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ふぁぼ

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忘れていた昔のことを思い出した。また忘れようと思う。

以前買って美味しかったものを、再び買って食べる。ああ、美味しい、のか?
感覚は麻痺する。記憶は美化される。内側で血と一緒に巡って行くうちに薄れて行くのか。
あのとき確かに嬉しかったんですよ。美味しい、と思ったんですよ。

感覚は、ファイル名付けてそのときのまま保存できなくて難儀。

昔の記憶を丹念に挽く。暫くしてまた挽く。何度も挽くと段々挽く作業に慣れてゆく。きっともう大丈夫、そんな油断が足をすくう。ヤダヨカナシイヨという声がする。悲しいねえ、そうだったねえ、でも過ぎたことは変えられないの、駆けずり回って結局辿り着く結論でしょうに。
デモカナシイ、カナシイ。

短い人生を恥ずかしく生きよう、と思う。それが間違いでも。大事な人に対して挑発し、試すような言葉を吐いて、私をまだ好きでいられる?とためしながら。
悪いわたしだ。悪い、私の好まない私自身と手をつないで生きるのよ。

本意じゃない本意と戯れる。こんな話がしたいんですけどこんな話がしたいんじゃないんですよ。
ふわふわふらふら。ららららら。

照明やら何やらの家の設備が次々と死んでいく中をそびえ立つ樹のようにぼんやりと見ている。
昔からちょっとの「自分に関する『困ったな』」はなんだかとてもどうでもよくて。困ったけど別に死ぬ訳じゃないし。弁当に自分だけ箸がなかったら弁当箱の蓋で食べるタイプ。十分すぎる筈の自己愛。事故愛。

「ぼくはもう 学校にも月にも帰りたくないんだ。」
という銀色夏生の詩を、何故かずっと覚えている。初読はもう遠い遠い昔。
たったそれだけの短い文字の集合に、しんと静まり返る心を見る。
その頃には帰れない自分を懐かしく見る。

「正しいふろの入り方」まで検索かけてその通りに入ったのに、風呂につかると物凄く体力奪われて、壁に手をつきながらじゃないと歩けない位疲労する。最悪湯船から立ち上がれない。
「疲れが取れないなら風呂だよ風呂入りなよ」と言われる度に、結構辛い。
体の仕組みが、全員同じならいいのに。

大事な人から貰った手紙、とかも猫には解らないので、気が付いたらしっこされて捨てざるを得ない時がある。
でも散らかしてた私が悪いし、そもそもどうせ墓には持って行けまいよ、と。
大事なものは頭の中に。

それ以上は、難しいのだ。
ほどほどに望むのが望ましい。