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私とCCIEその2(Voice編)

私とCCIEその1(プロローグ~Routing and Switching編)では、勢いに任せて私のCCIEへの最初の挑戦について書きました(笑)

この勢いがあるうちに、今回はCCIE Voiceについて書いてみようと思います。

カバーの写真は、本当に若かりし頃の写真です。顔パンパンやな。。


1.サービスチームからトラブル対応チームへの異動

「一生Voice野郎になってもらうから」という片道チケットを手渡され、まずは経験値を上げようとVoice関連の障害対応チームに異動となりました。

最初に私が所属していたサービスチームというのは、お客様のシステムに対してシステムや技術の観点からコンサルティングを行ったり、新規で導入するシステムの設計や構築を行っていました。

当然ながら有償です。お相手は本当に名の知れた大手企業ばかり。システム規模もどでかいものばかりです。なので、それなりの技術力と経験をもっていなければ務まりません。

にもかかわらず、チームにはVoice関連の技術、特にIP電話システムがわかる人が誰もいませんでした。

社内を見てみると、経験豊富なVoice関連のエンジニアが集まっていたのはトラブル対応チームとセールスエンジニアチームでした。

今後IP電話システムのサービス対応をやっていくためには人を育てるしかない、ということで、トラブル対応チームに異動してレベルを上げようという判断だったようです。

実はこの異動、人事からの組織変更の案内メールで初めて知る、という電光石火の対応でした。

前職がガチガチの日本企業で、異動のときにこんな経験はなかったので、

「これが外資のやり方かーー!」

と思ってしまいました。いやー、あれはびっくりしたなぁー。

まあ、この後いろいろかなりすったもんだあったのですが、異動となりました。

2.トラブル対応チームでの修行の日々

トラブル対応チームは、サービスチームとはまた雰囲気が違い、お客様から連絡のあったVoice系のトラブル対応を淡々とこなしていく技術者集団という感じです。

最初はなにもかもが新しいことばかりでわからないことだらけ。当時のメンターさんはとても若いエンジニアさんだったのですが、モタモタやっていると

「何やってるんですか!お客様は困ってるんですよ!」

と厳しい指摘がガンガンとんできました。すごく鍛えてもらったなぁー。

そんな環境にもまれながら、Voice関連技術の知識とスキルを身につけていきました。

3.CCIE Voiceトラックの登場

実は、私がトラブル対応チームに異動したとき、CCIEで存在していたトラックというのは確か以下の3つだったと思います。

・Routing and Switching
・Security
・Service Provider

ちなみに、昔は以下のようなトラックもあったのですが、私がCiscoに入社した時点ではもう試験はやっていなかったんじゃないかな。現役エンジニアで知っている人たちはもういないかもなぁ。

・WAN Switching
・SNA IP
・ISP Dial

とにかく、まだCCIE Voiceというトラックはまだ存在していませんでした。

そのトラックが開始されたのは2003年の秋だったかな?(こちら参照)

発表されたときには、「自分たちのトラック」ができたんだ、と盛り上がりました。

これはもうとるしかないでしょう!とさっそく勉強に着手しました。

3.筆記試験への挑戦

筆記試験に関しては実業務などを通じて比較的知識が蓄積されてきていたこともあり、Routing and Switchingのときのように6回もかかりませんでした。(2回だったかな?)

そしてそのままラボ試験勉強に入りたかったのですが。。。

トラブル対応をしながらサービス担当したある某金融系企業の大トラブルに巻き込まれてしまい、なんだかんだで結局ラボ試験に発挑戦するのは筆記試験に合格してから期限が切れるぎりぎりの1年半後となるのでした。

4.ラボ試験会場は海外・・加わった高い高い壁

ラボ試験に挑戦するのは、トラブル対応チームでの修行を終え、元のサービスチームに戻ってからになりました。

ラボ試験を行うにあたって不可欠なのは実機の練習環境です。

ここでも幸いラボ試験用の環境を(もう無理やりに近いですね)用意することができたので機材に関しては困ることはありませんでした。

ただし、前回と大きくことなるのは、当時CCIE Voiceのラボ試験を受けられるのはアメリカのサンノゼとベルギーのブラッセルのみ。要は海外での受験になるのです。。。

ここで初めて海外受験を経験したのでした。

会社の旅費の関係で受験地はサンノゼ。外資の会社に入った人はみんな英語が大丈夫という印象があるかもしれませんが、実は全然そんなことありません。

読み書きはできても会話となるとからっきし、という人が結構多いのです。

それで仕事が成立するかって?

はい、します。お客様は基本日本企業なので、読み書きができていれば困らないのです。

海外との電話会議などは、周りにしゃべれる同僚がゴロゴロいるので、その人達がやってくれるんですよね。

はい、そんなもんです。

話を戻しますが、ただでさえ苦手な英語の試験をしにいかないといけないのに、加えてネイティブと会話をしなけりゃならない。

一人でレンタカーを借りてホテルに泊まり、一人で試験会場に行って帰ってくる。

全部自分でやらなければなりません。

不安だらけです。

慣れた人にしてみればどうということはないかも知れませんが、私にとってみれば初めての海外一人旅。

とてつもないプレッシャーのもと、試験に臨んだのでした。

5.サンノゼへの渡航

不安だらけでしたが、

成田からサンノゼへの飛行機での移動>レンタカー>ホテルチェックイン

と、割合トラブルなく進んでいきました。会話も一発では聞き取れないので何回か聞きなおすことになります。片言ですがなんとかなりました。

せっかくCisco本社にきたので、少しだけ周囲を散策します。

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Ciscoのロゴも昔のものですね。なんか懐かしいな。

会場も把握し、ホテルに戻ります。

問題は食事。一人でレストランに行く勇気がなく、ルームオーダーにしました。

ただよくわからないのがチップ。

日本の同僚にチャットです。ルームオーダーのときのチップはどうしたらいいのか??

アメリカ生活の長かった同僚が丁寧に教えてくれ、なんとか食事にありつけました。

まったく、チップなんて知らないよ、面倒くさい。。

そして試験前最後のチェック。

これまでまとめていたノートをひたすら見返します。私は、ノートに書く派です。

直接書かないと脳に刺激が伝わらないと思っているからです。

時差ボケのせいもあってか、まったく眠れません。


試験当日の朝。時差ボケのせいで、一睡もできていませんでした。眠くはないですが、異常に目がギラギラした状態でのスタートです。


6.1回目のラボ試験挑戦、変わらぬ高い壁

朝食は、Lab会場に行く途中にあったCarl's Jr.というファストフード店です。そこでポテトを頼み、むさぼりながら会場へ。

ちなみに、フライドポテトは、メニューには「Fries」と書いてあります。

最初意味がわからなかったのですが、「French Fries」の略なんですね。(ほんと、こんなレベルだったんですよ。あはは。。)

CCIE受験者にはおなじみ、サンノゼのBuilding Cへ到着。

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中に入ると既に何人かいました。すると試験官からいろいろ話しかけられます。

緊張していることもあいまって、ほとんど何をいっているのかわかりません。「Voice?」と聞かれたことだけはかろうじてわかったみたいな精神状態ですw

海外のラボ会場は、エアコンが効きすぎていて寒いと聞いていたのでフリース持参です。これは大正解でした。

試験開始後問題を見て唖然。自分の準備不足を最初の5分で痛感したのでした。

それでも何とか食らいついてやる、と意気込みましたが最初の基本的なところから躓き、1回目の結果は散々でした。

試験が終わり、もう結果を待つまでもなくこれはだめだな、という感じでした。ホテルに帰ってすぐ、問題を思い出し、メモしていきます。

次の日の朝、失意のまま帰国しました。なんとも強行スケジュールです。

成果としては、あまりしゃべれなくてもなんとか一人で渡米して帰ってこれるんだなってことでした。

7.自分との闘いアゲイン、2回目の挑戦

そんなこんなでRouting and Switchingのときと同じような、自分との闘いがここから始まります。

何がだめだったのか、自分ができていなかった問題の分析を行っていきます。

Voiceの試験では、直接機械にコマンドを入力するスタイルの設定だけではなく、Webブラウザの画面を使った設定があるため、設定の反映にどうしても時間がかかります。

なので、効率よい設定順序を考えないと時間が全く足りないこともわかりました。

それらをふまえて、勉強と共に、設定そのものの練習を行います。いかに短時間で設定できるか。

まるでアスリートですね(笑)

そして、夢の中でも試験の設定を行うというモードに突入していったのでした。

そして2回目の渡米。今回は結構自信を持って試験に挑みました。

問題を見て、「これはいける!」と感じました。

ただ1点だけ、もしも出題されたらそこは最初から捨てる、と決めていた問題が出てしまいました。

練習で設定した時、どうも動作がおかしくなるのです。

またその設定を一度やってしまうと、元の状態に戻すのにはものすごく時間がかかってしまうのです。そのリスクを考えれば、その問題は捨てると決めたのでした。

なので、少し「ついてないな」とも感じました。

設定は順調に進みます。大きなトラブルもありません。問題の意味がわからないところはたどたどしい英語でしたが試験官に質問し、食らいついていきました。

試験が終わった段階で、正直「いけた!」という手ごたえをもって帰国しました。

フライトの関係上、結果は日本に帰国したタイミングでないとわりません。

そして成田に到着して早速確認。

結果は、「Fail」。


正直、これまでのCCIE挑戦の中で、最も頭が真っ白になった瞬間だったと思います。本当に自信があったので。

私は打ちひしがれて帰宅しました。

8.退路を断たれた3度目の挑戦、そして歓喜

けど、いつまでもへこんでばかりもいられません。3回目の挑戦です。

見直しを改めてしてみると、結構勘違いをしていたり、誤った設定をしてしまっていたことが判明し、結果がFailであったことに納得できました。


「あー、Routing and Switchingのときと一緒だなあ。。」


ここから死闘がはじまったのです。おそらく、このころの私はかなり「話しかけるな」オーラを出していたと思います。

それだけCCIEに集中していたのです。

今の会社に入って一緒にずっと仕事をしてきた同僚がなんと2回で合格してしまったということが追いうちをかけ、プレッシャーはさらに重くのしかかります。

そして感じます。


「次で決めなければ明日はない。」


知識をふやすことはもちろんなのですが、それに加えて、いかにコンフィグスピードを上げるかというのが課題となっていました。

何度も何度も設定の練習を繰り返し行います。


そして3回目の挑戦。またやってきた、サンノゼのBuilding Cです。

実はこの試験が終わった後、脚の手術をすることが決まっていたため、ある意味この試験で合格できなかったら、次の挑戦がかなり先になってしまうことがわかっていました。

自分的にはかなり追い込まれていました。

問題は、過去2回と比べてそれほど難しくはありません。

いける。いけるぞ。

設定は順調に進みます。

しかし、後半になって機器の調子が悪くなり、IP電話機の電源が突然切れたり、サーバのレスポンスが悪かったりします。

まずい。

そして、終了10分前に、ある設定をまるまる忘れていたことに気付きました。

顔面蒼白になりました。

しかし、このとき、「神」が降りてきました。

驚くほど落ち着いてその設定を入れ切ることができたのです。

結構なボリュームの設定を投入する必要があったのですが、入れ切ることができたのです。

ただ、動作確認の時間はもはやありません。


そしてタイムアップ。

試験終了後、試験官から「どうだった?」と聞かれ、今回は絶対に合格していると思うということ、この後脚の手術をしないといけないので後がないことなどやや「泣き落し」みたいなことも言ってみました。(まあ、それが有効とはとてもおもえませんがw)

それくらい必死でした。


もうその後は結果が出るまで気が気ではありません。すべてがうわの空です。


そして運命の結果。

「PASS」。

初めてです。試験に合格して、周りなど気にせず雄たけびを上げました。


「うぉぉぉぉぉぉぉぉっ!!!」

そして次に押し寄せてきたのは安ど感。

これまでの苦闘の歴史が走馬灯のようによみがえってきます。

「これで苦痛から解放される。」


本当につらい闘いでした。

9.CCIEによって証明されること

CCIEというのは、そのトラックの知識を持ったエキスパートの証明であることは言うまでもありません。

今でもこのときの勉強によって培われた知識と経験が私の大きな大きな基礎となっていますからね。

加えてより感じるのは、

「合格するまで努力し続ける忍耐力を持った人の証」

ではないかなと考えています。

その人には必ず「何かをやりとげる持続力、忍耐力」が備わっていると思うのです。

こちらがCCIE Voiceの盾です。なんか、ダブルホルダーになった、っていうのを実感しました。

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私とCCIE Voiceについてはここまでです。

ちなみに、わたくし一応もう1個持っておりまして。。。。

あまりメジャーではないのですがCCIE Storageというのも持っています。(もうこのトラック自体は終了してしまいました。資格そのものは有効ですよ!)

ただ、CCIE Storageに関してはあまり特筆するべきこともないんですよね。。。

どちらかと言えば、試験会場への旅程トラブルとか、そういったことの方が多かったんですよねw

その3書くかどうしようかなぁ。考えておきます。

それではまた。

#日々感謝 m(_ _)m

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