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「あなたは将来何になりたいですか?」の呪い

私は2020年3月まで小学校の教員をしていました。

↑の記事ではあまり触れてはいませんが、私が教員を辞めたきっかけの背景には、教員として働きながら日本の教育システムに違和感を感じていた、というのもありました。
だからちょっと離れてみて他国の教育を知ることで、自分が大切にしたい教育を見つけ、それを形にしていこうと思ったわけです。

今は、デンマークのフォルケホイスコーレという存在を知ったおかげで、生涯をとおしてやっていきたいことが固まってきつつあります。

これからの社会で周囲と調和しながら「自分」をどう確立させて生きていくか。
それを見つける「自分探し」の教育機関がデンマークにはあります。
それがフォルケホイスコーレとエフタスコーレです。

フォルケホイスコーレは17歳半以上の大人が対象の学校。
エフタスコーレは14歳から18歳までの青少年が対象の学校。

人生のフェーズごとに、自分の将来とじっくり向き合える居場所があるということが、デンマーク人の自己肯定感・自己効力感の高さの一助となっているんだろうと思います。

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ところで、皆さんは

What do you want to be in the future?

これを和訳しなさいと言われたら、どう訳しますか?
おいこらなめるなよと思われた方がいらっしゃったらごめんなさい笑

私は、中学生の時
「将来あなたは何になりたいですか?」
と和訳するように教わりました。

この

What do you want to be in the future?

あなたは将来何になりたいですか?

この質問、子どもの時いろんなところで大人に聞かれませんでしたか?
私はめちゃくちゃ聞かれました。
そして大人になったら逆に私が子どもたちに聞いていました。

よく聞かれるからこそ難なく答えられそうな質問だと思いきや、実はこれがなかなかな曲者。
その質問をすることで
目をキラキラさせながら「○○です!」って答える子どもと、「なりたいものが分かりません・・・」と自分を追い詰めてしまう子ども、反応が二分されます。

それを痛感した出来事がありました。

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6年生の子どもたちを担任していた時、図工の授業で「12年後の自分の姿」を紙粘土で表現するという活動をしました。

「12年後の24歳、みんなは何になっていると思う?」

授業の導入で、そう子どもたちに問いかけました。
「プロ野球選手」
「保育士」
「学校の先生」
「医者」
いろんな答えが返ってきました。
「じゃあ、そんな自分を紙粘土で表現してみよう!」

無心になって紙粘土をこねこねしている子どもたち。
しかしよく見回してみると、紙粘土の袋も開けないで、じっと一点を見つめている子がいました。
「どうしたと?」
と尋ねてみると

「なりたいものが分からなくて作れません・・・」

震える声でそう答えました。しまいには目からポロッと涙が。しまった。

「そ、そんな難しく考えないでいいんだよ!・・・そうだ、12年後、○○ちゃんはどんなことをしていたい?」
慌ててフォローに入る私。
「どんなこと・・・絵を描いていたい。」
「素敵!いつも楽しそうに絵を描いてるもんね。12年後だったらもっと絵が上達しているんだろうなあ。」
「でも先生、こんなのでいいんですか?」
「全然いいよ、だってそれが今自分が一番将来したいことなんでしょ?」
「そうなんだ・・・“なりたいもの”って先生言ったから、仕事じゃないとダメって思っちゃってました。」
「そう思っちゃったんだね。先生の説明が足りなかったね。もう何も気にしなくていいけん、絵を描いている自分を作ってみてごらん?」

すると、その子は安心して作業に取り掛かり、絵を夢中になって描いている12年後の自分を完成させることができました。

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外国語の授業でも似たようなことがありました。

“What do you want to be in the future?”

に対する自分の答えを英語で伝え合おうという活動をした時のことです。
その時の私は、迷いもなく

「"What do you want to be in the future?"は、『あなたは将来何になりたいですか?』っていう意味です。答える時は”I want to be a (職業名).”っていう表現を使ってね。そしたら『私は(職業名)になりたいです。』って相手に伝えることができます。」

と子どもたちには説明しました。

………さっきの図工のくだりで、この先の展開はもうお分かりだと思います。

各々が自分の答えを考えている時、ある子が私を呼びました。
そしたら案の定、あの質問が。

「先生、なりたいものがわからない時は、何て答えたらいいですか?」

「やっぱりきたか」と思いました。

「えっと・・・・、『分からない』って答えたいなら”I don’t know.”で伝わるよ。だけど、せっかくなら、○○君が将来どんなことをしたいか知りたいな。」
って内心あたふたしながら答えました。

「やりたいことはあるんすよ。折り紙を極めたいんですけど、仕事としてアリなのか分からなくて。」
「え、いいじゃん!じゃあ、『折り紙を研究したい』ってことにして”I want to study about Origami.”って言ってみてごらん?」
「おー!だけど、先生の言ってた”I want to be(職業名)”の形ではなくなっちゃいますよ。職業名じゃなくてもいいんですか?
「そこは全然気にしなくていいよ!答え方は一通りではないからね。」
「そうなんですね。わかりました!」

何とかフォローすることができました。

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この2つの出来事、共通していることがあります。

「私の授業計画力の至らなさ」

いや、ほんとそれなんです。
図工や外国語の授業で将来の夢について語る活動があるなら、その前に職業について知ったり自分の夢について掘り下げる授業をしておけよっていう話なんです。

だけど今回注目したいのは、そこではなくて

何気なく私が発した「なる」という言葉。

これは普段「○○になる」っていう形で使います。
よく考えてみたら、○○には固有名詞がくるわけです。
小学6年生の子どもたちは「ウルトラマンになりたい」みたいなファンタジーの段階はとっくに卒業しています。
現実社会に目を向け大人への階段を登り始めているからこそ、自然とそこには職業名を当てはめようとします。

すると、そこでつまずいてしまう子たちが出てきます。

図工の時の女の子のような、
「なりたいものが見つからない子」
外国語の時の男の子のような、
「今の職業にないことをやりたい子」

そして、この記事では出てきていませんが、

「なりたいものを一つに絞ることができない子」

こういう子も一定数います。
これはまさに、子どもの頃の私です。
やりたいことがいっぱいあり、しかもどれもが魅力的で、一つに絞ることができませんでした。
だからそういった一つの将来について考える活動の時は、どこか納得いかないまま取り組んでいたのを覚えています。

だけど、大人はそんな子どもたちの困り感に見向きもせず

「つまらない奴だなあ」
「夢がないなあ」
「そんな仕事あるわけないだろ」

「欲張りだなあ」

という言葉でさらに追い詰めるのです。

じゃあそんな大人たちは、子どもたちに将来について考えることができるような手立てをちゃんとしてきたのでしょうか?

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ここで、冒頭の

What do you want to be in the future?

についてもう一度考え直してみたいと思います。

”be”というのは、
「(〜な状態に)なる」
という意味の他に、
「(〜な状態で)いる」
という意味もあるんですよね。

そうなると

What do you want to be in the future?

これは

「あなたは将来何になりたいですか?」

だけでなく

「あなたは将来どんなことをしている自分でいたいですか?」

って解釈することもできます。
正直、私は後者の方がしっくりきました。

なりたいものがまだ見つかっていない子は、「今自分が夢中になっていて大人になっても続けたい」と思えることが「したいこと」になるかもしれません。
そしてそれを無理矢理具体的な職業に結び付ける必要もありません。

今の職業にないことをやりたいと思っている子も同じです。
最近の世の中は、Youtuberのような、私たち大人が子どもの頃には存在しなかった職業が、とても大きな影響力をもっています。
逆に、今存在している職業の一部は、数年後にはなくなっているだろうと予測されています。
実際、アメリカの調査によると、今の子どもたちの65%はまだ存在していない職業に就くだろうと言われています。
だから自分のしたいことが仕事として成立するのかどうか、今の時点で判断するのはまだ早いと思います。

そしてやりたいことが一つに絞れない子は、そのやりたいことのそれぞれの大元には一貫した「思い」があるはずです。
その「思い」こそ一番実現したいことであり、それがその子の「夢」なんだと思います。
私もそうです。
教員を辞めはしましたが、留学後にチャレンジしようと思っていることも、根底には教員の時と同じ一貫した「思い」があります。
その「思い」を実現するために、いろんな方法(=職業)があって、それを試しているだけなのです。

となると、「なるもの」ではなく「したいこと」を考える方がよっぽど可能性が開けていて、自分の将来に対する希望も大きく持てるのではないかと思います。
だって
「人を助けたい」も
「医者になって病気の人を助けたい」も
具体性の違いこそあれど
どちらも「したいこと」に変わりはありません。
全部正解です。

もう少し早くこのことに気付いて、

「あなたは将来どんなことをしている自分でいたいですか?」

授業の冒頭で子どもたちにそう問いかけていれば
自分の将来について考えるというせっかくの機会で、一部の子たちを悲観させることはなかったのかなと思います。
反省しています。

「あなたは将来何になりたいですか?」

何気ないこの質問が、子どもたちの将来の可能性を自然と狭めてしまう呪いにもなり得る。

「そんな大袈裟な。言葉の綾ってやつでしょ?」

確かにこれって、ほんの些細なことかもしれません。
だけどこういった些細なことの積み重ねが、子どもたちが抱く「キャリア像」を歪めてしまっているのではないかと考えてしまうんですよね。

子どもの頃から

「自分自身はどうしたいのか」
「人生で何を成し遂げていきたいのか」

これらについてじっくり向き合う時間・場所・前向きに支えてくれる人。
そういった環境が整っていれば、どれだけ自己肯定感・自己効力感を高めることができるでしょうか。

だから私はデンマークの教育に憧れているのかもしれないなあ。

そんなことをふと思った、ある日の午後でした。


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