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もし毎日投稿を辞めたら?と考えてみる。

最近、noteを更新するのが苦しいと感じるときがある。今のところは、謎の義務感に駆られて辛うじて途切れないでいる。

少なくとも今年は続くと思う。でも来年は、就活なら何やらで忙しくなると思うし、どうなるかわからない。

そもそも自分にとって毎日投稿とは何なのだろうか?本来、投稿するときには、何か伝えたいメッセージがあるはずだ。しかし、自分の場合、投稿するために何かを捻り出す段階にきている。

毎日投稿を辞めるということは、捻り出す作業を辞めるということでもある。捻り出すとは、何気ない日常から、何かしらをアウトプットすることだ。

その行為は苦しくもあり、楽しくもある。自分の過ごした1日の中から、言葉として残せるものごとがあるのはシンプルに嬉しい。

と思うと同時に、もっと伝えたいメッセージがあるけど言語化できずにいるモヤモヤもたくさん存在する。

毎日ではなく、2、3日に一度ならどうだろう?伝えたい時にだけ書けば、noteのクオリティーが上がるだろうか?言語化できないモヤモヤを言語化できるだろうか?

しかし、noteの下書きだけ書いて次の日に持ち越すのはなんか引っ掛かる。実際、下書きに保存している記事はいくつかあるが、ほとんどはタイトルだけだ。

自分は決められた時間で一気に書く方が向いている。3日間かけてひとつの記事を書くのは向いていないだろう。

自分にとって、毎日投稿とは習慣だ。いい記事が書けたとか書けないとかはどうでも良くて、何か捻り出すという習慣なのだ。

毎日投稿を辞めるということは、習慣を1つ失うことになる。その時間を代わりに埋めてくれるのはなんだろう?

もしYouTubeをダラダラ見る時間が30分増えるだけなら、毎日投稿を続けた方が100000000倍マシだ。

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