が質より量だと言われるのならば、見るのだって量だろう、10万枚写真を見れば、自ずと良い写真が何か、分かるのではないか、と思いました

おはようございます。

昨夜は20時頃に寝落ちして、2時過ぎに起床。二度寝しようと布団に潜っても寝れずに、4時に布団から出て、朝風呂1時間。
どうやら、心は休日でウキウキ、体は疲れで怠いようで、どうしたものか、お風呂に入りながら、考えていました。
今日は、徐々にギアを上げていく仕様で行こうかな、これがポジティブシンキング。
とりあえず、1日の始まりは、洗濯機を回しながら、noteで執筆。そこから模型制作をしつつネット配信で、世界にご挨拶。
昨夜は、仕事着を洗濯機で回したまま寝落ちしてしまったので、真夜中2時に干して、今日は部屋着やマスクなど、洗濯機5回転の予定。洗濯機稼働時間で半日過ぎるでしょう。

noteで文章を書くことは、気分転換、エッセイ。人様に訴えたいことは然程なく、徒然なるままに生きている私。

私はnoteで書くメモを、習慣として、ノートに書いていますが、noteに書きたいと思わなければ、メモはメモのまま就寝、お風呂に入りながら、ふと、「良い写真とは何か」について考えていて、写真撮影が質より量だと言われるのならば、見るのだって量だろう、10万枚写真を見れば、自ずと良い写真が何か、分かるのではないか、と思いました。
良書とは何かを知るには、乱読するのが良いように、写真だって、見る枚数が増やせば良いでしょう。
街中のポスターフォト、チラシの広告写真も「作品」だと思って見れば、1万枚はすぐに見れると思いますし、美術館のライブラリー、アート系書店で立ち読みをしても良いわけで、美術館のライブラリーを利用するのならば、絵画も見れば私的によりベター。

良い写真を知るには「私の心に何が残ったのか」を、自身に問い掛ければ良くて、問答無用で惹かれる写真に出会い、そのような出会いを繰り返すうちに、自分に必要な写真が分かってくるでしょう。乱読をすることで、今の自分に必要な著書が分かってくるように。
別に、自分にとっての良い写真が、世間にとっての良い写真と一致しなくても構わないわけで、私的である、ということは「自己世界」に近付きます。独自性とは私的であり、問うべきは世間ではなく自己でしょう。

良い写真とは何か、特に書きたかった話題ではなく、ただ、良い写真とは何か、人様の記事を読んでも、10万枚写真を見よう、と誰も述べていなかったのでした。
「どうして良い写真を自分で決めるという視点がないのだろう、知るべきは、良い写真とは何かという定義ではなく、良い写真を知る為の自身との私的な向き合い方なのに」と、私なんかは思います。
良い写真とは、私が必要とする写真です。「良い=必要」だと私は考えています。そして、それは万人に必要かどうかではなく、自分にとって必要かどうか、自分というのは厄介なもので、体はグッタリなのに、心は春めいてウキウキしてしまっているので、折り合いをつけて、アイドリングとして、サクッとnote執筆、次はネット配信をしつつ模型作り。内から外へハローワールド。アルバムはベスト・オブ・アン・ヴォーグ。

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