死ぬな と親は子に教えなければならない

今朝、夫とくだらない言い争いをした。そのあと彼が「今天変地異が起こって俺と息子が生き埋めになったら、お前は俺を助けてくれないよな」と言う。
バカなのか。そんなことは論を待たない。今に限らずいついかなる時も、私は息子の命を最優先する。私と息子が生き埋めになったら私を先に助けようなんてアホな真似は絶対にしないで。
そう言うと、夫は少し呆けた顔をして「俺は迷ってしまいそうだ」
と言った。
根本的に、良い人なのだ。

その話をそのときいなかった長男にしたら「お父さんは普通の人だからね」と言う。「普通の人はそんな当たり前のこともわからない」(じゃあお前はなんなのだ、というのは横に置いておいて)

私は息子たちに、「死ぬな」と教えてきた。小さな頃から事あるごとに「死ぬな(死ななきゃ何しても良い)」と言ってきた。そうしないと、今の子供たちは簡単に死ぬ。

そう言われ続けて育った息子たちは、見事に野生に育った。生き物としての本能がちゃんと残って、危険を察知するし嫌なことは極力やらないで伸び伸び育った。
もうじき大人になるけれど、そのまま生きれば良いと思う。

冒頭の話。
我々夫婦は子供を産んで育ててもう子供らは巣立ち間近。子供らはこれからの人生と子孫を残す可能性がある。我々夫婦の人生は、もはや残り滓である。
わかってはいても迷うのだろうけれど。

10年近く前に、いろいろな政治家(国会議員から区議会議員までいろいろ)に会う機会があった。政治家という生き物がいったい何のために存在するのか、私にはよくわからなかった(今もちっともわからないが)から、彼らをせっせと観察して様々な角度から質問してみたりして実験していた。割と気骨のありそうな若い都議に会った時「子供に死ぬなと教えなければならない」と言ったら、その都議はちょうど今朝の夫と同じような顔をしてポカンとした。

社会はそう教えないのだから、親は子に「死ぬな」と教えなければならない。人間社会はそこまで高度に発達してしまったのだから。

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