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【34】性役割を本気でなくそうとしたキブツの顛末(2)

〔前回の続き〕
 女性が存分に労働参加できるよう導入された集団保育制の方も長続きしなかった。1950年代以降この手法は次第に廃れていき、多くのキブツで子供は核家族に返されていったという〈注1〉。

 親、特に母親は子どもたちが集団で寝るという習慣に不満を高めていった。女は家族に対する思いがつのり、その結果自分自身の子どもを世話することが大きな満足であると気づくようになった。この「逆戻り」現象は今日まで続いており、キブツ内での男女の分業の程度はそれ以外の集団よりも大きくなっているほどである。〈注2〉

 キブツの子供たちは当初、異なる環境で育った子供とくらべ母親に愛着を感じる割合が低かった。これは、コミュニティの保育法について女性が抱いた大きな懸念の一つだった。キブツでの幼児に対する母親と父親のふるまいの違いも、結局のところ、ほかの文化で見られる違いを再現するものだった。つまり、父親よりも母親のほうが、世話を焼き、ともに笑い、話しかけ、抱きしめる傾向が強かったのだ。
 1970年代には、過激な反家族主義から力強い家族主義への移行がおおむね完了した。女性は男女関係の構造や家族の役割の変革において大きな役割を演じ、女性であることや母親であることの「自然なニーズ」と考えているものを踏まえて議論を組み立てた。
(中略)21世紀になると、子供を集団で寝かせるというやり方と、それに関連した習慣はほぼ廃れた。保育機能の大半は家族、それも主として女性に返還された。〈注3〉

(筆者注:霊長類学者のフランス・ドゥ・ヴァールが1990年代に、あるキブツを訪れた時のこと)

私は若い夫婦の家で、午後のお茶をごちそうになった。二人とも近くのキブツ出身だったが、彼らが子どものころは、親から離れてほかの子どもたちと共同生活をしていたという。しかしこの方法は廃止になり、いまでは子どもは学校を終えたら自宅に戻って、夜は家族で過ごせるようになった。制度が変わって良かった、と夫婦は言った。自分の子どもがそばにいるほうが、「しっくり」来るからだという。〈注4〉


 前回述べたように、キブツは「未開の土地に理想の平等社会を作る」という熱意を持つ人々によって創設された。ヨーロッパから移住してきた初期のメンバーは未婚の若者ばかりで〈注5〉、地理的にも歴史的にも伝統や慣習から自由なはずだった。

 にもかかわらず、そのキブツにおいてさえ性別による分業は消し去れず、しかも指導的な役職は男性ばかりになってしまった。また、両親、特に母親の「自分自身で子供の世話をしたい」という強い要望をおさえつけることもできなかった。

 こうしたエピソードは、これらが家父長制的な文化の産物などではなく人間という生き物の普遍的な特徴であることを示していると思う。

 職業選択における性差に関しては、第24回で「平均的に言って男性は『物』にかかわることに、女性は『人』にかかわることに興味を持つ傾向がある」という進化心理学の見解をとりあげた。
 キブツにおいても、一般の社会と同様、この傾向が顕在化したに過ぎないのではないだろうか。むしろキブツでは、初期のイデオロギーに対しての反動からか「(農業や工業などの)生産部門は男性、(看護や教育、調理、洗濯などの)サービス部門は女性」という分業体制が他の社会以上に強く定着する結果となった。

 管理職やキブツ連合の執行部など指導的なポジションが男性ばかりになったのは、単に男性の方がそうした役職に就きたがる人が多かったためであろう。平均的に言って女性より男性の方が権力欲や名誉欲が強いのだ。
 これに関しても進化心理学的に容易に説明がつく。霊長類はもちろん、哺乳類全般において、メスはいくら高い地位を得ても一度に妊娠できる子供を増やせるわけではないが、オスは高い地位を得た方がより多くの子供を残すことができる。そのため多くの種でオスは上昇志向や闘争心が強まる方向に進化していった。人間の男性も一定程度そうした傾向を備えているのである(第5~6回、第16回も参照)。
 
 母親が「より多くの時間を子供と過ごし、世話をしたい」と望むのも生物学的に全く理にかなったことである。哺乳類の多くの種ではメスがほぼ全ての子育てを担う。人間に最も近縁なチンパンジーやボノボでも同様である(どちらも極めて乱婚的な生き物なので、オスにとってはそもそも群れの中で誰が自分の子供なのかわからない〔第19回を参照〕)。
 哺乳類のメスは体内で何カ月も子供を育てた上で出産し、さらに授乳も行う。子供を作るにあたり投資する時間とエネルギーがオスより圧倒的に大きいのだ。そのため、多くの種でメスは愛情深く熱心に子育てをする方向に進化していった。というか、そうしようとしないメスは子孫を残せる確率が低くなり淘汰されていったのである(第5~6回も参照)。

 人間の男性は、哺乳類としては例外的に子育てにかかわる方向に進化し、父親も子に愛情を抱くようになった(第6回、第20回を参照)。しかし、やはり母親の子に対しての愛着の方が生物としての歴史がはるかに長く、遺伝的に強固なのだと考えられる(ジェンダー論的には「全ての女性に母性が備わっているわけではない」とか「『育児は母親の役割』というのは近代以降に作られた幻想だ」とか色々批判はあるだろうが、人間という種の平均的な傾向としてそうである、という話だ)。
 
 キブツの集団保育制は母親を家事労働から解放するにあたって、非常に効率的ではあった。しかし「人間的」ではなかったのである。


 キブツについてはもう一つ興味深い話がある。前回とりあげた通り、キブツでは血縁関係のない子供たちが共同託児所で寝食をともにしながら育てられた。これにより、彼らの間にはしばしば家族同然の絆が生まれたが、同じ託児所で育った男女が結婚することは極めて稀だったという。

 どうも、人間には幼い頃から一緒に育った異性を自動的に「(血のつながった)きょうだい」だとみなし、そうした異性との性的接触を嫌悪するようになる性質があるらしい。
 これはフィンランドの人類学者エドワード・ウェスターマークが1891年に提唱した「ウェスターマーク効果」として知られており、近親相姦を避けるためにヒトの祖先が進化の過程で身につけた本能的な心理なのだと考えられている〈注6、7、8、9〉。

 このウェスターマーク効果については、かつて台湾や中国の一部で行われていた「シンプア」という婚姻制度の研究でも、これを支持する報告がなされている。シンプアとは、男児のいる家庭が血縁関係のない女児を買い取って養育し、成人後に息子と結婚させるという制度で、宋王朝の時代に始まり台湾が経済的に貧しかった1970年代まで行われていた。
 女児を買い取った家庭は息子の配偶者を確実に得ることができたが、数千人の台湾女性の経歴を調べた研究によると、この結婚は失敗に終わることが多かったという。「女性はたいてい結婚に抵抗し、離婚率がほかの結婚の3倍に達し、夫婦の間にできる子どもの数は40%も少なく、不倫も多かった」そうだ〈注7〉。

 初期キブツの試みは、こうした意味でも「人間的」ではなかったのだ。
 

 さて、キブツは現在もなくなってはいない。やや古いデータになるが、2009年時点でイスラエルには267のキブツがあり、国内の全ユダヤ人住民の2.1%が暮らしているという〈注10〉。
 
 ただ、その内実はというともはや普通のイスラエル社会とあまり大きな違いはなくなってきている。前述のとおり、集団保育制はとっくの昔に廃止され、共同の食堂や洗濯室も1970年代以降閉鎖されていった〈注11〉。家族間の親密な絆を否定し〈注12〉、調理も食事も洗濯も育児も全て公共空間で行おうとしたキブツであったが、結局はどれも私的な領域に戻っていったのである。

 設立当初の原則であった「完全な平等」や「個人所有の否定」といったポリシーもほぼ断念されている。容易に想像されることだが、これを堅く守っていては経済的に立ち行かなくなってきたのだ。
 1980年代以降、多くのキブツが経営危機に陥り、政府の援助に頼るようになった。財政を立て直すにはキブツ自身が変わらなくてはならず、財産の個人所有が容認され、労働には報酬が支払われるようになり、企業経営が取り入れられていった。「2004年には、完全な平等共有システムを維持しているキブツは全体の15パーセントにすぎなかった」という〈注11〉。 
 2010年代からはハイテク関連やアグリテック関連のベンチャー企業が台頭するようになり、以前とは違う形で注目を集めているそうだ〈注13〉〈注14〉。


※ 2010年代(と思われる)にキブツに住んだことのある日本人によると、その人が暮らしたキブツは、どんな職業であっても給料が同じ(世帯構成に応じて支給される額が決定される)、住居は個人で所有せずキブツから与えられる(これも世帯構成に応じて大きさが決定される)、車も個人では所有せず全て共有、無料の洗濯サービスがある、など現在でもかなり平等主義的な運営がなされているという〈注15〉。資本主義的な要素が入り込みつつも、割合的には不明だが、こういった特徴を維持しているキブツもあるようだ。



〈1〉ニコラス・クリスタキス『ブループリント —「よい未来」を築くための進化論と人類史—』鬼澤忍・塩原通緒訳、ニューズピックス、2020、p.112
〈2〉キングズレー・ブラウン『女より男の給料が高いわけ』竹内久美子訳、新潮社、2003、p.72-73
〈3〉前掲『ブループリント』p.112-113
〈4〉フランス・ドゥ・ヴァール『あなたのなかのサル —霊長類学者が明かす「人間らしさ」の起源—』藤井留美訳、早川書房、2005、p.303
〈5〉鈴木真一『キブツにおける家族主義の動向』大妻女子大学文学部紀要、1984、p.2-3

〈6〉前掲『ブループリント』p.113
〈7〉ジョン・H・カートライト『進化心理学入門』鈴木光太郎・河野和明訳、新曜社、2005、p.15-16
〈8〉長谷川寿一、長谷川眞理子『進化と人間行動』東京大学出版会、2000、p.126
〈9〉ロルフ・デーゲン『フロイト先生のウソ』赤根洋子訳、文春文庫、p.203-204
〈10〉前掲『ブループリント』p.109
〈11〉前掲『ブループリント』p.114
〈12〉前掲『キブツにおける家族主義の動向』p.3-5
〈13〉ISRAERUウェブマガジン『中東の小国からスタートアップ国家へ、イスラエル激動の2010年代 Vol.04』2022.3.14
https://israeru.jp/business/startup-nation-04/
〈14〉@DIME『ニューノーマルを先取り!?旧くて新しいイスラエルの「キブツ」とは?』2020.12.28
https://dime.jp/genre/1049106/
〈15〉せかいじゅうライフ『キブツって何?イスラエルにある社会主義コミュニティーを元住民が解説』2019.10.02
https://sekai-ju.com/life/isr/culture/kibbutz/


※ 他参考文献等は第33回に記載

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