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写真というデータと人間の記憶

フィルムカメラを撮った後に残るものは何か。それは思い入れの詰まった写真、と現像済みのフィルムだ。デジタルカメラを撮った後に残るものは(中略)膨大な写真のデータである。日々カメラを撮る人、そうでもない人、等しくこのデータは積もっていく。たまに「結局、スマホで写真を撮っても見返さない」という話が聞こえる。私も「確かにそうかも〜」と思いつつ、これまでデジタルカメラで撮ってきた写真もそこまで振り返っていないことに気が付く。

写真という名前のデータ

多くの方はどのようにこの“データ”を管理しているのだろうか。アラサー会社員こと私は、ベタに(?)外付けSSDにアーカイブとして置いている。そうすれば、カメラ用のSDカードや編集をしているPCのストレージを逼迫させることはない。しかし、今度は外付けSSDが増えていくのだ。なので、現在は管理というよりも一時的に目を逸らしているという感覚もある。理想を言えば年に1回ぐらい、これまで撮ってきた写真を一気に削除したほうが健全だろう。

家族や友達と話していて「あの旅行は何年前だっけ?」と話題になることがある。そんな時は、最初にiPhoneの写真フォルダを開く。撮影地やカテゴリーで勝手に分別してくれているので、それを見返せば解決することが多い。人間としての良し悪しは別として、特にスマホの写真は自身の記憶の補助機能になりつつある。この補助を続けていくにはデータを残していく他ない。この理想と現実のギャップはまだ埋めれていないし、良い案が思いついていないのだ。

人間の記憶とその記録

31歳の私が「人生とはなんぞや」とは言えない。ただ、現在を生きる自分には必ず過去が存在している。ポップ音楽で『過去を振り返ってはいけない』という趣旨の歌詞がよくあって、それも1つの答えだと思う。同時に振り返りたい時に振り返ることも大事な気がしている。自宅からボロボロの写真が出てきたことがあった。そこには会ったこともない私の“ひいひいひいおじいさん”たちが写っている。何となく、こうやって家族が続いて来たんだなと感心した自分がいた。

私が“無駄”に撮っている日々の写真もいつかそうなるかもしれない。そうではなくても、例えば他意なく撮影したスナップが数年後に貴重な資料になるかもしれない。特に都心では開発が進んでいるし、景色は変わり続けている。もちろん、そうなるのは生涯撮影する写真のなかでも僅かだろう。前述のようにある時点でバッサリと過去の写真を消しても良い。それでも、人生に過去があるように今はデータを残している。そう、これが新たなSSDを買う時の言い訳だ。

これまで

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