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noteは思考のアーカイブ

昨今、なんでも記録を取ろうとする傾向がある。どこかに旅行に行った時は風景を撮るし、誰かとご飯に行けば料理ではなくその人を取りインスタのストーリーに投稿する。

正直そのような人たちとは分かり合えないと思っていた。しかし、noteを毎日も書くことは、自らの思考をアーカイブしたものでもあり、本質的には同じことをしているのかもしれない。

僕は旅行に行ったら写真の映えを気にして何度も撮り直すより、1秒でも長く目の前の風景を見ていたい。連れと飯に行けば、料理とかは正直どうでもよくて、ただ会話をしていたい。

もちろん、写真を撮ってくれる人は必要だと思うし、その人の行為を否定するつもりは全くない。ただ、自分ではわざわざやらないよなーって思っていた。

しかし、彼らからみて、私がnoteに毎日投稿するということは同じくらい理解不能なことではないのだろうか?

わざわざ、その日にあったことを振り返ってあーでもない、こーでもないと悩みながら、何か捻り出して記事を投稿する。こんなにめんどくさい行為があるだろうか?

どちらの行為も、生きていくために必要なものではない。写真やnoteを見返さなくても普通に生きていける。

なんでこんなめんどくさいことを私たちはするんだろう?意義があるのだろうか?意義なんかなくてただの暇つぶし?

分かりません!というか、そんなの分かりたくもありません。ただひとつ言えるのは、もはや書かなきゃ気持ち悪くなってしまうということなのです。

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