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第一章 無言の少女

 そんなことを漠然と考えながら土手に沿って歩いていると、子供達の騒ぐ声が聞こえてきた。
「唖(おし)の子、他所の子、泣いて叫んで親を呼べ」
 十歳程の男児数人が同い年くらいの女児一人を囲み、一方的に罵声を浴びせている。女児に小石を投げる男児もいる。囲まれた女児は、怯えながら両腕で頭を庇ってうずくまり動かない。私は急いで駆け寄り、男児達を怒鳴りつけた。
「こら、あんたたち何してるの!」
 すると男児達は囲みを解き、今度は私に向かって悪口を吐いた。
「やーい、鬼婆ァが来たぞ。逃げろ逃げろ」
 私は本来子供が好きだ。叱った子に鬼と言われてもそれほど気にはしない。しかし婆ァと呼ばれた十九歳の私は、流石に堪忍袋の緒が切れた。
「何ですって、もう一回言ってみなさい!」
 顔を真っ赤にして拳を振り上げると、男児達は何度も悪態をつきながら走り去って行った。
「まったく。可愛くないわね」
 私はため息をつきながら、うずくまったままの女児の側にしゃがんで優しく言葉をかけた。
「もう大丈夫よ。怪我は無い?」
 すっかり怯えている女児は、私が声を掛けても返事をしない。
「怖かったわね。もう安心していいわ」
 背中を優しくさすってやると、彼女はようやく顔を上げた。年は十歳よりやや上くらいで、女児というより少女というほうが相応(ふさわ)しい。
「……」
 少女は無言で辺りを見回した。男児達がいなくなったか確認しているようである。
「悪い子達なら、私がもう追い払ったから」
 少女は無言のまま、私の顔をじっと見つめてきた。
「私は沙耶。春見沙耶。旅をしているの」
「……」
 少女はなかなか喋ってくれない。よほど怖かったのだろうか。
「あなたのお名前は?」
「……」
 私がいくら話しかけても、彼女は全く答えてくれない。どうしたものかと首をひねっていると、先ほどの男児達が浴びせていた罵声を思い出した。
(唖の子)
 ひょっとしたら、この子は喋ることが出来ないのではないだろうか。私の素性を伺うような彼女の眼差しを見ると、今にも口を開いて喋りだすかのように思える。憶測だが、この子は以前はちゃんと話せていたたが、何らかの理由で言葉を失ったのではないか。
「……」
 私が思いを巡らせていると、少女は私の着物の袖をそっとつまんできた。この子なりに私の言葉をちゃんと聞いていると伝えようとしているのかもしれない。
 私は少女の両肩に優しく手を置いた。
「立てるかしら。ゆっくりでいいわ」
 優しく促してあげると、彼女はそっと立ち上がった。ざっと見る限り大きな怪我は無いようだ。所々に浅い擦り傷があるが、早く手当てをすれば跡は残らないだろう。 私は少女の着物に付いた汚れを丁寧に払ってあげた。
「……」
 しばらくして彼女はある方向に顔を向け、そちらを指さした。遠くにこぢんまりとした林がある。
「あなたのお家はそっちにあるの? なら、親御さんに手当てをしてもらわないと」
「……」
 少女は再び私の顔をじっと見つめてきた。寂しげな表情だが、具体的に何を私に伝えようとしているのかは分からない。私もゆっくり立ち上がり、彼女の手のひらを握った。
「お姉ちゃんが一緒について行ってあげる」
 彼女も私の手を握り返し、そのまま手を引いて林へと導いてくれた。

筆者注:本章では現代では不適切とされる語句を使用していますが、時代背景の表現に必要と判断いたしました。

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