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【短編小説】東京タワー

2,022文字/目安4分


 東京タワーが嫌いだ。
 いろんなミュージシャンに歌にされて、いろんなところで言われている。東京のシンボル。エモさの象徴。なんだかもう量産型。
 いい歌がいっぱいあるのは分かっている。むしろ好きな曲が多い。東京タワーは悪くない。だからこそ嫌になる。思い入れのある人が本当にいっぱいいるんだ。そしてそれが響く人もたくさんいる。それが嫌なんだ。
 自分もその中の一つにされたような気分だ。
 わたしの前からいなくなった彼氏と最後にした約束も、東京タワーに行くことだった。
 だから嫌い。

 相変わらずそいつは赤くまっすぐ立っている。天まで届きそう。でも次にできたスカイツリーにあっさり越されて、それでもまっすぐ立っている。

 東京タワーが嫌い。だからこそ来てやった。上まで登って、そこからの景色を確かめてやろう。そんなにエモいか、東京タワー。一人で行ってきてやる。

【女一人旅】東京タワーはエモいのか?登って確かめてみた

 こんな感じで行こう。

 チケットを買って、上に行くエレベーターに向かう。途中にカップルが好むようなフォトスポットなんかがある。そういうところも嫌いだ。他の客と言えば家族、友達同士、社会科見学の集団。どんどん嫌いになっていく。

 エレベーターはあっさりわたしを展望台まで運んだ。ほんの数十秒。下から見たらあんなに高かったのに。簡単にたどり着いちゃうんだ。天まで届きそうなんで嘘だ。かすりもしない。
 展望からのぞく景色だって。この場所よりも高いビルはいくらだってある。遠くのスカイツリーの方がよっぽど高く見える。

 なんだ、と思った。

 これが彼氏と見るはずだった景色。せめて隣にいてくれれば少しは楽しめたのかな。何も急にいなくならなくてもいいのに。笑いあったりふざけあったり、喋ったり、黙ったり。もし隣にいたら、だいたい今くらいのタイミングで「大丈夫? 疲れてない?」って聞いてくれる。
 本当なら右側にいるはずのその顔は、いくら記憶から追い出そうとしても優しかった。

 東京タワー、ちっともエモくない。
 分からない。
 でも、あいつを思えば悪くないのかも。
 嫌うのは違うな、と思った。

 帰りは階段から降りることにした。ほんの十五分くらいのものらしい。もうここにいる意味はない。東京タワーは外から見ても赤いけど、中にいてもやっぱり赤い。下までひたすら続く階段があって、赤いフェンスで囲われている。自分までうっすらと赤く見える。
 ぐるぐるとひたすら降りていく。

 そういえばあいつ、わたしが何しても怒らなかったなぁ。わたしがやりたいことを叶えてくれる。なんでも聞いてくれる。
 さすがにわがままだったなって思ったのは……ちょっと待った。なんだか過去を清算しているようで嫌だ。でも止めようにも止められない。一段一段降りていくたび、思い出の中に潜っていく。

 温泉旅行も行ったなぁ。初めてカウンターの寿司屋に行った時は魚の名前が全然分からず、ただうまいうまい言ってたな。絶叫系が苦手なのに強がって乗ってしばらく白目むいていたり。水族館のショーでずぶ濡れになったり。
 一緒に住む家を探す時は間取りでけんかした。布団かベッドかでもけんかした。わたしが折れて布団になったけど、ふわふわの分厚いマットレスを買ったから結局ベッドみたいになった。
 海か山かでもいちいち揉めた。わたしは海派。山は虫がいっぱいいるから嫌だ。海だってフナムシがいる。
 こんなことばっかり。
 こんなことを言い合いしながら、海が近くに見える展望台で、沈む夕日を二人でずっと眺めた。

 だんだん泣けてきた。
 一段降りるたび、涙が一粒落ちていく。鼻もずるずるだ。マスクをしていてよかった。
 早く帰ろう。東京タワーの階段で泣く女なんて、見られたもんじゃない。
 わたしは降りるペースを速めた。どんどん息が上がってくる。

 あの時あいつは突然話し始めたんだ。

「東京タワーは行ったことある?」
「ないけど。なんで?」
「じゃあ行こう」
「どうしたの急に」
「上からの景色がいいんだよ」
「それならスカイツリーがいいんじゃない? 東京タワーより高いし」
「スカイツリーとはまた違うんだ。東京タワーがいいんだよ」
「何がそんなにいいの?」
「行けば分かるよ」

 そうやって約束をして、仕事に家を出てから帰ってくることはなかった。
 一人で食べる晩ごはん。広くなった布団の中。朝はコーヒーを淹れる。一人分。テレビのニュースでは若い男性が事故で亡くなったと言っている。晴れの天気予報。やたらと眩しい日差し。「ただいま」も「おかえり」もなくなった部屋。余った食器。着ない服がしまわれたクローゼット。途中のままのフォトアルバム。空っぽの指輪ケース。

 わたしはただ生きていた。

 降りた後に見る東京タワーはやっぱり、高くて天まで届きそう。
 いつか、君と二人でいつか。上からの景色を一緒に見られるように。本当の「行けば分かる」を知るために。わたしは待っている。



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