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インターネット人生

この日記のだいぶ初期のころに友人のライティング&デザイン事務所から仕事を回してもらっているという話をしたと思うんですが、その会社を立ち上げた友人であり現在の上司である人が電撃大賞の最終選考に残ったそうです。おめでとうございます。

村谷由香里です。
noteをご覧いただきありがとうございます。

前にも話したけど、上司はわたしの最古のインターネットの友人で、最初にコンタクトを取ったのはわたしが13歳、彼が15歳のときでした。2001年とかですね。
まだインターネット黎明期で、SNSなんてない時代。当時今のSNSと似た役割を果たしていたのが大型チャットサイトでした。
わたしたちが覗いていたチャットサイトの名前はもう思い出せないんだけど、たくさんチャット部屋があって、掲示板でもコミュニケーションが取れるようになっていた。

彼が頻繁に出入りしていたのは詩の掲示板で、わたしは彼の詩がすごく好きだったんです。今でもいくつかそらで言えるくらい。熱狂的なファンになったわたしを彼があの当時どう思っていたのかはわからないんですが、そのうちチャットサイトではなく、お互いの個人サイトに行き来するようになりました。詩も小説も、お互いの黒歴史はだいたい見たかな……。

お互いの大学受験期とかは全然連絡取らなかったんだけど、個人サイトでやっていたことがmixiに移り、ツイッターに移っても交流は続き、2014年にはじめて2人で会いました。出会ったときから考えると実に13年越し。横浜トリエンナーレを一緒に観に行ったんだよね。

わたしは当時何を書いても一次落ちを繰り返す絶望的な状況だったんだけど、彼はずっとわたしの作品の数少ないファンでいてくれた。「そんなに褒める?」って思うくらいわたしの作品を好きでいてくれたのは、彼とsumikaのじゅんちゃんくらいだった。

「村谷由香里がどうにかして文章で生活できるように」と彼がライティングの仕事を依頼してくれるようになったのが2017年。わたしは彼のおかげでライターになり、そして翌年、メディアワークス文庫賞の受賞に至り、「ゆかりちゃんを追って自分ももう一度本気で文章を書いてみたい」と彼が半年かけて書いた作品が、今電撃の最終選考に並んでいる。

村谷由香里の人生には常に池田明季哉という人物の手が差し伸べられていたんだけど、13歳だったわたしに「きみたちあと18年したらこういうことになるよ」と話しても、きっと信じてもらえないだろうと思います。

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