まだ、言い切ることはできない。

冷えた左手が、感覚をなくしていく。私は冷え性なので、手足がいつも冷たい。でもきっと、今冷えているのはそればかりではないのだろう。

単純に傷つけられたと言えれば、それでよかったのかもしれない。傷つけられたとここで泣ければ、私は幾分か生きやすかったことだろう。ここで泣けば、それこそ共感を得られる。ここを見ている人は私に好意的な人が大半を占めるのだろうから、私が傷ついた話をすれば、きっと慰めてもらえる。

そんなことがわかっているのに、私は決して泣けない。涙がひっこんで、干上がるのだ。自分のことをかわいそうだと思うことがないわけではない。憐れんでいる。自分で自分のことを憐れんでいる。

だって今はきっと、人生の底だから。こんなにつらいことはないと日々思っている。私は私がかわいそうでならない。それが正しいか正しくないかはどうでもよくて、私がそう感じていることがすべてなのだった。

正月の挨拶回り。挨拶して、出されたものを食べて、いつもより少し、いやかなりお行儀よく振る舞う時間。私は、この時間が、嫌いだ。学業をはじめとした、自分のいろんなものの品評会みたいな感じがするからだ。

そもそもASD(アスペルガー症候群)の私には、お正月の挨拶回りでにこにこして、お行儀よくして、話をするなんてことはできやしない。黙々と、出されたものを食べているだけの人になる。 とことん、そういうことは苦手なのだ。出されたお菓子がおいしかったことの他に唯一覚えていることを書く。

世間話のなかで、母がついに言ってしまった。

「年明けから市役所で働くんですよ」と。

私のことを、そんな風に言ってしまった。真っ先にわいてきた感情は、"困る"だった。

私は今8時半に起きるのですらつらい。今日も重い頭を抱えてふらふらと起きた。市役所の仕事は遅くても8時に起きないと間に合わない。これでも一般的な時間よりは全然遅いのだ。わかっている。

出勤する仕事が始まれば起きられるかもしれない。そう思って、面接を受けたことを今は少し後悔している。「友達と会う時は起きられる」と言ったってそれほど早い時間に起きたことはない。あと数日でその仕事は始まってしまうのに。

無理かもしれない。そんな言葉が頭のなかにある。けれど、お金欲しさに行ってみようとしている。わかっている。本当はもう少しちゃんと起きられるようになってから行くべきだって。そんなことは、わかっている。

「一歩前進したね」

母の言葉を聞いた人は言った。それは私を元気づけているようだったけど、私はその言葉が怖かった。

失敗してはいけない。

そう言われている気がしたから。

本当は、市役所の仕事のことはまだ何も言い切れないから、言いふらさないで欲しかった。でもそう言ったら「最初から行けなくなることを前提にするな」と怒られそうだから、何も言えなかった。健全なコミュニケーションは、ここには存在しないのだ。

執筆のための資料代にさせていただきます。