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こんなぼくでも。

今日、打合せの帰りに神社に詣ってまいりました。
こんなぼくでも。神社に詣りますと身が清められた気分になります。

神社やお寺に詣りますといつも思いますのが、お寺や神社という場所は何か不思議な雰囲気と申しましょうか、街中にあっても空気が違うような気がします。

神社には神社の、お寺にはお寺のそれぞれ違う空気が流れているように感じるのです。

これでもぼくは信心深いほうで…お寺や神社に詣でるのが好きなのです。
御朱印などを集めることはしないのですが…
旅行に行けば、たいてい寺社仏閣には訪れるように計画を立てます。

数年前、劇団で『合宿』と称して参りました京都では、やはりたくさんの寺社仏閣に参りました。
上賀茂神社、下鴨神社、車折神社、東寺、西本願寺などなど…

また、小学生時分の修学旅行以来に訪れました日光東照宮もここ数年で忘れられない参拝の一つです。

さらに、去年のお正月には鎌倉に劇団員総出で訪れ、鶴岡八幡宮に詣でました。

こうした住んで居るところ以外の土地の寺社仏閣は、たとえ複数回参ったとしても、やはり見るものすべてがなにかこう、「普段とは違う」ものを感じてしまいます。
京都の東寺に詣でました時には‥‥当時ものすごい雨が降っておりましたが‥‥建物(金堂、講堂、食堂)の中は外の天候とは無関係に厳かな、それでいてどこか安心できる空気が流れていたのを今でも思い出します。

ぼくは、今日詣りました氏神様の他、神奈川県横浜市にある皇大神宮、水天宮にはお正月の初詣を含めて機会があることに詣でます。
また菩提寺にも月に1回くらいは行くようにしております。

これは住んで居る場所の近所だからということもありますが・・・
ぼくのようなぐうたらな人間は、こうした場所に参ることによって、少しでも自分の気持ちの緩さを戒める必要があるのかな、と思っています。

以前の記事にも書きましたが・・・ぼくは今以上に非常に自分勝手な人間でした。
例えば何かの行列―――ATMなどの待ち行列などがあって、前の人がモタモタしているともう・・・イライラが止まらないほど小さい人間でありました。

今日も氏神様の手水舎まで歩を進めますと、神前には一人の女性がお祈りをささげておりました。
ぼくが手水をはじめ、終わったころにもお祈りをしておいででした。
以前のぼくであれば・・・もうこの瞬間に嫌な顔をして、イライラしていたと思います。

たぶん、2分くらいお祈りをされていたでしょうか。
人も多く訪れる時間ではありませんでしたので、お一人でゆっくり神様にお祈りをささげておいでだったのでしょう。
ぼくが神前に進まずにまっておりましたら、女性がお祈りを終え、お辞儀をして神前から離れる時にぼくを認められました。

女性はハッとされたような顔をして「すみません、お待たせしてしまって」と仰っておりました。

ここで「いえいえ、そんなことないです」というような気の利いたことを言えないぼくは・・・「こんにちは~」と言って変わって神前に向かいました。

昔のように嫌な顔をしなくなった分・・・少し成長したかな、と思いました。

少し話が逸れましたが・・・
ぼくはこうした神社やお寺に詣るということを大切にしていきたいと思っています。
もちろん、お願いもすることはあると思いますが‥‥ぼくにとっては、どこか迷いをとってくれる場所であり、自分の行動を見つめ直すきっかけをあたえてくれる場所のような気がしてならないのです。

世の中には色々な宗教があります。
日本にもそれらの施設はたくさんあります。
神社、寺院、教会などなど…呼び方は様々ですが・・・神様や仏様がいらっしゃるところというのはやはり、空気が違うように感じます。
それぞれに空気感というか…雰囲気は違うと感じています。
それが街中にあっても、山中にあっても…独特な、どこかぼくの心の中を見透かされているような、荘厳でそれでいてどこか懐かしいような空気があるように思います。

そういう空気を感じるからこそ、人は心の中で「お願い」もするでしょうし、ある種「正直」に心の中で何かを思えるのではないでしょうか。

ぼくに学はありませんので、詳しい事は書けませんが、宗教の多くは「普段の生活」についても、その姿勢や戒めを説いていることも多いかと思います。
そうした「説教」は言葉は違えど、人として生きることについてのヒントがたくさんあると感じています。
どの宗教が優秀でどの宗教が良い、とかではなく・・・
現代に生きる人間として、悩みは少なからず誰でもあると思っています。
そうした中で、神前で首を垂れる、仏様の前で手を合わせるというのは心が落ち着きます。

ぼくは本当にだらしのない人間ですので・・・ちょっとすると生活が乱れます。この記事を書いている翌日、明日にでも、今日神前でお祈りしたこともケロッとわすれて…自分に都合の良い考えに戻ってしまう、そんな人間です。

けれども、少しだけでも、ほんの少しだけでも・・・首を垂れたり、手を合わせる事で・・・自分を省みることはぼくにとって非常に大切な時間だと感じています。

こうした時間を意識し始めてから行くようになった神社や寺院は、それまで、「お祭り」や「法事」「初詣」の場所から”特別な場所”になりました。

もちろん、「ああ、お願い聞いて~」と思わない事はありません。
今でも「お願いです!」と自分勝手にお願いすることは多いです。
それでも…「省みる時間」を意識してから、ぼくの心の中で変化が起きたことは事実です。

こんなぼくでも身が清められた、省みる時間が持てる寺社仏閣という場所はぼくのこれからの暮らしの中でも大切にしたい場所です。

舞台演出家の武藤と申します。お気に召しましたら、サポートのほど、よろしくお願いいたします!