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第四章 言葉と想い

「私は、細川讃岐守真之(さねゆき)の娘です」
 少女は私が布団に寝かせてからしばらくすると目覚めた。方相氏が告げた通り、彼女は言葉を取り戻していた。彼女の言葉は流暢で聴き心地が良かったが、話す内容は私の予想を超えていた。
「細川? あの細川家?」
 細川家とは室町殿※の分家で、元を辿れば鎌倉右大将源頼朝と同じく源義家を家祖とする。足利尊氏の幕府設立に大きく貢献した細川家は、本家は将軍を補佐する管領に、分家は全国各地で一国の守護に任じられ、幕府で権勢を誇っていた。
 その一つに、阿波国と讃岐国の守護を代々務める阿波細川家がある。本家に次いで強大な勢力を持っていたが、幕府内の本家の争いに加担し何度も海を越え畿内で戦を続けた。そうして領国を疎かにするうち重臣の三好家に実権を奪われてしまい、今の阿波細川家はお飾りの殿様にすぎない。しかし阿波国の民に由緒正しい血筋を尊ばれ、今も御館様と呼ばれている。
「ただ、御館様からは娘として認知されていません」
「どういうこと?」
「私の母は近くの村の生まれで、御館様のお側で奉公する侍女でした。御館様に見初められて私を身籠もりましたが、身分の低い村娘ということで実家に帰されてしまいました」
 彼女は見た目の年齢に似つかわしくないほどしっかりした口調で、自身の出生を淡々と話していく。
「母は実家で私を産みました。御館様の子であることを周囲に隠したまま、祖父と共にこの年まで育ててくれました。しかし」
 ここに来て彼女の口調に蔭りが生じた。
「ある夜、家に数人の荒くれ者達が現われました。彼らが野盗だったのか、またはどこかの武家に出入りする足軽だったのかは分かりません。彼らは戸を蹴破り家に乱入すると、止めに入った祖父を斬り殺しました。その間、母は私を納戸の奥に隠して
『絶対にここから出ては駄目です』
と言い遺し、厳重に戸を閉めました」
 彼女はうつむいて苦しそうに言葉を紡いでいく。それを聞く私も心をえぐられるようであった。
「私は母の言いつけ通り、その場に隠れていました。やがて夜が明け、村人達の安否を問う声が聞こえてきました。危機が去ったと思った私が内側から戸を開けると、母は自らの喉を懐刀(ふところがたな)で刺し、息を引き取っていました。御館様の娘を産んだという強い自負を持っていた母のことです。荒くれ者達の手にかかるのを拒んだのだと思います」
「そうだったの……」
 幼い彼女を襲った悲劇に対し、私は適切な言葉を持たなかった。彼女はさらに身の上話を続けた。
「私は村のある老婆に引き取られました。しかし私が実父のことを話すと、災難を恐れた老婆は私を自分の家には入れず、この荒ら屋に一人で住まわせたのです。ただし食べものや着物などは時々老婆の家の者が届けてくれました。とても粗末な暮らしでしたが、衣食住の心配はありませんでした」
 ここで少女は後ろを振り返った。
「あのお面と矛は、元々ここに安置されていたものです。とても古ぼけていて今にも壊れてしまいそうでした。しかし私が恐る恐るお面に触れると、くすんでいた四つ目が淡く輝いたんです」
 私も少女の見る方を振り返った。そこには例の面と矛があった。私が倒れた少女を寝かせた後で拾い上げて再び立て掛けておいたのだが、今は何の気配も感じられない。ただの古ぼけた面である。
「その時、しわがれた男性の声が私の心に直接語りかけてきました」
『娘よ、儂に力を与えてくれて礼を言う』
「それ以来、この家に近づく者がいても薄気味悪いと言って去っていきました。思えばこの方相氏様が遠ざけてくれていたのだと思います」
少女の目は遠い思い出を語るように遠くを見ていた。
「沙耶様は、そういったものを感じませんでしたか?」
 私は首をひねった。
「確かに普通の人なら鬱蒼とした木々から生まれる影を薄気味悪く感じて、近づきたいと思わないかもしれないわね。ただ、私はそういうのに慣れてるの」
 木屋平の宮司が私を湖の祠に幽閉する際に、私を内に封じるための多重護符結界に加え、外から村人が不用意に近づかないように人払いの護符を施していた。近づく者の不安感を煽って追い払う効果を持つその護符に比べれば、この荒ら屋など私にとってその辺りの民家と大差は無い。
「だからすんなり入って来れたのですね」
 少女から不安げな表情が消え、今はうっすら笑みを浮かべるようになっていた。
「よかったです。沙耶様は私にも、そしてこの方相氏様にも安らぎを与えてくれました。短い間ではありましたが、優しさに満ちた日々を過ごすことができて嬉しいです。ありがとうございました」
 少女は私に礼を言うと、布団に座ったまま真っ直ぐに背を伸ばした。
「これから私は海を渡り、和泉国に参りたいと思います」
「え?」
 私は意表を突かれたが、彼女は構わずに話を続けた。
「今、天下は室町の公方様に代わって織田右府様が統一しようとされております。右府様の御領内である和泉国に向かい、御家中の長岡様※にお目通りできればと考えています」
「長岡?」
「はい。かつて細川の姓を名乗り公方様の近習を務めておられた方で、今は織田右府様の元でお働きと伺っています。認知されていないとはいえ阿波細川家の娘である私のことを、きっと無下にはなさらないと思います」
 彼女は寝間着を正し、ゆっくりと立ち上がった。
「大丈夫?」
 私はついさっきまで気を失っていた彼女の身を気遣ったが、彼女は力強く返答した。
「お気遣いありがとうございます。今から旅支度をして、明後日の早朝にはここを出たいと思います」
「そんなに早く?」
「はい。ここに留まり続けてもお婆さんに迷惑をかけることになります。若輩者ではありますが、自分の暮らしは他人に頼ることなく自分で見つけたいと思います。それが、亡き母が私に遺してくれた想いに沿うことになるとと思います」
「お母さんの想い?」
「はい。御館様にお願いすれば母は御屋敷に残ることが出来たはずです。しかしそれでは身分の高い女中様達に四六時中気を遣わねばならず、私もいじめられたりしたと思います。それを良しとしなかった母は、私を連れて御屋敷を出ることをあえて選んだのだと思います。おかげで私は母の愛を受けてのびのびと育つことができました。ですから私も母に倣いたいと思います」
 私は、年端もいかない娘が一人旅をするなど危険だと思った。しかしここまで固い決意を打ち明けられると、私の一存のみで彼女を止められなかった。
 少女は面に並んで置かれた小箱をそっと手に取り、袋に包まれたものを中から取り出した。さらに彼女はその袋を開けた。
「それは印籠ね」
「はい。母が御屋敷を去る際に父が持たせてくれたものと聞いています。私が細川家の生まれであることの証しとなるから大切にするように、と」
 少女の持つ印籠は市中では滅多に見られない見事な造りの逸品で、さらに阿波細川家の家紋が刻まれていた。
「沙耶様には大変お世話になりました」
 少女は印籠を袋に戻し大事そうに懐にしまいながら、私に礼を言った。それを聞いた私は、彼女にささやかな反抗を試みた。
「ちょっと待って。あなたの言うことは分かったけど、これであっさりお別れとはいかないわよ」
「え?」
 少女の驚きの表情をよそに、私は土間にある竈門の横に掛けてあった紐を手に取って自分の両袖を縛った。
「あなたの門出のお祝いに、この沙耶様が一肌脱いであげるわ。何でも作ってあげるから、言ってちょうだい」
 少女は手を口に当て、鈴の音のように笑った。
「でも、沙耶様はお料理はあまりお得意ではなかったのでは?」
「私の気持ちよ、気持ち」
 私はまず火打ち石で種火を熾(おこ)そうとするが、当然うまく行かない。
「得意ではないことは、無理になさるものではありませんよ」
 少女は私の手から火打ち石を奪い、手際よく火を熾した。
「さあ、お鍋に水を汲んできて下さい。そして、ちゃんと私の指示に従って下さいね」
 少女と私はやいやい言いながら、最後の夕餉の準備に取り掛かった。

 翌々日、日が昇ると同時に少女は支度を済ませて旅立っていった。船の出る港まで同道しようと私は提案したが、彼女は丁重に断った上で、方相氏が告げたように自身の旅に戻るようにと私に告げ、背中を見せた。
「芯の強い子ね」
 私は一人でその背中を見送った。
「私はどうかしら。木屋平の村を出たのはいいけど、あの子ほどに強い決意を持って旅を続けているわけじゃない。人に迷惑もかけている。これじゃ単なる我が儘娘かもしれないわね」
 私はため息をついて、白銀の首飾りにそっと手を当てた。
「他人をうらやましがっていても何も始まらない。私は私が正しいと思うように進んで、その先に答えを見出していかなければならない。そうよね、霜華(しもばな)」
 私にしか感じられない微かな波動が首飾りから伝わってきた。
「好きにしろ、とは酷いわね。でも、そう言いながら突き放した感じがしないのは貴方らしいわ」
 そう言いながら私は荒ら屋に戻った。保存食などを自由に持ち出しても良いと少女から許可を得ていたので、いくつかをありがたく袋に詰め込んだ。
 旅の用意が済んだ私は辺りを見回した。鬱蒼とした木々に覆われたこの荒ら屋には、もう薄気味悪い気配は無い。しばらくすれば、あの方相氏の面と矛も土くれと同化してしまうだろう。
「次に会う時は質問攻めにするから、待ってなさい」
 私は荒ら屋を背にして、旅路に戻った。

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 海を渡り和泉国に入った少女は、堺の商人の伝手で長岡藤孝に目通りが叶う。彼は阿波細川家の血を引く彼女を喜んで受け入れ、ちょうど嫡子の忠興との婚儀が成立した明智日向守光秀の娘、玉の侍女とした。

 一方で、少女の実父にあたる細川真之(さねゆき)は昨年(天正五年・一五七七年)長宗我部元親の手引きで阿波国の実権を握っていた三好長治を討ったが、守護に返り咲くことは無かった。彼は四年後に三好氏と親しい阿波国衆に攻められ、あっけない最期を迎えた。彼には跡継ぎの男子がいなかったので、ここで阿波細川家は断絶した。

 同年の本能寺の変で光秀が織田信長を討つと、長岡父子は亡き信長への弔意を示すと称して丹後国の居城に引きこもる。同時に藤孝は剃髪し幽斎と改めた。玉は謀反者の娘として離縁され、山中に捨て置かれた。
 その後光秀を討った羽柴筑前守秀吉から特に許しを得て、長岡父子は再び玉を受け入れる。この時の山籠もりで得た苦い思い出が、彼女がキリシタンに興味を持つきっかけとなる。玉が正式に洗礼を受けガラシャと改めた後も、成長した少女は変わらず侍女として彼女に仕えた。

 豊臣と名乗りを改めた秀吉は天下を統一するが、子の秀頼がまだ幼いうちに世を去ってしまう。次の天下取りを目指す徳川家康に反旗を翻した石田三成は、長岡父子が徳川方に味方しないようガラシャを大坂城に呼び人質に取ろうとする。しかし義父と夫の足手まといになるのを嫌ったガラシャは、大坂屋敷に火を放ち自害する。
 その直前、ガラシャは身近な侍女を除く奉公人達を屋敷の裏口から逃がしたという。しかしその際にこの少女も逃げたのか、あるいはガラシャと運命を共にしたのか、誰も知らない。

 関ヶ原の戦いで西軍を相手に大いに働いた忠興は、家康から細川に姓を戻すことを許される。彼の子孫は肥後国藩主を世襲し、幕末から現在まで続く。平成には内閣総理大臣を輩出するが、無論この少女と一切関係は無い。

注釈
※室町殿:室町幕府の足利将軍家。細川家は鎌倉時代からの分家。
※長岡様:細川藤孝。第十三代将軍足利義輝の近習で、織田信長・豊臣秀吉・徳川家康に仕える。この頃は長岡姓を名乗っていた。

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