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2020/07/12 舞台「猿女のリレー」観劇レビュー

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公演タイトル:「猿女のリレー」
劇団:カムカムミニキーナ
劇場:座・高円寺
作・演出:松村武(劇団カムカムミニキーナ)
出演:松村武、山崎樹範、藤田記子、未来、亀岡孝洋、長谷部洋子他
公演期間:7/2〜7/12(東京)
個人評価:★★★★★★☆☆☆☆


【レビュー】

3月以来4ヶ月ぶりの舞台観賞。カムカムミニキーナの公演は昨年11月以来2回目の観劇。
カムカムミニキーナらしく、大掛かりな舞台装置・小道具、そして音響・照明を駆使して、歴史と神話を紐解きながら演劇の原点に迫るシナリオは、演劇をやる意味を現代に生きる我々に非常によく伝わってくるものだった。
演劇をすることは、猿女という黄泉を彷徨う者から受け継がれし、歴史を背負ったものなのだと、それを守り抜かねばならないのだと、非常に強くメッッセージ性が伝わってきた。
また、天野岩伝説や、壬申の乱、戦国時代の武田家の家臣大久保家の生き様といった神話や歴史の教養を前提とした芝居で、歴史好きには堪らない作品だった点も自分の好みに合っている気がして良かった。そして、暫く歴史に触れる機会が少なかったのでその辺りの勉強もしたくなるような、非常に好奇心を誘われる作品だった。

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【観賞動機】

前回観劇したカムカムミニキーナの公演「両面睨み節」が、神話を元にした舞台でとても興味深かったため。


【ストーリー・内容】(※ネタバレあり)

今作は、現代・戦国時代・飛鳥時代の3つの時間軸でストーリーが同時進行していき、それぞれの登場人物が黄泉の世界で繋がり、猿女として演劇のバトンを渡すというストーリー構成になっている。

西暦2020年「比良坂書店」は、書店の主人(松村武)の娘と結婚していた男一族の手によって火事となり、その場にいた日枝照子(田原靖子)は死亡、娘の浮美世(長谷部洋子)は放火した元夫一族から逃れ姿をくらました。浮美世は照子の姉昌枝(柳瀬芽美)の元に逃れるものの、男たちに見つかる。しかし、その時死んだはずの照子が現れ浮美世は黄泉の世界に連れて行かれる。

黄泉の世界には、飛鳥時代に生きた猿女の波奈備(梶野春菜)やなまこ(未来)と戦国時代に生きた猿女である猿渡光子(田畑玲実)とその娘の為(谷智恵)がいた。
飛鳥時代では、当時の帝・天智天皇から身を逃れていたオオアマ(土屋佑壱)・ササラ(藤田記子)らは、天智天皇の崩御によって若き皇太子が後を継いだと聞き、天下を横取りするチャンスだと宮廷に攻め入る(これが俗に云う壬申の乱)。しかし、天下を取ったオオアマ改め天武天皇は、普段演劇や舞を行う猿女たちを天岩戸の向こうに閉じ込めてしまう。
これによって、猿女たちは演劇を行える場所を失ってしまった。


一方、戦国時代では武田勝頼に仕える猿渡長安(亀岡孝洋)は、武田家への忠誠を誓い、猿楽として演劇を主君にお披露目する立ち位置だった。
しかし、徳川家康率いる徳川軍によって主君勝頼は滅ぼされ、徳川家への復讐心を背負ったまま月日は流れ、西暦1600年関ヶ原の合戦で西軍・石田三成側の陣営に付き徳川と対峙する。
しかし、西軍が滅んだのちは長安は長いものに巻かれるように徳川に仕えることを決意し、大久保長安と改めた。ただ、妻の光子と娘の為はこの事実を認められず、今まで続けてきた猿楽を披露できる場所を失ってしまった。

しかし、黄泉の国で浮美世は、飛鳥時代の猿女の波奈備・なまこや、戦国時代の猿楽の光子と為に出会い、猿女として演劇を続ける宿命を託されるのだった。

毎回、カムカムミニキーナの舞台を観て思うのだが、よくぞここまで日本史や日本の神話を調べあげ、それをオリジナルで織り交ぜて脚本に仕上げていくなと関心した。
そして今回は、演劇を続ける意味を日本史と神話と絡めることによって、コロナウイルスによる感染拡大の影響で演劇業界も自粛が広がるご時世に対して、演劇の重要性をきっちり伝える説得材料になっていてとても素晴らしかった。歴史・神話を織り交ぜて作品を作る意味をすごく感じた舞台だった。

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【世界観・演出】(※ネタバレあり)

カムカムミニキーナの作品は、いつも舞台装置・音響・照明・衣装にこだわっているが、今回も例外なく素晴らしい舞台美術を堪能することができた。

まずは舞台装置だが、舞台中央にはステージの上にカーテンがかかっており、このカーテンが客席手前から奥まで自由に移動させることができる。これが、天岩戸を象徴する舞台となっている。
今回特殊だと思ったのが、舞台の上手・下手に舞台裏が設置されており、客席から見えるようになっていること。これにはちゃんと意味があって、劇中で「死者は生きる者には見えないが、死者の意志による場合のみ生きる者の前に姿現すことができる。同じように、舞台も舞台裏は観客には見えないが、舞台側が見せたいと思った場合のみ観客に見せることができる」みたいな台詞が登場する。つまり、今作では意図的に舞台裏を観客に見せていることが伺える。ただ、それが何の目的があってなのかちょっとそこまでは一回のみの観劇で把握は出来なかった。

衣装も今作はとても豪華で綺麗だった。特に飛鳥時代の天武天皇の衣装やその妃・持統天皇の衣装は、とても煌びやかで印象に残った。それとあの仮面も。
それと、天智天皇の巨大な人形はとても迫力があり、且不気味さもあってすごく良かった。あの紫色の着物っていうのが良い。
また、前半終盤の海の中の亀が出てくるシーンの全体的な世界観も好きだった。あのゴツゴツした岩の感じ、亀の感じ、魚が泳いでいる感じ。とても好きだった。

照明は大きく2箇所印象に残った。一箇所目は、前半終盤の海中のシーンの青い明かり。とても神秘的な照明ですごく見応えのあるシーンだった。
2つ目が終盤の天岩戸の前で桶の上で芝居を披露し盛り上がるシーン。天岩戸伝説にも登場する有名なシーンである。黄色や紫、赤といった様々な照明が使用され、まるでミュージカルのような贅沢で豪華な賑わいのあるシーンはとても印象に残った。

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【キャスト・キャラクター】(※ネタバレあり)

まずは、作・演出も手掛け「比良坂書店」の主人を務めた松村武さん。あの演劇嫌いで堅物な感じが個人的にはとてもハマっていて好きだった。舞台上でオオアマとササラが芝居している最中に割り込んできて、「ここで芝居をするのは辞めてくれるかな」みたいな台詞で切り込んでくる箇所などは、とても印象にも残っているし笑える場面。

次に印象に残ったのは、日枝照子を演じた田端靖子さん。一番インパクトに残ったのは、仏壇から出てくるホラーシーン。あのシーンはどちらかというと、舞台美術・演出がすごいといった感じだが、あの手からグニュっと出てくる表現は好きだった。
また、割とナレーションをする役割が多かったと思うが物凄く声がハキハキと通っていて、とても聞き取りやすかった。

個人的に好きだったのは戦国時代でのストーリーで、光子・為の親子がとても良かった。特に関ヶ原の合戦時のシーンで為が西軍の者と夫婦の関係にまでなっていて、親に縄で縛りつけられながら夫を助けに行ってあげられないシーンはとても心揺さぶられた。
物凄く時代劇の醍醐味を味わえた気がする。

そして今回もパワフルなササラ役を演じていた藤田記子さん。前作と比較するとややコメディ要素は少なめだった印象。それでも圧倒的な声量で力強いキャラクターである皇后を演じきっていた。

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【個人的考察】(※ネタバレあり)

今作品では演劇の原点を、「古事記」に沿って天岩戸伝説より、天照大御神が天岩戸に隠れてしまったことから、岩戸の前で桶の上に立って演劇を披露することとしている点である。そこから猿女と呼ばれる日本古来から伝わる演者たちによって、まるでバトンリレーのように後世に託されてきたものであるということ。それを今作品を通して一番伝えたいことなのだと思っている。

昨今、新型コロナウイルスの感染拡大によって、多くの演劇活動が自粛に追い込まれ、演劇という文化そのものがなくなってしまうのではないかという懸念がなされている。「演劇の灯を消すな!」という掛け声の元、演劇業界の人間は必死で演劇という文化を守り続け、演劇活動を続けようと努力してきた。その根底には、先祖代々受け継がれてきた演劇をするというバトンリレーを途絶えさせないという一種の文化保持意識が存在するのだろう。

この作品で伝えてきた通り、いつどんな時代においても演劇は暮らしに非常に重要な意味をもたらしてきた。しかし、いつの時代も権力者たちによって翻弄されるものでもあった。
飛鳥時代であったら、天智天皇時代でも天武天皇時代においても、猿女は権力者を満足させられるような芝居をしないといけない訳で、容赦無く追放されることもあった。戦国時代でも、武田から徳川へと権力者に翻弄された挙句の果てに居場所を失ってしまう。現代においても、新型コロナウイルスの影響によって自粛に追い込まれてしまう。

演劇は時代に翻弄される弱き存在なのかもしれない。しかし、古代神話時代から伝わる長い歴史のある文化である。我々現代人は先人たちが受け継いできたバトンリレーを引継ぎ後世に残していく必要がある。
どんなに時の強き存在に翻弄されても、決して演劇の灯を消してはならない。そういった思いや願いが、この作品を通して強くメッセージとして伝わってくる。



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