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守り、破り、離れる。

昨日、新和座の松井ともみのツイキャス配信を聞いていて、非常に感動したことがあった。
ぼくが今までやってきたことは間違っていないと改めて感じたし、不肖武藤、お弟子さんが何人かいるのだが、その一人の発言からこの「守破離」を改めて感じたし、更にまた・・・松井をはじめ新和座の仲間と共に作品を創りたいと強く感じた。

※松井のツイキャス配信(8/17)です。お時間ある時にきいていただけると嬉しいです。

▼守破離とは

ご存知の方も多いかもしれないが、守破離とはもともとは、日本の茶道や武道などの芸道・芸術における師弟関係をあらわした言葉である。
Wikipediaによれば・・・

もとは千利休の訓をまとめた『利休道歌』にある、「規矩作法 守り尽くして破るとも離るるとても本を忘るな」を引用したものとされている。

修業に際して、まずは師匠から教わった型を徹底的に「守る」ところから修業が始まる。師匠の教えに従って修業・鍛錬を積みその型を身につけた者は、師匠の型はもちろん他流派の型なども含めそれらと自分とを照らし合わせて研究することにより、自分に合ったより良いと思われる型を模索し試すことで既存の型を「破る」ことができるようになる。さらに鍛錬・修業を重ね、かつて教わった師匠の型と自分自身で見出した型の双方に精通しその上に立脚した個人は、自分自身とその技についてよく理解しているため既存の型に囚われることなく、言わば型から「離れ」て自在となることができる。このようにして新たな流派が生まれるのである。
(中略)
守:支援のもとに作業を遂行できる(半人前)。 ~ 自律的に作業を遂行できる(1人前)。
破:作業を分析し改善・改良できる(1.5人前)。
離:新たな知識(技術)を開発できる(創造者)。

とある。
ぼくは昨日の松井の配信でこのことを強く思い出したのだ。

▼ぼくの修業時代

ぼく自身、未だ道半ばであり、修行は続いていると考えている。
ただ、少しばかりの経験があり、幸運なことに先生という立場を与えていただいたこともあり、お弟子さんがいる立場になった。
こんなぼくごときに…と思うのだが、これはまた別の機会に書こうと思う。

今日はこんなぼくの、役者時代。芝居を始めたころの話だ。

今から思えば、守破離でいうところの・・・守りもしなかった役者時代だった。無論、今舞台演出家としている以上、教えていただいた先生方の教えが基盤となってはいる。
これも別の機会に書くが、色々な教えややり方が世の中にある中で、自分の中にスッとはいってくるものに出会うのはものすごい幸運だとぼくは考えている。

話を戻して…役者時代に先生からの教えを守らないまま、自分勝手好き勝手なことをやっていた。
教えてもらったことを中途半端に理解し、または曲解し…「俺には俺のやり方がある」という自惚れた考えで役者の仕事を行っていた。
半人前のまま「破」をしようとしていたからうまく行くわけがないのだ。

基盤がないから、1回2回うまく行ったとしても・・・失敗すれば・・・深い迷いの森にはいってしまう。
思えばこの迷いの森から出られなかったから役者を辞めたのだろう。
拠り所がないから、バックボーンもない。
理屈がないから、うまく行った理由も行かなかった理由もわからない。
だから、一度スランプに陥れば・・・「戻す」術を持たなかったのだ、いや、わからなかったのだ。

そしてぼくはスタッフへの道に進んだ。
この時師事していた先生が道を示してくれたのだ。
この先生の教えも役者時代の先生の教えも…今のぼくの基盤になっている。
ぼくはその時、「守」を”はじめて”行っていたのだと思う。

役者を辞めたぼくは、スタッフの作業を覚えて行った。
向き不向きはあったけれども、照明、音響、道具、装置・・・(衣装だけは不器用なので…数回だった気がする)を勉強していった。

演技はなまじ喋れてしまうから…「自分でもできる」という自惚れがあったのだろう。
しかし、照明や音響は機器の準備、回路の理屈、音の理屈がわかることはもちろん、操作する機械の仕組みなどなどを一つ一つ覚えて行かないと、「結果」を出すことができない。
だから、「破」なんてことをできるわけでもなく、「守」をしていくだけで精一杯だったのだ。

▼武藤くん、自分の考え方を

ぼくの話はまたいずれ書くかもしれないが・・・
スタッフになってしばらくした後、師事していた先生から「演出補」としての役割を与えられた時から舞台演出家の歩みが始まったように思う。
その後、機会をいただき、舞台作品を演出することがあった。

その時にこの「守破離」のお話を聞いたのが始めただったように記憶している。
こちらの記事にも書いたが、「演出家は選ばれてなるもの」という話を聞いたのもこの時だ。

この時、先生は「武藤くん。選ばれるためにも、自分のやり方・考え方をみつけていかないとね」というお話をされた。
ぼくは当時バカだったので(今でもだけれども)どこか「正解のやり方」を求めていた。
―――。
不肖ながらも弟子を持つ立場になって思うが・・・この時先生は「守」ばかりのぼくに新しい挑戦をしていってほしいと思っていたのではないか。

▼破り、離れる。

先生のお言葉を聞いて、しばらくは仰っていた意味がわからなかったが…ある時、壁にぶつかったのだ。
「先生のようにうまく演出、俳優やスタッフに伝える事ができない」
ということに。

その時、先生にも相談したし、先輩や同輩にも相談した。
しかし返ってくる答えは「いや、うまくやっている方だとおもうよ」というものだった。

そんな時に、後の新和座の仲間となる人々と出会う「専門学校」の講師の仕事を得たのだ。
ぼくは、その時「舞台演劇」、特に演技を教えるということだったので、舞台演出家の観点から、先生方の教えをほぼ、そのまま伝えて行った。

ぼくが初めて演技をならった先生の教え。
声優養成所の先生の教え。
ぼくにスタッフの道を示してくださった先生の教え。

とある時、専門学校の講座の準備を進めている度に、こうした教えを・・・舞台演出家の観点、視点から見ると・・・「あれ?」と思う事に出くわしたのだ。

役者の視点から見る事と舞台演出家の視点から見るのとでは正反対まではいかないけど、矛盾があることがあるのだ。
さらには、「作品創り」という側面と「演技を磨く」という側面とでは同じやる事でも微妙に方法や考え方が違うように感じはじめていた。

そうした時にあのお言葉を思い出した。
「選ばれるためにも、自分のやり方・考え方をみつけていかないとね」

ぼくが講座を進めていくうちに・・・
おぼろげだった「自分自身の理論」が少しずつ組み立て出された瞬間だったのかもしれない。
更に言えば、『教えて、初めて理解した』事も多かった。

そして、「学校の先生」をしている時に一番大きかったのは、「生徒に教えられる」事が多いのだ。

もちろん、それまでの経験も先生方の教えもある。知識もそこそこあった。
しかし、そこに「自分の理論」はまったくなかったに等しかった。

だからこそ、この「自分の理論」が組み立てだされた瞬間が分かった時、ぼくは非常に嬉しかったし、怖くもあった。
役者時代の自惚れがまた現れたかと怖くなったし、ぼくの先生以外から学ぶ事に非常に嬉しさを感じていた。

▼離れてみて・・・

こうした「自分の理論」が少しずつ組み立てられ、ぼく自身、劇団新和座の立ち上げ、公演を積み重ねていくうちにさらにその理論が書き変わり、ある一面では強固になっていくことを感じた。

こうした理論はぼくの人生観や仕事観にも影響を与えているし、理論もぼくの人生観や仕事観から生まれている部分ももちろんある。

「自分の理論」が組み立てだされた当時の怖さというものはどんどん薄らいでいった。
なくなったわけではない。
ただ、新和座の仲間、スタッフ・俳優にもお客様にも少なからず選ばれていることがぼくのこの「理論」を更に変化させ、強固にしていくのを感じる度に喜びの方が大きくなっているのだ。

▼ぼくのイメージで・・・

ぼくの見た目のイメージやこうした文章、物言いでよく勘違いされるのだが・・・
「武藤は自分のやり方・考え方以外認めない」
というモノがある。

そんなことはない。方法はいくらでもあるし、考え方はいくらでもある。だからどれを選択するかはその人の自由なのだ。

さわさりながら、お芝居を始めたての人に対してはある程度・・・強制や、定義してしまう事はある。
しかし、それでも「他の先生のやり方・考え方の方がみんなにあっているかもしれない。ぼくのは一つの考え方だから」ということを付け加えるのは忘れていない。

そうなのだ。指導者の立場としても、ぼくのやり方が一番とは思ってはないのだ。
そりゃあ、舞台演出家の端くれだから「ぼくの作品」は一番だ、と言ってほしいという気持ちがないわけではない。
しかし、ぼくの考え方・やり方が正しいかどうかは・・・ぼくにとって”だけ”正しいのだ。

▼松井のツイキャスで・・・

話がだいぶ、ぼく自身の話になってしまったが・・・
昨日の松井のツイキャス配信で、彼女が学生当時、ぼくが伝えたことを松井自身の言葉で「自分の理論」にして体現し、リスナーの皆様に伝えていた。

ぼくはこれを聞いた時にとても感動した。
ぼくのやってきた事は間違っていなかったし、やはり「守破離」が生きているんだな、と強く感じたのだ。
教え子である松井が当時のことを思い出し、それを自分の言葉、自分の理論にしている事に松井の努力と成長を感じたと同時に、上記のようなことを思い出した次第なのだ。

新和座の仲間はそれぞれ、「自分の理論」を作り始めているのかもしれない。それはとても喜ばしいことだ。

ぼくはどんな仕事でも、プロになればなるほど、経験を積めば積むほど「自分の理論」を持つようになると思っている。
松井をはじめ、新和座の仲間はぼくよりも若い。
だからこそ、今、「自分の理論」をたくさん構築しているのだと感じている。

教えを守るだけでなく、自分の理論をつくり、そして、自分の技を開発していく。
それぞれがそうすることで、更に新和座の厚みが増すように感じている。
今はコロナ禍で活動しにくい状況だが、一人一人が「自分の理論」を持つことで更にプロフェッショナルな集団への一歩ずつではあるけれどもちかづいているのではないか、と昨日の松井のツイキャス配信で強く感じた。

▼ぼく自身の守破離

とはいえ・・・ぼくも未だ道半ばで修行の身だという思いがある。

もちろん、先生の立場をする時もあるけれども。
ぼくも今一度、守破離の意味をかみしめて・・・ぼくの先生の教え、生徒たちに教えられたこと、今の仲間に教えてもらったことを大事に守り、それを自分の理論に構築し・・・自分の新たな理屈、理論を創っていこう。

守破離。
つねに、変化する時代。
千利休の言葉「規矩作法 守り尽くして破るとも離るるとても本を忘るな」にもあるように、本を忘れずに、変化を恐れず。
ぼくを演出家の道を示してくださった先生のように、不肖ではあるけれども、指導者、舞台演出家の端くれとしてぼくもお弟子さんたちに道を示せる人間になれるように。
自分の理論を組み立てて行こう。



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