見出し画像

第三章 方相氏

 林の小屋で少女と暮らしはじめて、今日で三日目になる。日々の食事には、小屋の保存食に加えて新鮮な食材も欠かせない。今朝も私は少女に小屋のことを任せ、自分が近隣の朝市に出掛けた。言葉の不自由な彼女に代わって、蓄えてある食料を採れたての野菜や魚に交換するためである。
 特に旅路を急いでいるわけでもなかった私は、この少女と生活を共にしながら彼女を預かってくれる寺などを探すつもりであった。

 私は市で得られた食材を籠に入れ、小屋に持ち帰ろうと林に向かって歩いていた。すると、ちょうどその方向から一頭の馬が勢いよく駆けて来た。馬に乗っているのは大小の太刀を腰に帯びた武家風の男である。しかし彼の顔は恐怖で青ざめ、額からはとめどなく冷汗が流れ落ちていた。まるで負け戦で敵に追われ、命からがら逃げる最中のようである。私のことなど全く視界に入っていない。
 馬上の男が私の側を駆け抜ける瞬間、肩衣に施された家紋が見えた。私はそれに見覚えがあった。
「あれは、確か……」
 私の記憶が正しければ、あれはこの辺りを治める武家のものである。今は三好家に従っていると聞く。
「あの家の者が、どうして林から出て来たのかしら」
 私が疑問に思うと同時に、先程の馬に続いて麻の衣を着た男達数人が駆けてきた。彼らもまた恐怖に顔を引きつらせ、自らの二本の足で必死に走っている。恐らくは武家の男の従者なのだろう。そのうちの一人が、すれ違いざまに私に向かって吠えた。
「鬼じゃ、あそこには鬼が住んでおる! 恐ろしや、恐ろしや」
 すっかり怖じ気づいていたその男は、私が呼び止める間もなく仲間を追って去っていった。
 鬼という言葉を聞いた私は、少女の住む小屋に置かれていた四つ目の面のことを思い出した。
「まさか連中、あの子を!」
 私は即座に両手の指を複雑に組んで印を結び、結句を唱えて転移術を発動させた。同時に私の姿はその場から掻き消えた。

 林の中に転移した私の目に最初に映ったのは、白い薄靄(もや)に包まれた小屋と少女の姿であった。身に纏う着物や背丈、そして体つきはあの言葉の不自由な少女に違いない。しかし彼女は顔に四つ目の面を被り、右手に矛を持って仁王立ちになっている。辺りに放つ凜とした気はあどけない少女のものではない。むしろ逞しい壮年の男を思わせる。
「ふん、儂を鬼呼ばわりするか。年端もいかぬ子供を大勢で連れ去ろうとするあの男共の方が鬼であろう。まったく、武者の恥だわ」
 くぐもった男の声が聞こえた。少女ではなく四つ目の面が喋っただろうのか。
 私は目の前で進む不思議な事態に理解が追いつかず呆然とするばかりであった。しかし『彼』はそんな私に構うことなく、私に問いかけてきた。
「そなたは先日この娘を庇い、小屋に連れてきた娘だな」
「え、ええ」
 私は返事をするのがやっとであった。
「この童(わらべ)は儂を畏れ敬い、日々の祈りを欠かさなかった。幼い娘だが遠いながらも八幡太郎の血を受け継ぐ者らしい。童の奥底に隠れていた力が、祈りを通じて儂に流れ込んできた。そのお陰で長い眠りから覚めることができた」
 八幡太郎とは、遙か昔に奥州平定で名を馳せ武神と崇められている清和源氏の祖、源義家(みなもとのよしいえ)を指す。か弱く見えるこの少女が源氏の血を引く武家の姫だったとは意外であった。
「この子が……」
『彼』は動揺する私のことなど一切気にかけることなく、自分の話を続けた。
「儂の体はとうの昔に朽ち果てたが、意識だけがこの面に残ってしまった。それも危うく消え去ろうとするところを、この童に助けられたという訳だ」
 動揺はしていたが、私は少女の意識を取り戻す手がかりを掴むために『彼』の正体を確かめようとした。
「あなたは、遠い昔に鬼祓いをしていたという方相氏なの?」
「左様」
『彼』は私の問いに素っ気なく答えると、右手に持った矛の石突でとんと軽く地面を叩いた。
「そなたはこの少女を救った。ならば儂はそなたにも借りがあることになる」
 私の問いをはぐらかすような口ぶりである。しかし『彼』に何か言いたいことがあるのなら、それを先に聞いた方が良さそうだ。私が無言で頷き『彼』に先を促すと、四つ目の面は確かに微笑んだ。
「そなたはまだ若いが分別がある。さらに全身から放つ氷の如く冷えた気は尋常ではない。もしや、この阿波国の霊峰剣山に住み古(いにしえ)より帝(みかど)に仕え続けているという『槍の鞘』の所縁(ゆかり)か」
 異形の方相氏に自分の素性を知られているというのは何とも不思議な感じだった。
 私は白銀の首飾りに触れ、重代の氷槍『霜華(しもばな)』を顕現させた。そして左右に軽く振って鞘を外し、冷気を放つ穂先を露わにした。
「おお、それはまさしく『霜華』。ならばそなたは今の世で『槍の鞘』を継いだ者か」
『彼』は懐かしそうに言った。私は返事をする代わりに『彼』にならい『霜華』の石突で地を叩いた。穂先で煌めく白銀の輝きが雪の結晶と化し、辺りにはらはらと舞った。『彼』は満足そうに頷いた。
「そなたの一族のことはよく存じておる。かつて相見(あいまみ)えたことがあったのでな」
「何ですって」
 この方相氏、私以前の『槍の鞘』を知っているのか。私は詳しく尋ねようとしたが、『彼』は少女の左手で私を制止する仕草を見せた。
「儂の命は間もなく尽きる。そろそろ黄泉(よみ)の国に召されるだろう。今は詳しく話すことは出来ぬ」
「でも」
 私が食い下がろうとすると、『彼』は落ち着き払った声で言った。
「慌てずともよい。儂が朽ちても方相氏の役はそれに相応(ふさわ)しい者に引き継がれる。そなたはいずれ儂の記憶を継承する者に必ず出会う。ただし、そなたの今生の内では無い。そしてこの阿波国とも限らぬ」
「ちょっと、それじゃ何も分からないじゃない」
『彼』の謎かけのような言葉に私は戸惑ったが、『彼』は一向に気にかけない。
「そなたら『槍の鞘』達も同じであろう。現世の身は朽ちても霊峰剣山に召され、仙人として長い時を越えると聞く。ならば遙か数百年先に、そなたでは無い『槍の鞘』と儂では無い方相氏が出会って再び語らう時が来る。それを山の頂で茶でも飲みながらのんびりと待つと良い」
 私は『彼』の話をどう受け止めてよいか分からず、途方に暮れてため息をついた。
「気が遠くなるお話ね。あなたの言葉はとりあえず頭に入れたけど、私には全然理解が追いつかないわ」
「今は頭の片隅に留めておくだけで良い。そなたへの借りも、その時に返すことになろう」
『彼』は私がこの先辿ることになる未来のことも知っているのかもしれない。しかし『彼』には時が残されていない。ならば『彼』の言う通り、いつか再び出会った時にとことん問い詰めてやろう。
「最期に頼みがある」
 凜とした『彼』の声が徐々に聞きづらくなっていく。
「この童が目覚めたら、儂に身体を貸してくれたことに礼を言っていたと伝えてくれ。現世(うつしよ)を去る前に一暴れ出来て、清々(すがすが)しい気分だ」
 少女の顔から四つ目の面が外れ、緩めた手から離れた矛と共に地に転がった。
「そうそう、童の言葉は儂が取り戻しておいた。後は自身で何とかするであろう。そなたはここを離れて旅を続けよ。価値あるものが得られるはずだ」
『彼』、方相氏の言葉はそれで途切れ、少女は力を失い地に倒れ伏した。

この記事が参加している募集

#歴史小説が好き

1,231件

#文学フリマ

11,741件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?