日記2023年7月①

妻に「無意味な生だ」と言ったら大袈裟だ、疲れているのだろう、と言われた。なんて正しいんだろうと思った。

久々に研究室で作業をしたら2時間かそこらでヘトヘトになってしまい、翌日の午前中までぐったりであった。いかにもうつ病という感じだ。自分はなんてダメな医者なんだろうと思って布団の中で丸くなっていたら夢を見た。祖母が健脚を披露して一直線に駆けていた。自分は夢の中では走れないんだよなあと思いながら私は夢の中で寝た。夢の中の夢で陸上トラックに立ち、スタート台に足を乗せ、白線に手を合わせる。クラウチングスタートから前傾姿勢で飛び出し、スパイクの先をトラックに噛ませ、脚を伸ばし、蹴り、逆脚で着地する。またつま先でトラックを掴み、脚を伸ばし、蹴る、跳ぶ。普段、夢の中ではこの脚の回転が重く、遅い。脚が動く感じが全然しない。寝ているから身体感覚が伴わず、頭の中の設計図だけで脚を動かしているから、手書きの文章みたいに動きが遅い。しかしながら、夢の中で見る夢の中では違った。脚がぐんぐん回る。トラックを掴む、伸ばす、蹴る、跳ぶ。スタート直後のフォームを確かめるように前傾して走っていたら80メートルほど過ぎていて、上体を起こして爪先とふくらはぎのバネで走る体勢にシフトする。そのまま100メートル走り切る。80メートルも加速し続けたのだからかなり速かったに違いない。夢の中のさらに夢だと走れるじゃないか、と思ったときには目が覚めていた。

村上靖彦さんは夢で駆動する身体を、リシールの用語を受け継いで「空想身体」を呼ぶ。今までの私の経験からすると「空想身体」はどうやら元々の眠っている肉体の感覚とリンクしている部分があるようだ。特に走る歩くといった身体感覚のフィードバックが重要な動作は難しくなる。動作に対する身体の応答がないのだ。肉体をゼロ地点とすると、夢の第1層で働く「空想身体1」の動きの一部は肉体0の応答に規定されている。肉体0は睡眠によって弛緩しているから十分に応答せず、「空想身体1」の動作の一部は空転し、間延びする。これが普通の私の夢である。しかし、どうやら、夢の第2層というものがあるとしたら、そこで働く「空想身体2」は「空想身体1」の応答に規定されているようである。「空想身体1」は夢の第1層でのびのびと活躍しているから、十分に応答する。そうすると「空想身体2」は「空想身体1」よりもよく動く。そういうことなのではないだろうか。映画「インセプション」でもそこまでの設定はなかったはずだ。誰かクリストファー・ノーランに教えてあげてほしい。夢の下層に行くほど身体能力が上がるかもしれませんよ、と。

起きたらちょうど買い物に出ていた妻と子供が帰ってきて、「おとーさーん、おきた?」と三歳児が顔を覗かせた。キッチンカーが出ていて、お昼を買ってきてくれた。あなたはお腹が空くとろくなことを考えないから、と妻に言われた。モリモリと食べた。夕方は妻が友人に会いに行くので子供と二人で電車に乗って時間を潰した。一番前の車両で運転席を見た。陸橋の上に手を振っている子供が二人いて、運転士さんが警笛を鳴らして手を振りかえしていた。そういうファンサが行われていることを初めて知った。親も電車が好きになる。帰路、子供がベビーカーで寝た。駅のカフェで親だけ先に定食を食べた。食べ終わる頃に子供の目が覚めて、「ドーナツやさんでちゅるちゅるたべる」というので、ミスドに行き、冷やし麺を食べた。一皿の半分近く食べた。最近は気に入った麺類を安定して食べてくれるようになってホッとしている。

また子供が熱を出した。6月の前半に一週間以上熱で苦しんだので結構がっかりしてしまった。喉に水疱ができていて今回は今流行のヘルパンギーナで間違いなさそうであった。仕事が休めなかったので翌日半日だけ私の母親を招集して看病をしてもらった。幸い今回の風邪はすぐに解熱して、朝にはもう結構元気になっていた。元気だとそれはそれで大変かもしれないが、高熱を出して泣いたり吐いたりするよりはましだろう。私が仕事を終えて午後に家に帰ると、家中のおもちゃやぬいぐるみが出ていて、一個一個、三歳児がおばあちゃんに説明してみせていたみたいだった。ご飯もよく食べたと母は言っていた。翌日にはもう幼稚園に行けたけれど、道中「まいにちつかれちゃう」とぼやいてなかなか行こうとせず、ちょっと胸が痛んだ。幼稚園は楽しいけれど頑張って気を遣って過ごしてもいる。ここで幼稚園を休ませて私が一日一緒にいてあげることもできるのに、自分の負担も考えて子供を幼稚園にお任せし、子供には頑張ってもらう。こうした朝はいつもちょっとした罪悪感を抱いて、子供を幼稚園に押し出す手が緩む。親の葛藤を子供も察するだろうから、子供も余計に覚悟が決まらないだろう。そうしているうちに幼稚園の担任の先生が来て、頼もしく、強引に、一緒に遊ぼう、体操しようと誘ってくれて、子供は渋々と、諦めなければならないことを悟っていた。皆が万全とは言えない中で、少しでもよく過ごそうと、仕組みの中で動いている。人の繋がりに揉まれながら、三歳も三十五歳も、生きている。

昼に見知らぬ番号から電話がかかってきて、不審に思いながら出ると医局長だった(医局というのは医者の集団もしくは医者のデスクのある部屋のこと。ただ医局とだけ言ったら大学病院の診療科ごとの、教授をトップとする医者の集団を指すことが多い。企業のような契約を結んでいるわけではないサークルのようなものだが、慣習的に医局から関連病院に医者を送り込む人事権を握っている。医局長というのはその人事を決めたりする人だけれど要は調整役で、権力があるようで全くない、上からも下からも色んなことを言われてとにかく苦労が多い役職)。今の医局長は私が大学3年生で初めて精神科を見学させてもらったときから私のことを知ってくれている人で、体がデカく子沢山の熱血だがとても優しい人である。こういう人物を医局長に据えるあたりがうちの医局の一番いいところだと思う。話は逸れたが、とにかく急に電話がかかってきて、今医局員の状況を把握するために順番に面談をしているところで、会える日はないかということだった。じゃあ今日はどうですか、と話が進んで、夕方会った。

医局長室で、今大学院生で休学中で復学しつつあること、今の研究は進めつつもこの論文化が間に合わなくてもすでにある業績で卒業することはできそうなこと、大学院生として苦労しているところ、指定医とかの資格はどうしようかということ、などなどそれなりに時間を割いてもらって話した。ところで、こういうときに私はうつ病だから「最近の調子はどうですか」と訊かれるのだけど、いまだにしっくりくる答えができたことがない。最近で言えば、大きく見れば一番悪いときよりも良いのは確かだが、月単位で見たらあまり睡眠の調子が良くなく、週単位で見たら先週から引き続きあまり良い気分ではないのだが、日単位で見ると週の前半よりも良かったりする。そしてこの「良い/悪い」というざっくりとした表現も、何を基準に言っているのか自分でも不明だ。結局「まあまあです」と答える。医者というのはだいたいにおいて患者の調子が「悪く」さえなければよしとするので、「悪い」状態については詳しく考えるけれど、患者が「良い」と申告するような状態についてはよく知らない。一般に「健康」よりも「病い」のほうがパターン化しやすいということもあり、だから医者というものが成り立つのだろう。うつ病に限らないと思うが、病気を持っていたりあるいは妊娠していたりすると、自分の体の存在を忘れることができない。自分の体が大丈夫かということを気にしないで何かをするということができない。さっきまでよかったのに気がついたらダメになっている。体に翻弄される。その奔流をたまたま思った場所まで泳ぎきれれば「調子が良かった」と言うかもしれない。けれどそれは思ったように動けたことを意味しない。どうにもならないなりになんとかなったみたいです。そういう感じではないだろうか。

「調子はどうか」と訊く側と訊かれる側には大きな隔たりがある。しかしそれでいいのだろうとも思う。医者も患者が自分の体をどう受け止めているかというところまで操作しない。「調子はどうですか」というきっかけに対して患者が何を話すかということを知れればまずはよしとする。「まあまあです」と答えたこの人はまあ普通に気にかけながら様子を見ていればよさそうだ。それがわかればまずはいい。社会的に合理的な方向に進むとはそういうことなのだろう。患者は霧の中で細い吊り橋をふらふらと渡っているようなもので、本人にしたら怖いし必死なのだが、なにも医者まで吊り橋に乗っかる必要はない。余計に揺れる。医者は安全な場所にいるからこそ目が曇らない。吊り橋が怖いということなんか忘れ去っているからこそここまでおいでと言い続けられる。問題を小さく捉えるからこそ怖いところを踏破できる。案外そんなものなのだ。

医局長には資格なんていつからでも取れますから大丈夫ですよと言われ、実は医局長自身も事情があって苦労した人で、私のような者のことも実際に手間をかけてサポートしてくれることを知っているので、大変に安心した。医局長は聞いてもいないのに自分の子供の近況を報告してくれた。翌日には今度は大学院の教官とミーティングをして、あれはどうなってますか、こっちはどうなってましたっけ、と確認をしているうちに、自分でも忘れていたのだが、休学前に結構下準備の作業を済ませていたことがわかってきた。なんだ結構いい感じじゃないですかと教官も言って、たしかになんか十分できそうな気がしてきた。なんかこれから色々とできるような気がしてきて、今のところは安心している。まあこれがいつ崩れて「無意味な生だ」とか言い出すかわからないのだが。

あと最後の単位をとるための履修のことで色々わからないことがあったので、すぐ学務で聞いたら解決した。というか次の履修登録期間まで手がつけられないことがわかった。こういうのをすぐに訊くスピード感を維持できているのはいい。「調子がいい」というやつだ。

妻が仕事なので金曜の夜は子供と二人だった。親の片方がいないと子供もつまらなそうというか、気を遣って一人遊びをしている。私がもっとバリバリと遊んであげられる親だったらよかったのかなと思わないでもないが、家がある程度退屈な場所であることは普通ではないかとも最近は思うようになった。

子供のヘルパンギーナがうつったみたいで私も軽く咳と痰が出るようになってきた。子供のほうはすっかりよさそうなのでよかった。こうやって家事をしながらブログを書いたり同人誌を作ったりすることのほうがなんだかメインの活動みたいなつもりになってきて、だからこそ研究活動とか仕事が楽に回っているのだと思うけれど、ブログと同人誌のことは医局長には言っていない。

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