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共通の言語を持つ。

舞台演出をしていて、「言葉が通じない」だとか「言っている事が伝わらないなぁ」と思ったことはここ最近はあまりありません。

しかし、以前は「言っている事がなんで伝わらないんだ?」と思う事が多くありました。
それは、俳優さんや他のスタッフとの『言語』が共通化されていなかったからです。

▼共通の言語

共通の言語と言っても別に”共通語”を使いましょうですとか”標準語”を使いましょうということではありません。
どの仕事でもそうだと思いますが、その業界に特化した”専門用語”があると思いますし、会社毎の文化、組織ごとの文化というものがあると思います。

演出術のマガジンで何度も出てくる「演出目標」というものがあります。
これは作品をつくる時にその作品に関わる人が目指す共通の目標です。これも「共通の言語」の一つだと考えています。

ぼくは舞台演出をしていて、外国語を話す人と舞台を共に作ったことはありません。しかし、モノカキの仕事やシステムの仕事では外国語を喋る方と仕事をした経験があります。(ぼくは外国語はほとんど喋れません。)

ではどう言ったように仕事をしていったのか・・・
それはその外国語ができ、且つ、日本語ができる人に間に入ってもらって通訳をしてもらいながら進めていくわけです。

しかし、当事者同士が直接言葉を交わせない状態ですから、仕事上で何度も行き違いや考えのくいちがいが出てきます。
ではどうしたら良いのか。

その時は「定義」をしっかりと決めていきました。
仕事で使う言葉や道具、考え方にしっかりと定義を定めていきました。
こうすることで仕事上の行き違い、考えのくいちがいを極力おさえていきました。

舞台演出する時もこの「定義」を決定するのともう一つの方法で考えのくいちがいや行き違いを減らすようにしています。

▼定義する

実はぼくは世の中で「定義する」というのは懐疑的な部分があります。
例えば「日本人は〇〇だ」とか「武藤は〇〇の性格だ」と言ったような定義(っぽい)ものです。

これは一見、まとまっているように見えてそうではないと考えています。
これは定義とはおおまかにはある言葉(事柄)の意味あいを決定することであり、その「定義」を聞けば誰もが納得することであると考えているからです。

つまり「定義」されたモノに誰も疑義を持たない普遍的なモノが「定義」だと考えています。

より多くの人がそう思うからといって「定義された」とは考えていません。

しかしながら。
狭い範囲、つまり組織や会社、友達同士・・・劇団、プロジェクト内では「定義」はスムーズなコミュニケーションを図るために便利なものです。

ですので私が舞台演出をする際は、言葉や事柄の定義を俳優さんや他のスタッフと決めておく事で、作品創りを円滑に進められると考えています。

なぜ、「定義」をするとコミュニケーションが円滑に進むのか。
前述の外国語を話す方の例と違うのは、母語が日本語同士でもどうしても生まれ育った環境や、芝居を勉強してきた道程で少しずつ差異が出てくることがあるからです。

たとえ、日本語を話す同士でも他の業界や他の組織と打ち合わせする時にそれらの文化をお互いに理解していないと・・・打ち合わせに何時間費やしてしまったり、あまり相互理解が得られない場合があるのではないでしょうか。

これは同じプロジェクト、同じ組織にあっても同じことだと考えています。
同じ作品を創る人々同士だとしても・・・
「これは常識でしょ」ということが他の人にはあまりそう捉えられていなかったり、逆に自分がまったく知らなかったことを他の人は知っていたりする場合もあったりします。

こうした事で時間が過ぎていくのはもったいないので、予め事柄や言葉には「定義」をしておくと作品創りが円滑に進んでいくと考えています。

▼文化をつくる

もう一つの方法は「文化をつくる」ということをしています。
これは「定義」をすることよりも時間がかかります。

端的に言えば活動する時間、共に作品をつくる仲間・同僚・同志が居なければ成立しません。
つまり活動していくうちに「独自の文化」を作ることです。

これは「こうする」ということでなく、活動する時間が長ければ長いほど、醸成されていくものだと考えています。
この記事は「演出術」のマガジンに入れていますが、演出家の演出術というよりも組織としての考え方に近いかもしれません。

組織は活動していく中で独自の文化が勝手に出てきます。

ラーメン・集合・オヤジ・たてつけ・ヤマト・軍艦・演出目標・・・
これはぼくが所属している劇団新和座の公演や稽古の際に飛び交う言葉です。これは他の劇団さんやお芝居の養成所などではまったく通じません。といいますのも、これらはぼくたちが活動していく中で生まれた言葉であり、他の業界で使う言葉ともまったく違う意味合いで使っています。

こうした言葉や行動は時間・人間・空間がそれぞれ創り出していくもので、その組織以外では通じないものです。
しかし、その組織が仕事を円滑に進めていくために生まれてきた文化であるとぼくは考えています。

▼業界用語

どの業界もそうだと思いますが、業界用語というものが存在します。

例えば、演劇の世界では『わらう』とは『道具を片付ける』の意味ですが、一般的に『わらう』とは『笑う』という意味で使われる事が多いと思います。

また『マチネ』や『ソワレ』という言葉もあります。
これはそれぞれ、概ね「昼公演」「夜公演」の意味で通っている事が多いと思います。

ぼくはこれらは、劇団の稽古や広報の際にはあまり使いません。
それは、ぼく自身がこうした文化を大事にしないという考えではなく、前述した「定義」があいまいであるのを恐れていたり、母語でない由来のモノは間違いが多くなるのではないかと考えているからです。

もちろん、一切使わないというわけではありません。
個人的な仕事の場合、お客様によってはエビデンス、ファクト、アサイン、コンセンサスと言った言葉を使いますし、舞台演出をしていても『人形』『介錯』『ではけ』と言った業界特有の言葉を使う場合があります。

しかしいずれの場合もその仕事、作品に携わる人が同じ定義を持っている場合は使うということを心がけています。

お客様に新和座の作品を広報する場合は、より多くのお客様に読んで頂く為に、広く「定義」されている言葉を使うようにしています。

▼ここ最近は・・・

最初に『舞台演出をしていて、「言葉が通じない」だとか「言っている事が伝わらないなぁ」と思ったことはここ最近はあまりありません。』と書きました。

これはまた別の機会にも書きますが、お芝居については、不肖ぼくも、仲間・同志が何を求めているかなんとなくわかるようになってきていますし、仲間・同志もぼくが何を考え、何を求めているか分かってもらえるようになってきた、ということもあります。
これは定義もそうですし、活動していく中で文化がどんどん熟成され、進化しているのだと考えています。
もちろん、この文化をつくるのは時間が必要でした。
ですので、「ここ最近」は通じないということがあまりなくなってきました。

先ほども申しました通り、文化が醸成されていけばいくほど、熟成されていけばいくほど、コミュニケーションは深くなり、考えの相違や行き違いはすくなくなると感じています。

じつは、「演出家のいう事が正解」という考えがぼくはあまり好きではありません。これはぼくの性格が大きく起因しているのですが・・・「他の人の仕事まで口を出したくない、めんどくさい」という思いが強いからです。
ですのでオーダー(依頼)や演出目標は出しますが、目標達成の方法、仕事のやり方にはあまり口を出しません。

ですので、定義についても舞台演出家のぼくが言っている事が正解とは思っていませんし、一部合わせてもらうことはあるにしろ、同志・仲間と共に定義は創っていくものだと考えています。

ぼくごときが求めている事をわかってくれる俳優・スタッフ、仲間・同志に心から感謝を申します。

舞台演出家の演出術としてはこうした「共通の言語」を定義と文化の形成を図ることでより深いコミュニケーションがとれ、円滑に作品創りが進められると考えています。

舞台演出家の武藤と申します。お気に召しましたら、サポートのほど、よろしくお願いいたします!