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東大理三不合格体験記 ~現役編~

2024年3月10日正午
東京大学農学部キャンパス(*1)

「ない。」 

人生をかけ、後期に出願せず、私立医学部の受験機会を全て放棄してまで臨んだ東大入試の結果は

“Not accepted”

だった。

 鉛のように重たい足、開いたまま塞がらない口、空になった頭。何も考えられず、南北線東大前駅の構内に入り帰路についた。涙は出ていなかった。ただ不合格という冷たい剛体のようなものが背中に乗っていただけだった。担任の先生と親にLINEで不合格を伝え、総武線が代々木駅に着いた時、先生から電話がかかってきた(*2) ため一度電車を降りた。何を話したかは覚えていない。自分の声帯が自動的に動いて何か発していただけであろう。

 それからしばらくは家でぼーっとテレビを眺めているだけであった。その後は勉強もしていたが、英語の感覚と、数学のセンスが鈍らないようにのんびり勉強していただけであった。直前期は東大数学のC難度の体積の問題が解けただの、数学80点超えただの、リスニングが28/30点だっただの、勉強の成果を心から喜んでいたが、不合格後は、できたけど、それで?、くらいにしか思えなかった。学力こそ衰えていなかったものの、核燃料がないのに核分裂を起こそうとしているような状態で、私の勉強にかつて存在したエネルギー、情熱は姿を消していた。


*1 2024年現在、東京大学は本郷キャンパスにおいての掲示板による合格発表は行なっていないが、私は家で待ってるのが落ち着かず、本郷キャンパスの隣にある農学部キャンパス内でWEB上で合格発表を見ていた。警備がガバガバなので誰でも構内に入れる。

*2 どうでもよい話だが、先生とLINEをしていると、「今、連絡しても大丈夫?」と聞かれて、今まさにしているではないか、と思いながら「大丈夫です。」と返すと、電話がかかってきた。なるほど、今の大人世代にとっては連絡=電話なのだなと、些か感嘆した。


§1 理三を目指した理由

 高2の冬までは京大医学部を志望していた(*3)が学校の面談で担任に「理三に行けるのでは?」と言われたのがきっかけで理三志望にした。なんだその受動的な理由は、と非難されても何ら言い返す要素を持たないが、当時の自分の認識としては理三に受かる学力はないという認識だったため、信頼のおける人間からの後押しは大きな原動力となったのは間違いない。後はどうせ真面目に受験をするなら頂点を目指してみたいという野心もあった。(勿論、学力的な面で頂点というだけで、東大以外大学ではないというような言説には眉をひそめる。)

 高2の時の私は理三に受かりそうな人間というのが存在し、そういう人が勉強して受かっていくものだと思っていたが、それは誤りであると後で気がついた。人を器に例えるなら、最初から理三に適した器があるのではなく、各人が不断の努力を通して、器を磨き、削り、理三に最適化された器を作りだすのである。つまり誰でもポテンシャルを秘めているのである。


*3 具に理由は覚えていないが、理三は無理でも京大なら?、くらいの感じであろう。


§2 中1~高2までの勉強

 高3以前までにしていた勉強に軽く触れておく。

 中1~中2は定期テストと普段の小テストは真面目に取り組んでいたが、それ以外は特にやっていない。まあこれが後々大きな差を生むことになるのだが。

 中3から英語と数学は塾に行き始め、自主的な勉強も始めた。コロナの期間を割と勉強に充てていたのは後々功を奏した。

 高1からは物理と化学も塾で取り始めた。(正直、高2からで良かった。私と同じように取らないと不安という方もいると思うが、物事には優先順位というのがあり、理科は高2からで問題ない。というか高2までに英数を完成させ、理科は定期テストでしっかり勉強し満点近く取っておけば全く問題ない。東大入試は英数ゲーである旨、付言してしておく。)勉強は主に校内模試、外部模試等をペースメーカーにやっていた。

 高2はほぼ高1と変わらずやっていた。桐朋生が全員受けるプロシードテストの結果を載せておく。数学の実力不足が顕著。かなり失敗した印象だったがそれでも校内一位で嬉しかった。正直ちょっと調子に乗ってしまった。

 こんな感じでまあのんびりやっていた。高2までの学習時間はStudyplus(*4)という学習記録アプリによると5000時間程度。多いと思うかもしれないが、実はそうでもなく、朝ホームルームの前1時間やり、学校終わりに塾の自習室に9時まで篭っていたくらい。部活もそれなりにしていた。イメージとしては、何かを削るというより、YouTube等の何となく過ごしてしまっている時間を勉強に充てた感じである。自分でもできるかもと思ってくれたら嬉しい。


*4 勉強版SNSみたいなもので、かなりの神アプリで、友達でやっている人も多く勉強のモチベーション維持になった。


§3 高3での勉強

 先に言っておくとこの章は模試の結果を眺めて淡々と分析するだけとなので単調である。適宜読み飛ばしてもらってかまわない。(何なら章ごと)

 共テ模試、東大模試、校内模試と共に高3での勉強を振り返ってみる。まず4月の共テ模試

 英数それなりに対策してこの結果なので、国社頑張って理科詰めれば800超えもいけそうという感じで「この頃は」かなり余裕だった。日頃から共テ演習はやっておらず、強いていうなら学校の英語の週一の共テ演習くらいだった。2次の勉強をしっかりして、英数国社の共テ演習すればいけるだろうと楽観的に捉えていた。ちなみに実際の共テの難易度を考慮した換算点は807点だった。

 次に春の実質上位20人参加の全員参加の校内模試。新学期に入ってから告知されたので、少し驚いたが、他の記述模試のために勉強していた為、準備は充分。

 自分でも英数はかなり自信があり、理科は若干おぼつかなかったもののこの時期にしてはいいかなといったところ。(他のは高1,2の時の校内模試)
しかしここで数学ができると過信してしまったのは良くなかった。

 次に夏の共テ模試。社会の勉強が思ったより進まずほぼ春と変わらない。


 少し気になるのは地理と1A。前の共テ模試は地理の難易度が抑えめだったが、この時から本格化し手も足もでなかった。後、1Aが低い。理三を目指すなら数学は200くらいが普通であるため危機感を覚えた。しかしこの時は1Aが致命傷ではなく事態を甘く見ていた。本番換算は785点。

 夏は英語と数学をメインでやってしまった。正直英数の完成度が低かったのでしょうがないが、ここでの理科の不勉強は後々尾を引いてしまう。

 次に夏の東大オープン(共テの点数は換算点数に東大換算が入り上の夏の共テ模試と若干ずれる) 。


 率直な感想としては思っていたよりいいということである。しかし裏を返せば採点が甘いことに他ならない。

 英語は確かに夏頑張って東大形式に適応してきたので、相応の結果だ。

 数学は理三採点なら30点強しかないだろう。

 それに理科はかなり酷く、自分の理科のレベルと東大レベルの差を痛感し、今まで自分がある程度理科は優位に立っていると思っていたので、かなりキツイ現実を突きつけられた。

 国語は40超えてるから大丈夫だろうと言ったところ。

 判定はB。これを見て当時は喜んだが、今考えると、数学の採点が甘く「この頃は」理科が相対的にできていただけで、今後の他の受験生の理科の伸びを考えると、数学を上げることは急務で、かなり危ういB判定だった。当時の私はそんなことは夢にも思わず、喜んでいた。

 次に夏の東大実戦。これはかなりリアル。

 数学をご覧いただきたい。39/120で思ったより低く本試験の採点にかなり近いだろう。ここらでかなり危機感を覚える。こんなにもできなかったことはなかったので、いかに今まで解いてきた問題が緩かったのか嫌というほど思い知らされた。高2のうちになぜ数学を完成させなかったのか死ぬほど後悔したが、しょうがなく夏以降頑張ろうと決意。

 英語は適当にマークした分を差し引けば、ほぼオープンと同じ。 

 理科は相対的にできている。  

 国語は若干低いが「この頃は」問題はなかった。 

 判定はC。B出ている友達もいて本当に悔しかったので秋で挽回しようと思っていた。

 ここでまとめると、夏までに英語は問題なし。数学と理科を上げる必要があった。しかし理科は偏差値的にできていると勘違いしていたため、後回しになった。さらに英語は一旦離れ、数学を優先した。これが後で悲劇を生む。

 そして秋の共テ模試。社会もそこまでできず、結局いつもと同程度の準備。

 dévastàtingと評すのが相応しいだろう。これの原因を解説していく。

 まず英語リーディング。ご覧の通り全くできていない。これまでは10分ほど余っていたが、その余裕は消え、最後の大問の後半は適当にマークする羽目になった。各大問で少しずつ時間が超過し、それによる動揺からまともに解けなくなっていた。前半でつまり、後半よ焦りながら読むことになるという本番でもあり得そうな状況なだけにかなりまずさを感じた。

 次に1A。偏差値こそ変わっていないものの80を切るのはさすがに実力不足で共テ形式云々の言い訳は通用しないと実感。

 国語もまずい。古典の点数が壊滅的で今までの勉強の杜撰さが如実に現れている。しかも現代文も相当酷く、これは対策が必須だと思った。

 物理、化学もヒビが入っている。今までできていた思っていたがこれも夏の不勉強が現れ、失点が目立つ。

 地理もしっかりできていなく、しかも偏差値も下がっており周りと差をつけられている。

 総評としては多くの科目でボロが出てきてそれが一気に溢れ出し大災害となっている。1番問題なのはそれぞれの科目で、その悪い点数を本番でとっても何ら不思議でないということである。それが全て同時に起こるとこうなるのかと恐怖を植え付けられた。

 そしてこの辺りから「この頃」は消え追い詰められていく。

 さあ秋の東大オープン。

 まず英語はいつもと変わらず。数学が壊滅している。夏と秋の間メインで勉強してこの様である。勿論勉強の成果がすぐに反映されないことは充分理解しているがこの現実はさすがに辛かった。理科もよく見えるが、偏差値は落ちている。つまり高2の貯金を過信し、勉強を休めている間に大勢に追い抜かれた。判定はCで夏より下がっている。この事実もまたきつかった。成績が下がり得ることは知っていたが、まさか自分がそうなるとは。

 そしてトドメの一撃秋の東大実戦。

 英語はやらなすぎで、ボロが出始めており、数学も相変わらず。そして、今まで特に気にならなかった国語はしっかり実力不足が反映され過去最低点。物理はこの頃から本格的にできなくなりもう何をしていいかわからなかった。化学も夏のツケが回ってきて力負け。理三はE、理一すらBでもう絶望した。朝起きた後、この結果を見た時は本当に足の震えが止まらなかった。

 この時期から塾の復習量も増え正直回っていなかった。今思えば、1学期からそうだった。月、火、水、木曜日に塾の授業が各3時間半くらいある。週末は疲れ切って塾の復習も終わらなければ、学校の勉強も中途半端。今なら分かるが、狂っているし体力が持つわけがない。この地に足ついてない”勉強”を続けてきた結果がこれだ。高2までの何も考えずにやっていた勉強にも後悔し、なぜもっと大局的な視点を持たなかったかと後悔するが時間が遅すぎた。後ろに山積みの課題、迫り来る試験、もう私は挟まれて消えてしまいそうだった。

 ここで課題を整理すると、英語は引き上げる必要がある。数学は引き続きやるしかない。古典も共テと2次のために不可欠。物理と化学も量を増やす必要がある。つまり全部できていない。でもやるしかなかった。

 そして最後の共テ模試

 何とか回復している。2Bが気になるが、自分の振れ幅を確認できたと前向きに捉える。そして地理はここから本格化させた。ともかく自分の実力がある程度落ち着いてきたことに安堵。

 そしていよいよ冬休みへと入っていく。

§4 共テ直前期

 まず冬休みに入り、時間がたっぷり取れるとのことで、2次の過去問演習をメインでやった。疲労も回復してきた。

 正直共テは国社以外2週間前からでいいだろうと思っていたし、塾のチューターからもそれでいいと言われたので2次偏重でやっていた。簡単に言えば共テを軽視し、この時期から共テ対策をやっている人は点数配分を全く理解していないのだろうと思って心のどこかで馬鹿にしていた。(本当に馬鹿なのは自分だということは知る由もなかった)

 具体的には、過去問を時間を測ってやり、その後時間内に解ききれなかった分を無制限に満足のいくまで解き、解答解説を確認していた。そして見つかった穴を埋めていた感じだ。そしてどんどん年度を遡って進めていった。当然無制限に解くわけだから、私の負けず嫌いさも相まってとてつもないような時間を要する勉強法だった。

 今思うと、この勉強法は確かに私に合っている。しかしいくつか問題があった。まずかかる時間が不確定すぎて、勉強スケジュールを組んでもほぼ意味なし。さらには、演習を2科目ぐらいやるとその復習で手一杯になり一向に進まない。さらに時間的圧迫により当初予定していた一年間の総復習は見送り。そして数学と理科ばかりやって気づいた頃には英語は壊滅していた。

 そして確か共テまであと25日くらいのところで共テの国社の過去問を始めた。一日で2科目くらい余裕だろうと考えていた。しかしいざ始めてみると、この世の終わりのような点数の嵐。地理はまだ素晴らしい解説サイトがあったから良かった。しかし国語になると、私は自分の頭で完全に納得するまで解き直しを終えれないため、現代文だけで平気で3時間消費した。古漢は赤本は本文自体の解説が皆無(*5)で、設問の解説ばかりして、著者は頭でも狂っているのだろうか(本当に狂ってるのはこの時期に古漢が完成していない自分であろうとは)と文句を垂れてこれも3時間ほどかかる。

 地理もスムーズとは言えそれでも、4時間強はかかる。つまり私は自分の完成度に基づいた過去問演習にかかる時間を正確に把握していなかったためこのような地獄に落とされた。

 その他の共テ演習も想像通りだ。英語も自分の頭を納得させるのに時間を要し、数学はひたすら時間が足りず、理科はやるたびに自分の穴の多さを実感、どれも時間が非常にかかった。もう1日に2科目終えれれば良い方で計画とはほど遠い状態だった。


*5 高2までの学校の古漢の授業は特に大切にされたい。ほとんどの先生がしっかりと全文解説してくれる。全訳をして丁寧に予習できるのはよくて高2まで。高3からの古文上級はハイペースなので、(聞くところによると、高3漢文もW先生のクラスはなかなかハードらしい)是非高2までに古典で高得点を取れるような力を身につけてほしい。私も勘違いしていたが、古典はセンスなど関係ない。(勿論あるなら大いに役立つが)着実な学習が物を言う。


 そして正月。当然これほどまでに追い込まれている受験生に正月などなく、元日に共テの予想問題パックを家で通しで解いた。これまでは自習室で勉強していたが、正月は流石に休みで、家で暖房つけっぱなしでやっていた。

 さあ私は前世で外患誘致罪でも犯したのか、ここでその暖房のせいで風邪をひいてしまう。高校3年間でこれほどまでに体調が悪かったことはなく最悪だった。咳はでるから外にも出づらく自習室にも行けない。これが共テ1週間前である。私には健康な状態で試験を受ける資格すら剥奪されるのかと絶望した。

 体調を崩したら、しっかりと休む。これは常識であり、受験生だろうとそうだ。私はこれを自分の同級生に言った記憶すらある。しかしいざ自分がなると、勉強しか頭になく体調の回復など待つ選択肢は存在しなかった。 

 しかしこの不運は私にとっては良い機会だった。まず健康でいられることのありがたみを実感した。また家族にもお世話になり、自分がいかに恵まれているか思い知らされた。幸い、共テ2日前ほどには全快し、友達と下見にも行き本番を迎えた。

§5 共テ本番

 いつも通り6時に起き適当に勉強し暇を潰し、友人と試験会場へと向かった。些細なことだが、起きる時間がいつもと同じだと特別感が薄れ実力を発揮しやすくなるだろう。後友人と行くと本当に緊張が和らぐ。私の場合いつも朝早くに一緒に行っていた仲なので、本当によかった。試験会場につきいよいよ本番。

 まずは地理。いつもに比べ解きやすさを感じつつ、しっかり点数を取れた感触と共に終える。

 注意点としては昼休みにイヤホンをしておくと良い。周りの者の試験講評を聞いても良いことはない。あと終わった試験を反芻しないこと。自分は全部埋めたんだから、満点の可能性さえある、と堂々としていれば良い。

 昼を挟んで国語。試験中は戦前の教育に基づき心を無にして(*6) 取り組むことを誓い試験スタート。漢文、何だこの短い文の羅列は、と思いつつ目標くらいの時間で終える。古文、最後の方は若干適当に埋めつつ間に合わせる。第一問は個人的にかなり苦戦を強いられたが淡々と解き進める。そして第二問を何とか終え試験終了。

 次に英語リーディング。1日目最大の山場、個人的に振れ幅が大きく怖かった。そして試験開始。最初から進みが悪い。上手くいかない方かもと自分を落ち着けつつ、無心で解答をしてことなきを得なかった。

 次に英語リスニング。リスニングは根性でやる物だと言う持論のもと、1日目ラストだと自分を鼓舞し試験開始。どうでも良いことだが、気持ち早めに再生を開始した方が音が流れ終わってからの思考時間が長くとれるのでおすすめ。いつも通り終える。

 そして1日目の試験はまだ終わっていない。誰とも会話せず家に帰り、解答速報を見ないという重大な試験が残っている。学校で1位2位を争う帰宅王なので、これは余裕で突破。

 そして2日目。良くも悪くもいつも通り1Aを終え、昼休み。桐朋生が集まり何やらやっているが当然参加せず頭を休める。そして2Bも最後のだるい計算が終わり穴がうまく適合しており勝利を確信。(実は間違っていたのだが)

 理科は正直東大型でやっておけば完全下位互換なので根性で鎮める。

 2日目は同じ教室だった仲のいい人と楽しく話して帰る。

 自己採点結果は以下。

 理三にはかなり物足りない感じがするが、個人的には何やかんや耐えてラッキー。国語と地理は最後の最後の日まで諦めずにやったのが功を奏したのか、易化に救われたのか。まあこれで晴れて理三への挑戦を許された訳である。


*6 有村先生の授業を受ける機会があれば、分かるかもしれない。


§6 東大入試直前期


 共テも終わり、いよいよ2次に集中できる。私は私立も後期も受けないことに決めたので、東大入試の勉強しかしていない。共テ直前期の風邪をひく前までは塾の自習室にこもっていたが、風邪を引いてからは家にいて、家勉強の良さを再認識し、2次直前期も基本家で勉強していた。1日のスケジュールはまず6時に起床。東大数学初見一題、塾の問題一題の復習をこなし、物理or化学の塾のテストを隔日で復習。そして午後は過去問演習と復習とをこなし、適宜足りない部分は復習し、進めていった。就寝前にその日に書いたまとめノートを復習し、時間が余れば古漢をやり寝る。

 この勉強の問題点を分析していく。まず数理の比率が高すぎる。酷いに限っては午後丸々物理で潰していたりしていた。つまり英語に触れていない日がそこそこある。あと東大数学初見一題に関しては一見良さげに見えるが、東大数学といえど、解くに値しないゴミ問題もある。セット演習ならそれも練習のうちと言えるが、一題解くならそこから多くを学べるような問題を解かねばならない。勿論問題を解く前に解説を読めないから、それは解いてからしか判断できない。かくして、良問悪問に午前中のほとんどの時間をついやしていた。そして理科のテストだが、これも正直うーんみたいな問題もあり、必ずしも自分に適しているとは言えなかった。それに学期中の復習が疎かだったのも重なり、これも時間がかかる。要はどれもこれも何となくやっている。こう言う目的で今はこれが必要でそれには何分かかるということを全く考えられていない。

 そして塾での直前講習があった。英数物化をとったのだが、結論から言うと数学は取らなくてよかった。本番と違い4問演習だったので自分で過去問をすればよかった。他はそこそこよかった。

 あと東大型の模試(河合塾東大本番プレ)を受けた。まあ過去問とほぼ同じような点数。これは本番とスケジュールが全く同じということを謳っているが、そのせいで無駄が多い。本番は試験開始1時間前ほどから拘束される。さらに試験終了から30分待たされる。要はそれも込みにしているのに、その本場なら何もできない時間が、単なる休憩時間になっており時間浪費がとてつもない。当然疲れて休憩時間も終わった後も何もできない。長期休暇中は塾、学校等で講習などを取らないと不安になる者もいるだろう。しかし皆や友達が取ってるから、とりあえずというのでは先は暗い。その皆や友達は誰も自分の合格を保証してくれない。自分で決めるに如くはない。

 さてそんなこんなで1週間を過ごし、さぞ学力が上がったことかと思うが、そうはいかない。なぜなら問題演習は自分の実力を発揮する練習であり、それ自体に実力を上げる効果はあまり期待できない。その復習で問題にじっくり向き合うことで、実力はついていく。当然復習など山積しているから、できておらず、ただただ自分の実力を発揮する練習をしただけである。この重要な事実は強調に値する。学力というのは実力と得点テクニックの2つからなるのである。この得点テクニックだけ上がったのが当時の私だ。ここから問題が起こる。数学と理科が目標点の80/120, 90/120を全く超えない。数学は良くて55点。理科は良くて65点しなかった。これが私の当時の最大値だったといくことだ。さらに触れてなかった英語は第5問のエッセイが絶望的にできないのに気づき、演習を重ねるが、一向に上手くいかない。つまり実力というものが私にはかなり不足していたのだ。数学は地道に工夫して学習してきたので、根拠はないがこれから上がるという確信はあった。しかし問題は理科だ。正直穴がいっぱいあった状態で過去問演習に入ってしまった感はは否めない。穴のある水槽に上から水をとんでもないスピードで入れているような状態で、後には何も残らない。リービッヒ冷却器でも使いたいものだ。

 無様に足掻いていると、数学はある年度でかなりうまく行き(しかも難易度は平年並)、これはきてる!、と思った。化学は元々できる方だったので、35点以上は安定した。第2問、第3問は15点超えも珍しくなかった。裏を返せば有機は一桁得点が目立つ。そこで有機だけ東大模試の過去問で集中的に演習したら12点くらいは取れるようになった。(まさか本番構造決定が出題されないとは夢にも思わない)しかし物理はきつかった。もう問題を解けば解くほど頭が散らかっていった。今まで曖昧にしていた理論に押し潰されたのだ。しまいには物体が静止してるとはどういうことか、非等速円運動とは何か、慣性力と遠心力の違いとは何か、コリコリ力、近似云々考えすぎた。(実は割と本質的で有意義だがこの時期にすべきことでないのは明らか)

 1週間前には下見に行きやる気がみなぎる。それと東大構内が観光地や遊び場のようになっていてほのぼのした。

 そしていよいよ前日。難しい問題をやってもしょうがないので、化学反応式、古文単語あたりを復習し友達と励まし合った。ここで総勉強時間は8000時間になり、自信がみなぎる。一緒に行こうと約束していた(共テの時も一緒に行った)友達に連絡(*7)をとると、まさにその日に足切りにかかっていることに気づいたらしく、一緒に行けないとのこと。かなりショックだったが「2人分頑張ってくるから、応援頼んだ。」と伝えた。色々あって一方的に疎遠にしていた同じ塾の女子(*8)からも応援メッセージがきており、今までの自分の傲慢さ、自分勝手さを悔やみつつ感傷に浸っていた。


*7 電話ではなくLINE

*8 この方がいなかったら受験の辛い時期を乗り越えることは不可能だったため、この場を借りて感謝の念を伝えたい。


§7 東大入試本番

 いつも通りの時間に起床し家を出る。東大前駅に着きいよいよかーと思いながら自分を奮い立たせ、「自分を信じると書いて、自信。」と心の中で唱え、人のまばらな農学部キャンパス理科三類試験場に着く。試験会場は汚めだが想定内。荷物を席に置いた後、トイレの激混みが予想されるので、適当に各階のトイレを回り再び席に着く。私は試験当日はメンタル維持に徹することに決めているので一切参考書類は見ない。(*9)そしていよいよ顔写真の照合が始まり、共通テストよろしく電子機器の電源オフを命じられる。そして国語の問題と解答用紙が配布される。普段過去問演習の際に使ってるものと酷似しており震えた。(*10)


*9 例えば試験前に知識詰めようとして、中途半端に覚えて、試験に出て、あれこれなんだっけ?みたいな馬鹿な状況が嫌なのだ。

*10 普段使っていた東大の解答用紙再現サイト。

 恐らく私が本番でデバフをくらわなかったのは、本番に即して演習していたからだとも思われる。(下振れしてなくて不合格なのだから正真正銘の不合格ということになる)問題もわざわざPDFから冊子にして、計算スペースの広さも合わせ、有機をどの余白でやるかも計画していた。解答用紙は上のものを印刷し、本番と同様数学は裏表で上下が逆なのまで再現するという狂気の沙汰である。まあこれくらい拘って良かったと間違いなく思える。


 以下は本番の実況中継である。臨場感溢れ、ドラマティックなこと間違いなしだ。描出話法的になっているのでそこは注意。

第一科目 国語

 試験開始のチャイムがなり、いよいよ東大入試が始まったかと興奮する気持ちを抑えつつ問題を確認。第一問現代文、第二問古文、第三問漢文か、古文で日記は内輪ノリがきつそう、などと考えつつ、いつも通り漢文からスタート。1行目を読み、本系の話か、まあ良くある展開。とりあえず先進もう。後半が??なものの、まあ満点を取る試験ではない、所詮受験生、分からないことはあって当然と開き直り、解答を確定させ古文へ。『讃岐典侍日記』か。修学旅行の讃岐うどんは絶品だったなー、と馬鹿なことを頭に浮かべスタート。中盤丸々意味不明主語決定不能であったが解答には1問ほどしか影響しないスバラシイ作問でことなきを得る。そして現代文は日本人であれば問題ないので根性で鎮め試験終了のチャイム。

 解答用紙回収後の空白の40分(*11)を耐え抜き昼休み。灘とか桜蔭の人がそれぞれ集まって談笑していたが、耳を傾けて得することはないとの判断で無視する。弁当を食べ、トイレは混んでいたので人数の少ない別の階のものを利用した。席に戻り真読の大般若を頭の中で流せるほどの悠久の時を経ていよいよい試験監督が入ってきた。


*11 解答用紙の枚数を本部かなんかで確認する時間だろう。この時間試験問題をパラパラめくることも可能だが、絶対に、決して、努努、終わった科目の反芻はしてはならない。帰宅後も油断大敵で私は数学でtの範囲を抜かしていることに気づき叫びそうになった。試験後のこの時間は私は周りを威嚇できるよう微笑むことを心掛けた。


第二科目 数学

 もう試験前の緊張が半端じゃない。理三は数学がかなり重要なのでここが勝負所。しかしプレッシャーをかけすぎるのは好きでなく、まあ0完しなきゃいいだろくらいのマインドで臨んだ。ちなみに私の解き方は最初に6問全て眺めて、やりやすそうなやつを前半に、計算脳筋問題を中盤に、最後は根性で考える、という風にやっていた。あと1問分に最大で連続35分しか書けないことに決めていた。後で戻るのはやっていたが、連続でやるのは他の問題を圧迫するので危険。

 そしていよいよ試験スタート。全問に目を通す。第4問、第5問あたりは自分と相性が良さそう。しかし私はここで自分を信じられなくなった。統計上は東大数学は第1問が簡単である。しかし過去問演習を通して、自分の好きなやつやった方が上手くいくと実感していた。むしろ最初からやると失敗することが多かった。だが私の自信は統計の前に屈し、1,2,4,5,6,3の順にやることに決めた。

 運命とは非常に面白く、第1問は統計通り易問とされるもので、過去問演習通り私は計算が合わず、二次曲線の回転だの意味わからないことをしそうになるが、まあそんなもんか、くらいに思って第2問へ。

 第2問は⑵をみて雰囲気的にπ/8だろうなと思いながら、ケアレ・スミス氏の介入を防ぐべく慎重に計算する。はいあざす、π/8。最後の積分はかなりだるそうなので後回しにして、第4問へ。

 第4問、⑵のパラメーター分離臭がすごいな。⑴はまとめノートで死ぬほどやった接することの言い換え、幾何的考察、円なら法線、D=0、共通接線置く、f 、f’の値などなど色々思い浮かべつつ、瞬殺。⑵に進むも計算がだるいこれも途中までやり後回し。

 そして第5問の体積。あんまり動き回らない落ち着いた立体で安心。普通に瞬殺。(場合分けを一つ抜かしてるとは気づかない)そして第6問に行く前に先ほどの計算借金を返済した。ここですでに自己ベストに近く(実際はそうでないのだが)そして残り25分。

 第6問は皆あまり触れないだろうと、早々に見切りをつけ当たり前のことだけを書いて1点くらいもらって第3問へ。

 これが功を奏し、第3問は⑴は作業ゲーで終わり。⑵は根性。そして⑶の漸化式をやっているうちに試験終了のチャイム。多分易化だとしてもちゃんと取り切れただろうと思い笑顔で試験を終える。1日目の他人の出来ほど興味のないものはないので、会話が耳に入らぬよう超ダッシュで駅に向かう。さっさと寝て2日目に備えた。

第3科目 理科

 これも試験前の緊張がやばい。合計で80点超えたことすらないが、まあやることやるだけだと腹を括って試験開始。私は物理66分化学84分でやっていた。化学にかける時間をこれ以上減らすことが不可能で私にはこれが限界であった。物理が得意なら物理60分化学90分でも良いだろう。話は逸れるが、理科は両方中途半端にできるよりもどちらかが尖っていた方が学習は捗る。なぜならそのできない1科目に勉強を集中させられるし、しかも試験時間をそちらに多くかけれる。私は物化共に中途半端で最悪だった。

 さてまず全ての問題に目を通す。まず物理第1問シンプルそうな力学。第2問、コンデンサーとバネ、これはキツそー。第3問ドップラー、典型題っぽそう。次に化学。第1問エステル合成と糖類。「2行以内で」??縦割りできない…。しかも構造決定消えたし作問チーム変わったのか。第2問しっかり目の無機か。第3問ヘンリーの文字が見え、計算地獄を覚悟。電離平衡はシンプルそう。

 物理は1,3,2の順でやることに決める。さて第1問。典型題だが緊張で計算が遅くなる。なんとか終わらせIIへ。⑵頭がこんがらがるが適当にやりIIIへ。⑴⑵は瞬殺だが、それ以降意味不明。諦めて第3問へ。最初の方はいいが、⑷で若干の違和感を覚える。試験中の何かがおかしいは絶対おかしい、のだが仕方なく進む。IIは適当につまみ食いして、まあ俺の物理はこんなもんだ。むしろ東大入試物理がよく作問されてる証拠ぐらいに思って化学へGO。

 さて化学。私は天地がひっくり返っても有機から解く気はないので理論、無機から手を付ける。理論、無機の大問は得点の解答時間比例性が見られるが、有機は強靭なパズル力と推理力がない限り、得点はall or nothingになりやすいため、中盤でやっている。取り組みやすそうな第2問から。Iやはり取り組みやすい。反応式は怪しいが大方すませIIへ。ヨードチンキなんか美味しそうなど訳の分からぬことを考えながら解き進める。反応式がまた上手く組み立てられない。沈殿は原子量の表的にAgClしかないだろう、2022年の過去問の尿素の推定の問題の経験が役に立ち、過去問演習の大切さを噛みしめる。コは解き方は分かるが選択肢を絞れず自分の対数勘にたよる。

 少し話がズレるが、東大理科は問題数が極めて多く、全てにキッチリ答えるのは当時の私の実力では不可能であったから、ともかく取れるところを一つも落とさない覚悟で臨んでいた。これは全ての科目に言えることだ。私の同級生で文科一類に1.14点差で落ちた者、理科三類に1点差未満で落ちた者を知っている。あの問題を解いてれば、リスニングの選択肢変え解けば、彼らの気持ちは私に想像する権利などないが、想像を絶するだろう。だからこそ、たとえある程度東大入試が解けるようになってきても、取るべき所を解くハングリーさ、貪欲さは絶対に失ってはならない。stay hungryはいいがstay foolishは困る。1点1点が運命を分けるのだと肝に銘じて、姑息でもいい、無様でもいい、取れる点数をもぎ取られねばならない。話を戻そう。

 シは時間的に無視。意外とこういう問いが瞬殺できることが多く、全て問題を確認できないのは、詰めが甘い証拠だと自分を戒めながらも時間に縛られ第3問へ。

 Iのアは瞬殺。イも時間はかかるが解き切る。ウはわからん。エはなんとか解く。IIへ。オは直前講習でやったが復習してなくて結構焦る。キ、ケは解けたが残りが自分の知っている解法がうまくはまらず足掻いているうちに試験終了。感触としては午後の英語次第といったところ。

 昨日同様昼を過ごし、トイレ巡りをし、席に着き、教室に響き渡る関西弁と女子の高い声を聞きながら瞑想する。同校で理三を受けていた人はかなり真剣に参考書類を見直しており、やっぱり勉強は人それぞれなのだと実感した。よくよく考えると、この試験教室にいる人は通っている高校は様々、親の職業も違えば、家庭環境も違う。しかし今まで勉強を頑張ってきて理三に出願し、今日この場所で試験を一生懸命に受けてるということは共通している。だからこそ受験生にはどこか親近感を覚える。このような特別な物語を共有している人達と大学生活を一緒に営めることこそが、受験勉強の目的であり帰結なのかもしれない、とここにきて気づいた。思えば中学の頃の自分はどこか怖がりだった。新しいことをやるのは怖い、そう思っていた。何か自分から行動を起こすのは苦手だった。しかし受験勉強を通して、自分の弱さと向き合い多くの人に背中を押してもらい、数え切れないほどの悔しい思いをした。そのようなかけがえのない何か重たい物体で殴られるような経験が私を積極的で向上心に富んだ強い人間へと変えた。人間として成長するなど自分には縁のないことだと思っていたし、ずっとそれが連続変化していてたせいで気づかなかったが、私は大きく変わることができていた。何か一つのことに熱を注いでみるのも悪くなかったな。自分の高校生活を振り返り、自分を奮い立たせ最後の科目英語の試験に臨んだ。

第4科目 英語

 英語は本当に根性。120分集中しきるだけ。試験開始。 

 作文のテーマをチラ見して、まず4Bの和訳。ご存知の通り難化していたが、そんなのは慣れていて、動揺するに値しない。キツイながらもなんとか解き終える。

 次に頭でなんとなく構想していた2の作文も終了。紙テーマはやったことあって楽勝。(*12)

 さて1A。プロパガンダねー。読み進めるがイマイチ構造が浮かび上がらない。とりあえずまとめたがうーむといったところ。まあ悩む時間はないのでリスニングの下読みへ。まあ普通か。そして放送開始。テスト放送で分かっていたことだが音がかなりこもっている。前の席だからいいものの後ろの方は災難だと思う。それと緊張も相まって普段通りにはできなかったがまあ大丈夫だろくらいに思って5へ。

 5は簡単すぎて拍子抜けした。語句整除もできハッピー。Cは前の方に解答箇所があること気づくのに時間がかかるも全体としては楽々。

 さて残り20分1Bを頑張って4Aは時間が余ったらやろう。しかし地獄を見る。全く分からない。今までにないほど分からない。かなり文補充はできると思っていただけに焦った。悪魔にでも襲われたのか。悪魔はラプラスくらいで勘弁して欲しい。試験終了。感触としては75点予想。空白の時間にフランス語、中国語、ドイツ語などの他の外国語の試験をパラパラ見る。分量少なすぎだろ!と思いながら解散。帰宅後は面接の練習をして寝た。面接については別記事参照。(*13)


*12 Twitterで知ったのだが、英作のもう一方のテーマの「自転車」を誤って「自動車」と撮った人がいるらしい。不注意と言われればその通りだが、これは英語の学力とは関係なく、出題者側にも責任があるのではと思った。 

*13 これもよければ読んでほしい。


§8 受験後

 もう3日目の面接を終えて家に帰った自分は完全に燃え尽きていた。ソファーで寝転んでいた。中学の時好きだったゲームをやることを楽しみにしていたが、やってみても全く面白くない。脳の報酬系がバグって問題を解くことでしか快感をえられなくなっていたのだ。そんなこんなで過ごしているうちに、徐々に色々と楽しめるようになり、ゆっくりと過ごしていた。私は後期には出願していなかったので特に勉強はしなかった。感触としては受かる確率50%だったので予備校(*14)の仮申し込みは済ませておいた。(東大のみならず、予備校からも入学を断られたら最悪だからである)ちなみに、私は試験の得点はもう試験終了のチャイムの時点で事実上確定していると思っているから、自己採点はしなかった。(流石に共テはやったが)

 3月9日は落ち着かなかった。そして

2024年3月10日正午
東京大学農学部キャンパス

「ない。」 

 このときの受験番号の離散(理三だけに)は今でも脳に焼き付いている。そこに、前後の受験番号の間に、あって欲しい番号がないのだ。あらゆることが公平な東京大学入学試験において、私は客観的、公正な判断に基づいて、不合格になったわけだ。

 それからしばらくはだらけながら過ごしていた。予備校のクラス分けテストがあるからそれに向けて最低限の勉強はしていたが、直前期のような緊張感と集中力をもって勉強するのは不可能だった。この時期の勉強については色々な意見を見た。ガス抜きに遊べば良い。/ちゃんとやれ。etc .私は1日2〜4時間やっていた。自分の最大出力20%くらいでじわじわ上げ(まあ20%あたりをウロウロしていたが)開講から70%くらいで夏から100%、冬には120%くらいに上げていこうと思っていた。ところが、衝撃的な投稿を見つけた。浪人経験者の予備校講師が、さっさとやれ。目が開いてる間は勉強しろ!、と仰るのを拝見した。胸を刺された感じがした。勿論この時期に勉強した方が成績は上がるかもしれないが、私にはきつかった。本当に色々な意見があったが私は徐々に調子を上げることを選択した。最長時間勉強すれば良いというには理論上の話である。私は浪人は1日が勉強メインとなる初めての経験であるから、現役の延長として捉えてがむしゃらに勉強するのではなく、浪人としての新たな勉強法を確立する必要性を感じていた。ともかくガス欠を起こさないよう3月はゆっくりした。


*14 駿台お茶の水3号館EX東大理系演習で1年間やることに決めた。


§9 前期一本という決断

 少し疑問に思った方もいるだろう。何故こいつは理科三類しか受けてないのか。何故滑り止めを受けなかったのか。1つの要因は高3の夏休み明けに遡る。ある友人から「防衛医大受ける?」と聞かれた。試験の練習になるし、全範囲から出るからモチベーションにもなる、悪い話ではないなと思った。デメリットでいえば倍率が1次で8倍くらいあるから、不勉強だと普通に落ちる、ショックはそれなりにあるということだ。私の周りでも落ちた人がかなり多かった。しかしそれに落ちるやつが理三を志望する権利などないと思い、受験を決めた。

 ここまでの章で話したように、私の勉強生活は無計画を極めていたから、対策は1週間前に開始した。そして過去問を解いてみるとかなりハードなのである。私の学力が低いのもあるが、それに加え普段の勉強と防医の2つをこなさなければならないのがストレスだった。その分受かった時は自分の実力が認められた気がして安心した。

 受験計画を立てる際、私立医、具体的には日医、順天、慈恵、慶医が候補だったが日程と場所てきに日医は確定(結局受けないが)だが他はうーむ、だった。担任にも保留と伝えた。そしていよいよ共テ後理三へ出願した。ここで私は思った、

東大理三以外を受ける意味があるのか

 この頃にはもう理三以外興味がなかった。私立医に落ちるのが怖かったという自分の弱さの結果でもあるが、防医の経験も加わり、理三一本にした。落ちる覚悟はしていた。基本自分にしたいことをさせてくれる親だが、今回ばかりは難色を示すかと不安だった。それを裏切り親は全面的に支援してくれた。本当に感謝しかない。これが一応の説明であるが、やはり自分の理三に対する思いの占めるところが最も大きい。最後にそれを語っておく。


 私が小学生の時、テレビに出ている理三の学生が抜群の頭脳を披露していた。かっこいい、そう思った。同時に、自分はそうはなれない、とも思った。自分にはそんな傑出した才能はないと思い込んでいた。時は流れ、私は高校生へとなった。高2の時は京医くらいかとある程度自分の進路を定めていった。中学、高1での学力の伸びは著しかったがそれでも理三は夢物語だった、いやそう思い込んでいた。この自分で作った壁は高2の冬の担任との面談で揺らぐこととなった。その結果として壁は破壊され、夢物語は夢へとなった。そして東大入試直前期はその夢は自分の目標へとなっていった。 

 「夢は近づくと目標に変わる。」この青臭くて大嫌いだった言葉を今なら自信を持って言える。これを言えることがどれほど尊いか、この命題が真であることを自分の努力により証明して初めて分かった。夢物語だった理三は今は私の目標になっている。他ならぬ自分の鍛錬により私は変わることができた。本当に嬉しかった以外に形容する言葉が見当たらない。私にとって理三は終着点でもなければ、通過点でもない。自分の存在証明の場なのだ。その証明の過程で得られるものは一生役に立つ抜山蓋世の人間力である。これは受験についてよく言われる、「受験のときのことを思えば今なんて大したことない」っていう日が来る、などということでは断じてない。その過程で得たものは将来の苦難との比較対象になるものではなく、自分の血となり肉となるのだと、私は思う。

 「努力は裏切らない」という言葉がある。努力により以上のように目に見えないものは手に入るかもしれないが、結果というものはそうもいかない。試験で裏切られた経験は枚挙にいとまがない。私はこの言葉を真とは思わないが信じようとしてはいる。努力の尊さは、それが結実しなかったとき、他ならぬ自分の手により自身に無能の烙印が押される可能性を孕んでいることにあると思う。「努力は裏切らない」深い言葉である。




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