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【短編小説】ある晴れた日のソラ:後編

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3,600文字/目安7分


 僕はモテない。異性と付き合った経験なんてないし、当然同性ともない。告白したことはあれど、されたことはない。そもそも女の友人が少ないし、知り合い自体も少ない。美人と曲がり角で衝突なんてもってのほかだ。そのような展開は空想の世界だけの話である。

 顔も性格もさほど悪くはないと自分では思うが、それと同時にこれといった魅力もない。当たり障りないゆえに、目につくものがない。自信もないから、積極的にもなれない。

 中学卒業の日、好きだった女性に告白した思い出がある。その子とは普段からよく話していたし、愛想よく接してくれた。勇気を振り絞って行動してみたものの、結果はノー。その子にはすでに付き合っている相手がいた。

 そうか、と思った。

 ほとんどの場合、好きになるような女性、告白したいと思える女性、そういう女性には相手がいるものだ。そして、自分にはチャンスはやって来ないのだ。出会いと別れ、ついて離れては、自分とは関係のない所で起こるものなのだ。そう結論づけた。

 僕が虜になったあの女性も例外ではないだろう。当たって砕けなかっただけマシであろう。

 だから、僕は考えるのだ。考えるだけなら誰にも知られることはない。考えて、日夜もの思いにふけるのだ。

 さて、くだらない自分語りは置いておく。少し面倒になってきたが、続きを話すとしよう。どうか、楽に聞いてくれ。

 物事は時間によって解決する場合が多い。あれからしばらく日が経って、僕はようやく落ち着きを取り戻した。自分の中で「あれは夢だったのだ」と片付けることができたのだろう。はっきり覚えていることもあれば、記憶から消えている部分もある。そもそもあれ自体が一瞬の出来事だ。いつまでも引きずる僕ではない。

 そうして一目惚れした女性のことが綺麗な思い出として整理された頃、僕はその女性と再会することとなる。

 ある日、講義を終えた僕は帰途についていた。たいていアパートにまっすぐ向かうのだが、何を思ったのか、寄り道に寄り道を重ねていた。天気が良かったこともある。なんとなく家に帰るのが惜しく、心の向くままに道を歩いたのだ。

 小さな公園の柵に寄りかかって鳩を眺め、近づいてきたところを驚かせて羽ばたかせる。老人がベンチに座って吸うタバコの煙を、ぼーっと目で追う。すぐ目の前に蜂が飛んできたので、全力で逃げる。虫は嫌いだ。すぐ近くを流れる小さな川に葉っぱを浮かべ、端っこに引っかかるのをもどかしい思いで見つめる。そして柵に寄りかかって鳩を眺め、近づいてきたところを驚かせて羽ばたかせる。

 しばらくして虚しくなってきたところで、また歩き始めた。天気がいい。虚しさすらも清々しい。公園の近くには小洒落たカフェがあり、滅多に寄ることはないが、気分が乗っていたためお茶をしてから帰ろうと決めた。昼過ぎのささやかな嗜みである。

 店は賑わっていた。窓際のカウンター席ではサラリーマンや学生がパソコンを開いている。奥のソファー席ではおそらく同じ大学の学生と思われる男女のグループ。キャッキャキャッキャとうるさい。広めに取ってあるテーブル席はカップルが話に花を咲かせている。クソが。室内は満席だった。僕はアイスコーヒーを注文し、テラス席に行くことにしたのだ。ただ、天気がいい。こちらもほとんど満席状態だった。一つテーブルが空いているのを見つけたが、向かおうとしたところで別のグループが座った。店内に戻っても席が空く様子はない。再びテラスに出てもやはり空席はない。仕方ない。座ることは諦めて帰り道に歩きながら飲もうと思ったその時、

「あの……」

 声をかけられた。
 このカフェでの出来事を僕は一生忘れることはないだろう。引き寄せの法則なんて言葉もあるが、強く願い続けると本当に実現することもある。カフェのテラスに例の彼女がいた。あの時ぶつかってしまった女性。リンゴのカゴを持っていた女性。ハンカチを貸してくれた女性。そして、僕が一目で惚れた女性。その人が、僕に声をかけたのだ。

「もしよかったら、どうぞ。相席ですけど」

 この喜びをどう表現したものか。なんというか、嬉しい。まるでこの世のすべての、なんというか、すごく嬉しい。やばい。めっちゃ嬉しい。これをどう伝えたらいいのか、自分は持ち合わせていない。めっちゃ嬉しい。めっちゃ嬉しい。幸せかよ。やったー!

 すまない。

 この時は寄り道もしてみるものだと大変喜んだものだ。ハンカチはその時もしっかり持っていた。

 僕はお礼を言って、席に座った。座ったものの落ち着かない。だってそうだろう。一瞬で僕を虜にし、恋に恋い焦がれ焦げ切ったあの彼女が僕の目の前に座っているのだから。実際には僕が目の前に座ったのだが。どうしたらいいのかわからない。何か話したい。いや、彼女は話すために席を譲ったわけではない。遠慮すべきだ。ぶつかったことを詫びたい。ハンカチを返したい。お礼を言いたい。彼女のことをもっと知りたい。あわよくば付き合いたい。

 そんなことを考え、どのくらいの時間が経ったかわからない。僕はアイスコーヒーが溶けた氷で薄くなっていくのを気づけずにいたのだ。それを知ってか知らずか、彼女は本を読んでいた。

 今考えてみれば、その時の僕はかなり怪しかっただろう。挙動不審。よく彼女は席を立たなかったものだ。しかも二回ほど目が合っている。かわいい。

 よっぽど僕が何か話したそうにしていたのか、はたまた彼女の気まぐれか。いや、彼女の性格を考えればただの気まぐれだ。彼女から話しかけてきた。夢みたいだった。自分が何を言ったのかは何も覚えていないが。ひとときの間、僕は彼女と話をした。

 彼女は同じ大学の院生だと言う。ということは二つ三つ年上。うん、ちょうどいい。周りはすでに就職してあまり関わることがなくなり、学内に友人は少ないらしい。僕も友達が少ない。そしてそろそろ就職先を考えないといけない時期に来ているようだ。境遇がまったく一緒じゃないか。休みの日は今日みたいにカフェで本を読んだり、図書館で過ごしたり、たまに映画館に行って映画を観たりするのが趣味らしい。最高かよ。

 話す内容一つ一つが、教えてくれる彼女自身の一つ一つが、すべてにおいて僕の好みとなり、それはもう運命を感じることしかできなかったんだ。

 僕は完全に彼女のことが好きになった。どうにかして次に繋げたい。そう思うと途端に彼女の話が入って来なくなって困ったわけだが、なんと連絡先まで交換し、次に会う約束まですることになった。
 なんということだ。にわかには信じがたい。

 本当に、夢のようだった。これは僕の妄想なんだと、頭の中の別の僕が何度も言う。でもこれは僕に起こる現実。現実なんだ。
「では、来週末、駅前に十時に」
 当日の集合場所で彼女と再会するまで、彼女が最後に言ったその言葉が、僕の頭の中でおかしくなるくらい繰り返されていたのだ。

 来週末、駅前に十時。

 まず、市立の図書館へ。それぞれ本を持ち寄り、談話スペースで語らう。その後はランチだ。予約をして行くようなところだとかえって気を遣わせてしまうから、カジュアルかつ穴場的なところを選ぶ。僕はその店の混雑具合を熟知しているから、並んで待たせることにはならない。腹を満たしたら公園をぶらぶら散歩する。ゆったりとした時間すら心地よく、ここらでお互い波長が合うことに気づき始めるんだ。

 会った時は離れていた肩と肩の距離が次第に近づき、だけどまだくっつくまではいかない。手と手を繋ぐには遠すぎる。それでも、お互いに同じ時間を共有している意識が強くなっていく。そういう空気感を、一緒に味わうんだ。

 しばらく歩いた後はカフェで休憩。ここで時間を忘れて話に花を咲かせるんだ。時計の進みを意識しなかったせいで、早くもディナーの時間になってしまう。もともと予定にないが、そのまま店に入り……この後は成り行きにまかせ、心のままに行動する。
 完璧なスケジュールだ。

 そして運命の当日。

 待ち合わせの時間まで十五分。駅前。到着すると、一分も待たないうちにその女性が現れた。今までにないくらいに綺麗だった。この場で思い切り抱きしめたくなるほどの強い気持ちに支配されそうになる。それを理性で押し返し、「こんにちは」と挨拶をする。かなりぎこちなくなる。彼女も同じ言葉で返してくれる。
 僕は素直に思ったことを口にする。

「また会えて嬉しいです」
「私も、今日を楽しみにしていました」

 そう言いながら彼女ははにかむ。まだ抱きしめたくなるのをどうにか堪える。あくまで僕は紳士だからね。

 そうしておおむね予定通りに進んでいき、夜、二軒目のバーに行ったあたりからさらにすごいことになっていくのだが、話はひとまずここまで、またいずれしようと思う。

 だってそうだろう?
 この話の続きはまだ考えていないんだから。

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