北田 ゆいと〈2〉

進化心理学、ジェンダー論など。中庸路線。第1部はこちら:https://note.co…

北田 ゆいと〈2〉

進化心理学、ジェンダー論など。中庸路線。第1部はこちら:https://note.com/ys942/all マガジンでは公開順に並べてます。

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記事一覧

【36】ジェンダー平等、もう一つの道(2) 平等に不自由でいい

 前回触れたとおり、今世の中で「目指すべき」とされているジェンダー平等な社会像というのは主に以下の2つに集約されると思う。 ・性別に伴う困難のない社会 (「誰も…

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【35】ジェンダー平等、もう一つの道(1) ダブルスタンダードでいい

男女は同質ではない 第1部も含めてこれまで34本の記事を書いてきた。この辺りで、世に言う「ジェンダー平等」というものについての私なりの考え、その大枠を示しておきた…

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【34】性役割を本気でなくそうとしたキブツの顛末(2)

〔前回の続き〕  女性が存分に労働参加できるよう導入された集団保育制の方も長続きしなかった。1950年代以降この手法は次第に廃れていき、多くのキブツで子供は核家族に…

【33】性役割を本気でなくそうとしたキブツの顛末(1)

 前回まではやや抽象的な話が続いたが、今回は男性性や女性性(も含めた人間性)が、いかに消し去りがたいものであるかを示す具体例をとりあげたい。  一般に「男女平等…

【32】男性性も女性性も実在する 『ジェンダーと脳』批判(4)

〔前回の続き〕  2つ目の論拠からも、「幻想」だと言えるのは ① の意味での「ジェンダー」のみだろう。「脳は様々な外的要因の影響を受けて変化する」とは言っても、脳に…

【31】「ジェンダー」は幻想なのか 『ジェンダーと脳』批判(3)

〔前回の続き〕  ジョエルは『ジェンダーと脳』の後半を通して、「ジェンダーは根拠のない幻想(もしくは神話)なのだ」という立場をるのだが、これが正しいか否かは「ジ…

【30】「男か女か」という二分法の必然 『ジェンダーと脳』批判(2)

〔前回の続き〕   ダフナ・ジョエルの著書『ジェンダーと脳』、前半にあたる第1部と第2部ではこれまでとりあげてきた「モザイク脳」論について詳しく解説されており、こ…

【29】性差は無くすべきなのか? 『ジェンダーと脳』批判(1)

 今回からが第2部である。これまでとは別のアカウントで書くことにしたのだが、これは、一つ目のアカウントが男女の生物学的な差異に焦点を当てた内容だったのに対し、こ…

【36】ジェンダー平等、もう一つの道(2) 平等に不自由でいい

 前回触れたとおり、今世の中で「目指すべき」とされているジェンダー平等な社会像というのは主に以下の2つに集約されると思う。 ・性別に伴う困難のない社会 (「誰もが性別に捉われず自由に生きられる」「誰もが性別を理由に不利益を被ることがない」といったイメージ) ・あらゆる面で男女の不均衡がない社会 (「男女がどんな分野でも同じように活躍できる」「どんな分野でも男女比の著しい偏りがない」といったイメージ)  厳密にはどのような世の中を「望ましいジェンダー平等社会」であると見な

【35】ジェンダー平等、もう一つの道(1) ダブルスタンダードでいい

男女は同質ではない 第1部も含めてこれまで34本の記事を書いてきた。この辺りで、世に言う「ジェンダー平等」というものについての私なりの考え、その大枠を示しておきたい。  まず前提として私はこう思っている。 ・性別というのは人間にとって宿命の一つであり、人は自分がどの性別に生まれつくかを自分で選ぶことができない。 ・そうである以上、男性に生まれても、女性に生まれても(あるいはそれ以外の性に生まれても)誰もがそこそこ幸福になれる条件が整った社会でなければならない〈注1〉

【34】性役割を本気でなくそうとしたキブツの顛末(2)

〔前回の続き〕  女性が存分に労働参加できるよう導入された集団保育制の方も長続きしなかった。1950年代以降この手法は次第に廃れていき、多くのキブツで子供は核家族に返されていったという〈注1〉。  前回述べたように、キブツは「未開の土地に理想の平等社会を作る」という熱意を持つ人々によって創設された。ヨーロッパから移住してきた初期のメンバーは未婚の若者ばかりで〈注5〉、地理的にも歴史的にも伝統や慣習から自由なはずだった。  にもかかわらず、そのキブツにおいてさえ性別による分

【33】性役割を本気でなくそうとしたキブツの顛末(1)

 前回まではやや抽象的な話が続いたが、今回は男性性や女性性(も含めた人間性)が、いかに消し去りがたいものであるかを示す具体例をとりあげたい。  一般に「男女平等」とか「ジェンダー平等」というのは20世紀の後半から広まり始めた比較的新しい考え方だと思われている。しかし、実は20世紀の前半、これを真剣にやろうとした集団があった。イスラエルの農業共同体「キブツ」である。  私がこれを知ったのは、この連載でよく参照しているスティーブン・ピンカー著『人間の本性を考える』を読んでいたと

【32】男性性も女性性も実在する 『ジェンダーと脳』批判(4)

〔前回の続き〕  2つ目の論拠からも、「幻想」だと言えるのは ① の意味での「ジェンダー」のみだろう。「脳は様々な外的要因の影響を受けて変化する」とは言っても、脳にどこまでも無限の可塑性(かそせい)があるとは到底考えられない。変化できる幅には限界があるだろうし、変化しやすい資質もあれば、しにくい資質もあるのではないだろうか。  個人レベルで考えても、人の内面というのは、生まれ持った資質がまずベースとしてあり、それに様々な外的要因が加わって形成されていくもの、というのが一般的

【31】「ジェンダー」は幻想なのか 『ジェンダーと脳』批判(3)

〔前回の続き〕  ジョエルは『ジェンダーと脳』の後半を通して、「ジェンダーは根拠のない幻想(もしくは神話)なのだ」という立場をるのだが、これが正しいか否かは「ジェンダー」という言葉の捉え方次第であろう。  この本は全体的に話が行ったり来たりしてどうも論旨がつかみにくいのだが、私の整理ではジョエルは以下の二つの論拠から「ジェンダーは幻想なのだ」と主張しているように思われる。  1つは、彼女自身が唱える「モザイク脳」というコンセプトから。人間の脳は身体的な性別に関わらず、男性的

【30】「男か女か」という二分法の必然 『ジェンダーと脳』批判(2)

〔前回の続き〕   ダフナ・ジョエルの著書『ジェンダーと脳』、前半にあたる第1部と第2部ではこれまでとりあげてきた「モザイク脳」論について詳しく解説されており、ここまではよい。だが後半にあたる第3部と第4部では「ジェンダーというのは幻想であり、だからジェンダーのない世界を目指すべき」というラディカルな主張が展開され、読み進むにつれて「いや、そこまではついていけない… 」という気持ちになってくる。  人は男性も女性も個人ごとに多様な内面を持っているので「男性(女性)はこういう

【29】性差は無くすべきなのか? 『ジェンダーと脳』批判(1)

 今回からが第2部である。これまでとは別のアカウントで書くことにしたのだが、これは、一つ目のアカウントが男女の生物学的な差異に焦点を当てた内容だったのに対し、ここから先は「その上でどう考えるか?」という思想的な話を中心とした、かなり性質の違うものになっていくからである。興味を持ってくれる人たちの層も多少違ってくるのではないかと思う。また、noteは仕様上、記事を増やすほど過去の記事が読まれにくくなるので、これまで書いたものが埋もれないよう一区切りつけた、というのもある。