軌道修正|おもいをかたちにする仕事④
2001年9月11日、あまりにも突然その日は来て。。。
このことに触れるのは、私にとってちょっと勇気がいる。でも自分の人生を振り返った時、ここをスキップして通れない気がしてる。。。
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たくさんの尊い命が奪われ、一瞬にして大勢の人の生活が一変したあの日。
イーストハーレムに住んでた私は、朝早く、東京の母からの電話で目が覚めた。母はテレビ中継を見ながら、その一部始終を話してくれて、でも一体何が起こったのか、寝ぼけてた私には理解不能... しばらくトンチンカンなおしゃべりをした記憶があります。
6階の北向きの窓から見えるのは、気持ちよく晴れわたった空、間違っても飛行機が衝突する訳がない、と疑って当然の天気だったと思う。
テレビを持ってなかった私は、すぐインターネットを開き、
トップページにただならぬワールドトレードセンタービルの画像が上がってきた。それを見ても、にわかには信じられず、そうこうしてるうちにネット接続が切れ、繋がらなくなってしまったんです。
外に出ると、アパートの前はいつもと変わらぬ賑やかなメイン通り。
でも、なんか違う...
皆んなざわざわと落ち着かない様子で、朝だというのに店のシャッターを閉め始めてて、、、
異常な雰囲気の中を歩いて、数十メートル先の2nd Avenueに出た時、そこに見えたのは、南側の地面から空のてっぺんまでを真っ黒に覆う煙でした。もくもくとした重たい黒い雲が、このまま街を飲み込んでいくように見えたんです。
現実? それとも映画?
危機感をなかなか感じられずに、なぜか
「洗濯をしなきゃな」
と、ランドリーに行ったんだけど。。。今でも思う謎の行動です。
もしかしたら、日常でいることで平静を保とうとしていたのかも知れません。
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直ちにマンハッタンは封鎖され、
緊急車両のサイレンが鳴り続け、頭上を空軍機がものすごい音で飛んで行きました。
このままどうなっちゃうんだろう
不安、恐怖、混乱、怒り、悲しみ、、、
そんな空気が街中に充満していくのを感じたのを覚えてます。
直接的には被害を受けてない、ただそこに暮らしてた私でさえ、味わったことのない気持ちの中に沈んでいきました。
それから数日間の記憶はぼんやりと断片的です。。。
1か月が経ち、現場へ行きました。
あの匂い、光景を、うまく伝えられない。
ただ、怖くて、無力で小さな自分を感じました。
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バッグ作家として少しずつ物事が軌道に乗り始めてた、、そんな矢先に起きた出来事。
私にとっては人生の軌道修正を迫られた、大きな大きな事件でした。
次の年、帰国。
私がそのニュース映像を見たのは、あの日から約一年後。胸が苦しくなって、涙があふれ出てきました。
なぜだろう...? あの時は涙が出なかったのに。
この記事を書いている今も、涙があふれてきます。
これを書くことで、今まで思い出す事のなかった部分が、胸の奥底から出てきたからでしょうね。また少し、心の整理整頓できたみたいです。
world trade center
両親がニューヨークに訪ねに来てくれた時に、船上から撮った写真。
つづく。。。おもいをかたちにする仕事⑤
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