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無記名記事ライターから署名記事ライターになる方法


ライターワールドで活躍している方は、多少なりとも「どこかの媒体で署名記事を書きたい」と思ったことがあるでしょう。あくまでも私の場合ですが、その方法を書きます。


SOHOサイトで書いてる限り無記名であり続ける

私は無記名ライターだった期間は短い(半年くらい?)でした。それまでは、SOHOサイトに登録して、1文字0.2円~1円という世界で生きてきた。

だけど、SOHOサイトって署名記事案件ってほぼないですよね。数か月で「ここでいくら書いてても私が目指しているライター(署名記事が書けるライター)にはなれない」と悟りました。

だったら、すでに署名記事を書いているライターさんに聞こう!私は書きたいテーマ(発達障害)があったので、SNS経由で連絡をしてお話を聞く機会をもらった。

昔から書いてるライターさんはSOHOサイトなんか知らない!

快く会ってくれた売れっ子ライターさんがいて、お会いして「どうしたらSOHOサイトからWeb媒体で書けるライターさんになれるんですか?」と
聞いた。

「1文字0.2円~1円?SOHOサイトってそもそも何?」と言われて衝撃を受ける。

これはこのライターさんだけじゃなく古くから書いてるライターさん数人に言われました。そもそもそんなサイトでの仕事を知らない。

ますますSOHOサイトで書いていても署名記事のライターにはなれないと確信を持った。

「僕が使っている編集プロダクションを紹介するから原稿持って行ってみなよ」と紹介してもらい、私は初めて編集プロダクションを知ることになる。

編集プロダクションの編集者さんに記事企画を見せる

編集プロダクションなる場所を紹介された私は「発達障害関連の記事を書きたいんです」と記事企画を箇条書きにした企画書を見てもらった。

当時、まだそんなに知名度がなかった発達障害。編集者さんに「インパクトだけ狙ってもねえ」と渋い顔をされる。

だけど、熱意だけはあった私は「まず連載を持ちたいなら、本一冊分を書いてみなさい」と言われて、2,500字~3,000字×12記事くらいの発達障害関連記事を書いた。

本一冊分の原稿を書いて分かった現実

当時、SOHOサイトでは500字とかせいぜい1,000字くらいまでの記事しか書いたことがなく、2,500~3,000字を同テーマで書くなんてできるだろうかと思った。

自分の体験を主に書いていこうと思ったけど、膨大にあると思っていた自分のネタがせいぜい、5,000字程度で書き終わることが分かる。

自分の経験なんかせいぜいこの程度の文字数で終わってしまうんだなと分かる。これは大きかった。じゃあ、2,500字~3,000字×12記事の分量を書くにはどうすればいいか?そう、取材で他人の経験を書くしかない。取材することを思いつく。

取材記事を書いたはいいものの……

「読まれる場」「誰かの評価を受けられる場」がないとモチベーションが維持できないので、アメーバブログで書いた記事を公開し始める。当たり前だけど、最初は読者なんか皆無。だけど、対談形式で読みやすいというコメントがきたので、当時は対談形式の記事を書いては公開していた。

その段階で、ペンネームなんかまだない。本名で書いていました。署名記事といえば署名記事?

対談記事が福祉会社の社長の目に留まる

「面白い記事だね!」と言われ、福祉会社の社長さんより連絡をいただく。そこから、あいである広場の立ち上げの話をもらう。私は元々は事業企画・経営企画の仕事をしていたので、代表取締役兼編集長兼ライターとしてウェブサイトの立ち上げと執筆が決まる。

その時に「本名じゃ書きにくいことも多いな」でペンネームを考える。

それが今のペンネーム「田口ゆう」だ。だけど、ライターはまだしも「編集長っていったい何をすればいいの?」というところからスタートした。

ルポ記事を書く

当時、誰をメインライターにしたらいいんだろう?と思っていた編集長の私は、ファンで東洋経済で連載をしていた村田らむ氏にお願いする。

「いいですよー!」というめちゃ軽いノリの返信があって、メインライターとして村田さんにお願いすることに決まる。自分の名前で、webに集客なんかできないだろうことは分かっていたから。

その際にオーナーに「村田さんに共著してもらってあいである広場で自費出版しなよ」と言われ、書くことが決まる(結局、ボツになり出版はしなかった)。

だけど、出版社の編集さんとの打ち合わせで「村田さんがルポ記事書いているからルポ記事で統一しましょう!」という話になる。

ルポ記事なんか書いたことがないので教わる

その当時、ルポ記事なんてものを書いたことがない・編集者なんかしたこともない私は「どうやって書いたらいいんでしょうか。自信がないです!!」と村田さんに緊張しながら言った。

しかも、出版できるのに、気分は重かった。
村田さんとある程度、話したときに「ルポ記事書いたことないし自信がない。私は素人なんです。しかも、一番、最初に出版するなら商業出版がよかった。自費出版はチートな気がしてそれならしない方がマシ」と愚痴った。

村田さん「僕が教えますよ!気持ちはとても分かるけど、チャンスはチャンス!僕と共著するなら手を抜かないでください。いい加減な気持ちで仕事をしないでください!」と言われる。

そこからは特訓の日々。ダメ出しに悔しくて泣く日々。

それが「師弟関係」の記事につながっていきます。

※ちなみにこの記事をご本人にお見せして「師匠にとって弟子ってどんな存在なんですか?生徒?子ども?」と聞いたところ「他人です!」という超絶ドライな回答をもらいました。
「子どもも生徒も持ったことないから分からん!」だそうです。
「超絶ドライ!」と言ったら「めちゃくちゃ感情的で、情緒的で、情に厚く、神秘的なの、俺じゃないでしょ笑」とのこと。たしかに。感動的な師弟論なんか語られたら、キャラ変したのか?って驚きます笑

師匠の本にネタ提供する

村田さんの本にネタ提供して初めて本に名前が掲載されるという経験をしました。「人怖」シリーズはネタ提供しています。読んでね。

師匠の紹介で漫画原作の話も頂く。

やはりこの時も「自信がない!できません!」と言ったところ、村田さんに「僕が紹介したからには責任を取る!だから、受けろ!」と言われ、編集者さんとの接し方から何から何まで教わる。ああ見えて、とても面倒見のいいとても優しい師匠なんですよね。

そして現在は……

出版したあたりから出版社に出版企画を持ち込んでも、ガン無視されることはなくなる。出版の意味ってこれだと思います。一応、編集さんにつないでもらえるようになる。

日刊SPA!に関しては応募して連載企画を出して通りました。

そして、5年くらい前に思っていた「署名ライターになりたい」という夢は叶い今に至ります。

結局は弟子入りか持ち込みか?

SOHOサイトで書いてる無記名ライターが署名記事を書けるライターに成り上がるのは「いい師匠と巡り合う」か「出版社はスルーされるので編集プロダクションに持ち込む」のが私の結論です。

そして、このnote記事もそうですが、書く習慣をつける。もしかしたら、どこかから私が元オーナーに声をかけられたようにチャンスをもらえるかもしれない。

他にも連載がありますが、あいである広場ですでに署名記事を書いていたので、無記名で書いてという依頼自体がこなくなりました。

私は編集長でもあるので、たくさんのライターさんや卵の方から「署名記事を書かせて欲しい!」「連載をください!」と言われてきた。だけど、「題材フリーで書きたいものを2,500字~3,000字で書いて」というとだいたい書けない。
「作文が得意でした」くらいだと、2,000字の壁を突破できない。SOHOでしか書いたことがない人は「お題目フリーで企画記事を出して」ができない。

「ブロガーです」という人でも同一テーマで、数記事を書くのは難しいという人が多かったので、編集プロダクションの方に言われた「本一冊書いてみる」はとても正しいアドバイスだったと今なら分かります。

何よりも言いたいのは「言い訳してないで書け!」ですね。何でもいい。書き続けていくことで見えてくるものはあります。

「書けます」と言って書かないのは「100メートル走を3秒で走れます」と言って走らないことと同じです。

田口ゆう
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