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再会

 梅雨明け前の神奈川県厚柿(あつがき)市は既に夜の闇に覆われていたが、未だに日中の蒸し暑さが漂っていた。そんな中、人気(ひとけ)の消えた公園から二人の女性の声が聞こえてくる。
「最近の鬼どもは弱っちくなったなぁ。そない思わへん?」
「私に言われても困ります」
 関西弁で話しかけた方は、色白で背が低く華奢な少女である。それに答えた方は、少女とは対照的に背が高くグラマラスな体型を誇る成人女性のようだ。
「ウチがわざわざ必殺技とか出さんでも、矛をさっと振ったらあっけなくやられてまうやろ。楽でええけど、拍子抜けというか。なあ、後鬼(ごき)」
「ご主人も贅沢を言いますね。鬼もピンからキリまで居ます。手強(てごわ)い鬼に出会った時に、腰を抜かして泣きながらお漏らしとかしないでほしいですわ。方相氏として」
 会話からすると、少女の方が『ご主人』、大人の方が『後鬼』と呼ばれているらしい。
「そんな鬼がおるんやったら、今すぐ出て来てほしいっちゅうねん。腕がなまって仕方ないわぁ」
 少女の方は、オレンジ色を基調とした変な衣装を着ている。和服に見えなくも無いが、アレンジが多すぎて『変』としか言いようが無い。しかも額に赤黒い四つ目の面を付け、左手に矛を持っている。怪しい要素が満載である。
「そんなことばかり言ってると、本当に強い鬼が現われますよ。今日はおむつを持ち合わせていないので、勘弁してください」
 成人女性の方は青いスーツに身を包んでいるが、内側から激しく主張するナイスバディに耐えかねて今にもはち切れそうである。一見すると女性教師風の衣装だが、もしそうだとしたら、男子生徒に一生忘れられない強烈な印象を焼き付けるであろう。
「なんでおむつが必要やねん、あぁ?」
『ご主人』が凄んでみせる。しかし、衣装が変な上に華奢でちんちくりんである。可愛らしく、また滑稽でもある。
『後鬼』はそれに答えようとした。しかし突然表情を厳しく引き締めて腰を低くすると、勢いよくアスファルトを蹴って『ご主人』の前に飛び出した。いつの間にか片手に巨大な甕(かめ)を抱えている。
「はっ!」
『後鬼』はその巨大な甕を軽々と頭上に持ち上げ、勢いよく前方に放り投げた。その怪力ぶりは鬼と呼ばれるにふさわしい。
「なんやなんや? 何があったんや」
『ご主人』は『後鬼』が突然自分を庇(かば)うように動いた意味が分からなかった。
「ガガガッ!」
 二人の前方に飛び去った甕は、不意に生じた激しい衝突音とともに空中で止まるとそのまま地に落ちた。その直後、二人の足下に氷の欠片(かけら)がぱらぱらと散らばった。
「氷? 梅雨やのに?」
『ご主人』が不思議そう眺めていると、氷はすぐに溶けて蒸発してしまった。
「敵がいます。ぼさっとしてないで、さっさと気を引き締めてください」
『後鬼』は『ご主人』に警告すると手を頭上にかざした。するとアスファルトに転がっていた先ほどの甕が浮き上がり、ひとりでに彼女の手に戻ってきた。表面には無数の傷が刻まれていた。
「鋭利な氷柱(つらら)が何本も私達目掛けて飛んできました。しかもご主人の片腕ほどもある大きさです。甕に当てて割らなければ『ご主人』の胴体に立派な風穴が空くところでしたよ」
『後鬼』は甕を再び抱えた。今度は甕の底から棍棒のような太い柄が伸びている。彼女はそれを握ると『ご主人』を背にして構えを取った。
「さあ、出ていらっしゃい、氷の術者」
『後鬼』が叫ぶと、闇に包まれていた街路樹の上から人影が落ちてきた。
「呼ばれたので出て来たよっと」
 その人影は、臆することなく悠々と二人に歩み寄って来た。街灯に照らし出されてその姿が露わになった。
 声の主は若い娘であった。純白のブラウスと首元を飾る青いリボン、そしてチェックのスカートは女子学生の制服である。彼女は涼を取るためか、ブラウスの袖をまくり襟の第一ボタンを外していた。そこまでは普通の女子高校生と違わない。しかし、左手に自分の背丈を超える長さの槍を握っていた。柄は涼やかな水色である。梅雨の暖かく湿った空気を中和し、さらに冷気を放っていた。見るからに通常の槍では無い。
「関東も蒸し暑いよね。折角だから氷をプレゼントさせて頂いたけど、気に入ってもらえた?」
 彼女は二人の緊張感をよそに、まるで学校で友達に話しかけるかのようにあっけらかんと話しかけてきた。
「随分なご挨拶ね。お礼に、この甕に水を満たして頭からぶっかけて差し上げようかと思っていたところよ」
『後鬼』が握っている甕が僅かに揺れ、その縁から水がこぼれ出た。言葉通りのことを実行しようとしているらしい。
「待って。用があるのはあなたじゃない。そちらのお子様よ」
 彼女は『後鬼』を制し、その後ろに立つ『ご主人』に視線を向けた。
「誰がお子様やねん! ウチはれっきとした〈れでー〉やで」
『ご主人』は反論を試みるが、彼女は全く聞いていない。
「初めまして、お嬢さん。私の名前は三上(みつかみ)佐枝子(さえこ)。華のJK、十七歳よ。でもね」
 彼女は右の頬に掛かる髪に指を添え、耳にかきあげる仕草をした。
「あなたに用事があるのは、私じゃないの」
『ご主人』と『後鬼』は、佐枝子の周囲に別の誰かが居ないか目をこらして探した。しかし辺りに人の気配は無い。
「さあ、わざわざ神戸から連れてきてあげた上にお膳立てまでしてあげたよ。ご先祖様はこの子に会いたかったんでしょう?」
 佐枝子は手に握った槍の石突で、トントンと軽く地面を二回叩いた。すると、槍の柄が水色から濃い青色に変化した。次いで、彼女の放つ気配が別人のものに変わった。女子高校生の朗らかさが嘘のように消え失せ、真冬の過酷な山頂を思わせる突き刺すように研ぎ澄まされた気に変わった。胸の青いリボンのやや上、緩めたブラウスの内側から白銀に輝く首飾りが見えた。
「お久しぶりね、方相氏様。怪力自慢の青鬼さんは初めまして、かしら」
 佐枝子の声ではなかった。似てはいるが彼女より落ち着いた、やや年上の娘の声である。
「私の名は春見沙耶。今はこの子の身体を借りているわ」
『後鬼』は驚き、彼女に問い返した。
「春見沙耶、ですって? 確か四代目『槍の鞘』の名前のはず。四代目は戦国時代の人でしょう?」
 佐枝子、いや沙耶は微笑を浮かべた。
「そうよ。よくご存じね、ご長寿の青鬼さん。私は四五〇年ぶりに、そちらの方相氏様にお目にかかれたというわけ」
『ご主人』は驚いて問い返す。
「何を言うてるんや、この人。ウチは戦国時代とか、そんな昔に生まれてへんし。あんたなんか知らへんやん」
 沙耶は『後鬼』の背後に立つ『ご主人』の顔を伺った。
「ああ、そちらの可愛らしい女の子は、確か『ついなちゃん』とか言ったわね。でも、私が用があるのはお嬢さんじゃ無い。四つ目のお面の方よ」
 沙耶が『ご主人』、もとい『ついな』の面を凝視すると、そこに刻まれた四つの目が妖しく輝いた。
「あなたに聞きたいことは、四五〇年分積もり積もっているわ。さあ、時間はたっぷりあるから、これから私に付き合ってもらうわよ」
 面の主である『ご主人』が答えるより早く、妖しく光る四つ目の面が凜とした壮年の男の声で話し始めた。
「慌てるな、『槍の鞘』よ。こちらも望むところ。今の儂はこの娘からあふれんばかりの力をもらい受けている。かつて阿波国でそなたを焦らしたようなことはせぬ。存分に相手をしてやろう」

続く

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