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【短編小説】かわいい

3,342文字/目安6分


 朝、目が覚めてから違和感に気づくまでに、そう時間はかからなかった。
 まず一つ股間のあたり。というか股間。全然力が入っている感じがしない。自慢じゃないが俺は朝からすごい。何がとは言わんがナニがすごいのである。なのにそこにある感じがしない。
 もう一つ。寝返りの感触がなんとなく柔らかい。ふにって感じがする。
 そうは言っても違和感の正体は分からず、あくびをして、ベッドから抜け出す。カーテンを開けるとまぶしい光が入ってくる。
 そうして母親が昔使っていた全身が映る姿見の前に立って、ようやくこの違和感がなんなのかを知った。

 結論、俺はなぜか女の子の体になっていた。

 髪が長くなっている。肩幅がどうも狭い気がする。腕がめちゃくちゃ細い。足も細い。胸のところがどう見ても膨らんでいる。というか、見なくてもあるのが感覚でわかる。

 これはどう見ても女の子。そして顔。顔がものすごく女の子。かわいい。めっちゃかわいい。嘘かと思うくらいの仕上がりになっている。
 これが俺? やばいかわいさ。うわ、めっちゃタイプ。めっちゃタイプ。

 てかスタイルが良すぎる。服の上からでもわかる。何このくびれ。何この細さ。ずっと触っていられる。一生触っていたい。本当にかわいすぎる。

 というのがかれこれもう十五分くらい前のことだが、飽きずに鏡に映る俺を見る。かわいい。ていうか、今日は普通に学校があるんだけど、さすがにこの姿では行けないか。制服も学ランだし。

 ちょっと着てみるか。学ラン。

 思い立って、試着。いや、自分のなんだけど。
 なんとなく服を脱いで着替えるのは気がひけるので、パジャマのまま上から着る。パジャマと言っても上はTシャツで、下はジャージだ。
 袖を通しただけで分かるこのでかさ。肩が余る。ズボンもブカブカだ。鏡で見ると、やっぱりかわいい。何この応援団。一生懸命頑張ってそう。かわいい。

 しかし、さすがにこれを着たくらいじゃやっぱり学校には行けない。何もごまかせない。だってかわいすぎる。仕方がないので休むことにしよう。母親にはLINEを送っておく。学ランをクローゼットに戻した。

 何度見てもかわいい。マジでかわいい。肌がスベスベモチモチすぎる。何このぱっちりおめめ。鼻筋もよく通っている。輪郭はシュッとしているのに、ほっぺがぽちゃっとしている。口も小さい。アヒル口とかできたりするんじゃねえの。口角をちょいとやって……あ、できた。かわいすぎる。

 そうなると最後は全身。生の全身を鏡に映すのはちょっと勇気がいるな。試しにお腹だけちらっと出してみたら綺麗すぎて好きすぎる。おへそがそりゃもう国宝級。
 見てしまうかこのままやめるか。やけに心臓が高鳴る。緊張する。ドキドキする。自分でもびっくりするくらい恥ずかしい。自分の体のはずなのに。本当に自分の体か自信ないけど。でも恥ずかしい。うん、その表情もかわいいな。

 いや、見よう。なんだかすごくいけないことをしている気分。今はまだなるべく自分の体は見ないように、そして触らないように服を脱いでいく。上のTシャツを脱いで、下のジャージを脱いで、そして、最後にボクサーパンツを脱いだ。
 怖さと恥ずかしさで目をつむっている。もう服は何も着ていない。さらけ出してしまっている。どことなく喪失感が生まれる。隠したくなる。

 意を決して、鏡の前で、ゆっくり目を開けた。
 映っているのは一人の女の子の姿。目線を下に、直に見てみる。鏡に戻す。

「綺麗……」

 思わず声が出てしまった。てか声もめっちゃかわいい。なんという美しさ。これが俺の体か。
 一目で惚れた。同時に何か込み上げてくる。なんか変な感じ。うまく息ができない。体が熱くなる。けど嫌じゃない。
 でもなんか、なんか。立ってられない。姿勢を保てず床に手をつく。頭が真っ白になる。
 自分が。全部が。とろける。とろけそう。何かが。来そう。もっと。もっと。

 あっだめ……。

 体がびくんと跳ねて、意識がてっぺんまで飛んだ。ぼーっとする。意識が裏返る。何も考えられない。ふわふわする。びりびりする。

 しばらくして、息が荒くなっていることに気づいた。ようやく整える。
 あーびっくりした。

 服を着る。生まれて初めて見る女の子の体が自分のか。これは自分のって言っていいのか。とにかくかわいい。
 それにしても、どうしよう。理由は分からないが女の子の体になってしまった。いわゆる女体化。何度か妄想したことはあっても、いざ実現するとそれはそれで困る。もしずっとこのままだとしたら、どうなる。意識は完全に俺。これじゃ親に顔向けできないわ。なってしまったのは仕方がないが、どうしたものか。

「それにしてもかわいいな。うわ、声かわいい」

 一人でつぶやいて改めて驚いた。見た目もそうだが声もやっぱりめちゃくちゃかわいい。透明感のある優しい声。聞いていて安心する心地よい声。もしかしてこれ歌もいけるんじゃないか。
 そう思って好きな女性アーティストの歌を歌ってみる。やばい、何これ泣きそう。
 録音して聴いてみる。嘘でしょ泣きそう。よすぎる。
 心なしか最初に鏡の前に立った時よりも自分が魅力的に見える。これはこの体を一通り堪能するのがよさそうだ。どうするか考えるのはその後でいい。

 そうだ、女の子の服を着てみたい。

 思い立ったが吉日。姉貴の部屋に忍び込んだ。自分の体が女の子だから不思議と罪悪感はない。タンスを適当に漁り、自分の部屋に戻る。
 女性のファッションのことは何も分からないが、なんとなくで選んで着る。

 似合う。すごく似合う。かわいくて照れる。だけどこれじゃない。姉貴感がすごい。
 ということで、ネットで服を大量購入。自分がかわいいと思う服を選びに選ぶ。流行りっぽいものからコスプレまで。セクシー系、エロ系、アブノーマルな感じのもの。何年も前から溜め続けていたお年玉を全部使い果たした。
 届くのは後日。それまでは今ある自分の服で我慢しよう。女の子が男物を着るのは別に変じゃない。持っている限りを尽くして一人ファッションショーをスタートさせた。

 自分の服を着ると、体は一つなのにお揃いを着ている気分になる。ペアルック。俺はすっかり自分の姿に恋をしていた。どんどん好きになる。身も心も、文字通り一つなのだ。どんどん深くなる。どんどん繋がっていく。
 好きだよ。愛してる。一人で一つのまま、ずっと一緒にいよう。そう思うだけで満たされる。
 自分に身を寄せ、全身に火照りを感じながら、俺はいつのまにか眠っていた。

 夢の中まで幸せだった。
 どんな夢か、何をしたかは覚えていない。
 とにかくあったかくて、幸せだった。

 目が覚めると朝だった。体はあっけなく元に戻っていた。少し痩せ気味だけど、それなりに筋肉がついていて相変わらずナニがすごい。
 なんとなくもったいない気もしたけど、まぁ戻ってよかった。
 いつも通り学校へ行こう。男の体ならただの日常だ。一日休んでしまったのももったいない。
 そう思い、着替えようと鏡の前に立って自分の姿を見たその瞬間。心臓が大きく一つ跳ね上がった。同時にとてつもない気持ちに襲われた。

 あぁ、いないんだ。
 もういない。あんなにもかわいい、あんなにも愛した自分がもういない。
 好きだった。本当に好きだった。心の底から。
 俺もその俺も一つだったのに。ずっと一緒にいるはずだったのに。
 見えない。触れない。感じない。
 嘘だ。嫌だ。
 もう存在を確かめることができなくなった。
 好き。今も好き。大好きだよ。
 いなくなってしまった。
 消えてしまった。
 見えない。見えない。見えない。
 あぁ。

 俺は鏡にしがみついたまま動くことができず、溢れる涙を止められないでいた。
 今日も学校を休んだ。

 そうしてどれくらいの時間が経ったかわからない。また一つ夜がすぎたのか、まだ数時間くらいのものか。はたまた数分か。外が明るいから、昼間なのは確か。俺のところに荷物が届いた。

 中を開けると、自分のために選んで買った服だった。

 中から取り出して、鏡の前に立つ。上のTシャツを脱いで、下のジャージも脱ぐ。そして、買った服を丁寧に一つ一つ着ていった。

 かわいいよ。

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