見出し画像

舞台 「真夏の夜の夢」 観劇レビュー 2020/10/17

画像1

公演タイトル:「真夏の夜の夢」
劇場:東京芸術劇場 プレイハウス
原作:ウィリアム・シェイクスピア 
潤色:野田秀樹
演出:シルヴィウ・プルカレーテ
出演:鈴木杏、北乃きい、加治将樹、矢崎広、今井朋彦、加藤諒、手塚とおる、壤晴彦他
公演期間:10/15〜11/1(東京)、11/7〜11/8(新潟)、11/15(長野)、11/20〜11/22(兵庫)、11/27(北海道)、12/5(宮城)
個人評価:★★★★★★☆☆☆☆


シェイクスピアの喜劇は初めての観劇、「真夏の夜の夢」の脚本自体も未読。
シルヴィウ・プルカレーテさんという演出家の元、野田秀樹さんは潤色という立ち位置での作品であったためか、世界観が西洋のような日本のような不思議な設定だった。登場人物が迷い込む森が富士山の麓にあったり、登場人物の名前が「ときたまご」や「そぼろ」と日本語だったりと。
そして、「ファウスト」に登場する悪魔メフィストが作中で暴れ出し、そこが野田さんの潤色部分の大きな特徴で面白かった。
特に素晴らしかったのは、映像と衣装。スクリーンは透明のものが手前に一枚と奥に一枚下がっていて、その二枚のスクリーンを生かした演出が御伽噺のような世界観を見事に生み出していて十分に堪能できた。衣装も特に妖精の衣装が豪華で白いフワフワとした綿菓子のような印象だった。
メインキャストの鈴木杏さんと北乃きいさんの透明感ある演技が印象的だった。
ただ、座席が最後方でキャストの顔がよく見えなかったのが残念だった、もっと前方の座席で観劇したかった。
「真夏の夜の夢」が未読でも世界観を楽しめるが、事前に読んでおいた方がストーリーの主張まで細かく理解出来るのだと思う。

画像4


【鑑賞動機】

以前芸劇で拝見した野田秀樹さん演出の「赤鬼」が面白かったので、野田さん繋がりでもう一作品観てみたいと思い今作を観劇。今までシェイクスピア作品はDULL-COLORED-POPの「マクベス」しか観たことがなく、喜劇は初観劇だったので楽しみにしていた。


【ストーリー・内容】(※ネタバレあり)

割烹料理店「ハナキン」の娘であるときたまご(北乃きい:原作ではハーミア)は、親の決めた縁談により板前のデミ(加治将樹:原作ではディミートリアス)と婚約しておりこれから二人の結婚式が行われるところだった。しかし、ときたまごはライ(矢崎広:原作ではライサンダー)という男性に思いを寄せており、ときたまごとライの二人で結婚式の直前に富士山の麓の森へ駆け落ちすることになる。デミも彼らの後を追って森へ向かうことになるが、デミの元恋人であるそぼろ(鈴木杏:原作ではヘレナ)は未だにデミに思いを寄せており、彼女もデミの後を追いかけて森へ向かうことになる。
一方、ときたまごとデミの結婚式の余興を行うことになっていた福助(朝倉伸二:原作ではボトム)、おてもと(茂手木桜子)、氷屋(長谷川朝晴)、豆腐屋(山中崇)、酒屋(河内大和)らは、「不思議の国のアリス」の中にピーターパンを登場させることに決め、その練習を例の森で行おうと彼らも森へと向かった。その時、逆かくれみのを纏っていた悪魔メフィスト(今井朋彦)は、余興組の話し合いに紛れ込み彼らと共に森へと向かっていた。

富士山の麓の森には、沢山の妖精が暮らしていた。妖精の王オーベロン(壤晴彦)と女王タイテーニア(加藤諒)は絶賛喧嘩中であり、拾った子供を取り合っていた。オーベロンはそんなタイテーニアを懲らしめようと妖精パック(手塚とおる)を使って、惚れ薬といって目が覚めた時に最初に目にした人物に惚れ込んでしまう魔法薬を彼女にかけ、自分に惚れ込ませるよう仕向けた。
惚れ薬を持ったパックが森を歩いていると、男女が離れ離れで眠りについている光景を目にした。駆け落ちしたときたまごとライである。パックは彼らが仲が悪いものだと勘違いしてライに惚れ薬をかけた。
そこへ悪魔のメフィストがやってくる。パックはメフィストに騙されて四角い鉄の箱に閉じ込められてしまう。
目を覚ましたライの元に現れたのは、デミを追って森へやってきたそぼろであり、ライは惚れ薬をかけられて初めて目にしたそぼろに惚れ込んでしまい、彼女を追いかけることになってしまう。そぼろは何が起きたのか訳が分からず、ライによって自分がおちょくられているのだと思ってライに対して負の感情を抱く。
この光景を目の当たりにしたメフィストは、パックに変装して惚れ薬の効能を巧みに利用して悪事を働こうと決意する。

タイテーニアを眠らせ惚れ薬をかけたメフィストは、彼女を「不思議の国のアリス」の練習をしている余興組の所へ連れていく。タイテーニアが起きて初めて目にした人物は、ピーターパン役で頭と腹の位置が入れ替わってしまったボトムに惚れ込んでしまった。そこで余興組はタイテーニアをアリス役に抜擢して作品を作ることになる。
次にメフィストは、ときたまごを追って森へ入り込んだデミを眠らせて惚れ薬をかける。彼が起きて最初に目にしたのはまたしてもそぼろであり、そぼろは惚れ薬によってデミとライの二人の男性に追いかけられることになる。そぼろは、男二人がグルとなって自分をおちょくっているのだと勘違いし、彼らを恨みながら逃げ回ることになる。
一方で、男二人が完全にそぼろに夢中になってしまって独り取り残されてしまったときたまごは寂しい気持ちになってしまい、ライのことを追いかけるようになる。
そして完全にパックに成りすましたメフィストは、オーベロンの元に現れて自分がパックであることを完全に信じ込ませて信頼させ、悪魔との契約書に署名してしまうのだった。

画像3


そぼろは追いかけてくるライとデミから逃げ回り、ライとデミは逃げるそぼろを追いかける、そしてライを追いかけるときたまご。4人は共に追いつくことになるが、そぼろはこの事態に腹を立てて幼なじみであるはずのときたまごもライとデミと組んで自分を落としめているのだと勘違いして、完全にそぼろは彼らから孤立してしまう。
悲嘆にくれるそぼろの元に、悪魔メフィストが現れる。メフィストはこう囁く、「人は人に恋しているのじゃない。星だの、月だの、太陽だの、ただの石ころで着飾ったコトバに恋しているだけなのさ。人は誰しも飲み込むコトバというものがある。ライ、デミ、ときたまごたちが飲み込んだコトバはこれだ。」そう言って、ライ、デミ、ときたまごの3人に惚れ薬をかけたメフィストは、ライがデミを好きになりデミがライを好きになるように仕向けて彼らが実は愛し合っていたことをそぼろに目の当たりにさせた。また、ときたまごは自撮り棒に映る自分を好きになるように仕向けて彼女は実は自分自身が好きだったことをそぼろに目の当たりにさせた。
そぼろは、彼らの本心が実はそうであったのかと危うく信じかけたその時、ずっと閉じ込められたままだった本物のパックが脱出して姿を現し、そいつは悪魔メフィストだ信じ込むでないと忠告してきた。
パックは、悪魔の契約書に署名してしまったことをオーベロンに知らせて契約を解消させた。それによって、彼らにかかっていた惚れ薬の魔法も解かれて元に戻った。また、タイテーニアにかけられている惚れ薬の魔法も解いた。しかし、それでも悪魔メフィストは存在していた。なぜなら、目に見えない契約が存在していたからだった。

悪魔メフィストを呼び寄せたのは、他でもなくそぼろ自身だったからだ。そぼろは、デミにもライにも好かれるときたまごが羨ましかった。自分が惨めだった、その惨めさが自分自身をどんどん侵食して蝕んで行った。そして自分自身を蝕み尽くして存在しなくなったら、今度は森を蝕み始めた。森から火の手が上がって大火事になった。森が焼かれていく、そしてそぼろ自身が悪魔メフィストとなっていった。

そぼろは目を覚ました。そこはライトときたまごの結婚式の披露宴であった。余興の「不思議の国のアリス」は無事に済んだようである。デミは酒を飲みすぎて体調が悪そうである。どうやら、森に入り込んだ一行はみな森の中で倒れ込んでいた所を助けられたようである。とにかく全員無事であったようだが、その披露宴にも逆かくれみのを着ていない靴だけが見える悪魔たちが沢山潜んでいるようだった。ここでストーリーは終了。

「真夏の夜の夢」も「ファウスト」も読んだことがないので、どの部分が原作のままなのか、どこから潤色されているかが細かい部分までは分からなかったのが悔やまれた。しかし、これはどう見ても個人的には喜劇には感じられなかった。原作の「真夏の夜の夢」は喜劇なのだろうが、ここまでメフィストの存在感が強いともはや喜劇ではなかった。
ライとときたまごが愛し合うシーンはもっと見ていたかった。一緒に駆け落ちする辺りのシーンは最高、なぜか映画「タイタニック」を思い出してしまった。序盤のライとときたまごのシーンは本当に喜劇といった雰囲気だったのだが、中盤から終盤にかけてメフィストが活躍するシーンはもはや悲劇で、最後の森が燃えるところでそぼろの顔がアップで映像で出てくるシーンは怖かった。
そしてラスト部分の解釈が難しい、結局メフィストは何者だったのか、その辺りは、考察部分でがっつり書くとする。

画像2


【世界観・演出】(※ネタバレあり)

今作品の世界観は、元々原作がシェイクスピアであるという西洋の世界観に、野田秀樹さんが潤色した和の世界観が見事に融合した不思議なものだった。ときたまご、そぼろというネーミングも勿論そうだが、ときたまごが割烹料理店の娘であるという設定、駆け落ちする森が富士山の麓である設定は日本らしく、そこに妖精や悪魔が登場するというなんとも不思議な感じだった。

今作の演出部分は、特に映像と衣装が豪華だった。
今作は映像に映し出されるキャストと対話する場面が登場するほど、映像が物語進行にとって重要な役割を果たす。
印象に残った映像を上げていくと、まず富士山の麓の森に皆が逃げ込んできた時に映し出された、森の情景を示した映像。富士山がとても綺麗だったし、森の木の葉が光り輝くまるでイルミネーションのような世界観だった。
妖精たちが登場するシーンの、白く透明で薄く柔な大量の布が落ちてくる箇所が映像だったのかリアルだったのか分からなかった。
また、メフィストが大きくなったり小さくなったり、そぼろに囁きかけにくるシーンの映像が凄く存在感があって印象に残った。あの怪しげなメフィストが劇場のスクリーン一杯に映し出されるととても不気味な感じがするが、それが逆に効果的だった。また、最後の方のシーンでそぼろの顔がアップで映像で映し出される演出が一番怖かった。あのそぼろの表情も良かった。

映像以外の演出だと、パネルが移動する演出が印象的だった。上手と下手を行き来するパネルに合わせてパックとメフィストが入れ替わるのは面白かった。
また、パックが四角い鉄の箱に閉じ込められている時の演出で、おそらくモニターなのか鉄の箱から映し出されている映像も凄く独特な演出技法だった。

衣装はとても豪華だった。特に妖精たちの衣装が豪華で、白く綿菓子みたいなフワフワしたものを着た衣装が凄く印象的、ファンタジーらしさを凄く醸し出した素晴らしいものだった。
メフィストの衣装も素敵で、ドーランをしているせいか物凄くチャップリンを連想させた。帽子と口髭があったら完璧だった。

画像5


【キャスト・キャラクター】(※ネタバレあり)

まずは、今作品でヒロインを演じていたそぼろの鈴木杏さん、序盤のそぼろはデミに一途な恋心を持つ乙女のような存在だったが、徐々にデミ、ライ、ときたまごを敵視し始めて醜い邪悪な存在に見えてくる箇所が面白い。特にラストのシーンで、映像で自分を蝕み尽くしそして森を蝕んでメフィストとなったと語っているシーンはとても恐ろしく感じた。これが人間の女性の嫉妬なのだろうと、この嫉妬が人間たらしめる感情なのだろうと。良い意味で人間臭いキャラクターに魅力を感じた。

そして、ときたまごを演じた北乃きいさん、彼女の透き通るような声が凄く素敵だった。まず、森へ駆け落ちする所のライとのシーンは最高だった。映画「タイタニック」を想起させるくらいの凄くピュアな恋心が伝わってくる。お互い抱きしめ合いキスし合うシーンにとても心動かされた。
二人で森で眠りにつくシーンも良かった。「ちょっと近い」とかイチャイチャしている感じも凄く心揺さぶられた、欲を言えばもっとこういったシーンを見たかった。
そして途中で、惚れ薬にかかったライに振り向いてもらおうと服を脱ぐシーンも色気があって良かった。恋する4人は全員服脱ぐんだな笑って思った。

今作品で一番魅力的に映ったのは悪魔メフィストを演じた今井朋彦さん、良い意味で作品の中で浮いていて物凄くこの作品の台風の目となるような嫌な予感をさせる存在感の出し方が上手かった。そして喋り方がユニークである点も魅力的に感じた。ちょっと片言のようなゆっくりした喋り方、意図的なのか分からないがなにか癖のある喋り方が逆に魅力を感じられて悪魔メフィストとして凄く良い仕上がりだった。

恋に翻弄される男性陣のライ役の矢崎広さんとデミ役の加治将樹さんも良かった。二人の体型が正反対で、矢崎さんはシュッとしたイケメン風、加治さんは堅いの良い男らしい体型でこのコンビが凄く安定して見ていられた。二人で取っ組み合っているシーンも面白かったし、逆に惚れ薬によって愛し合っているシーンも素敵に見えた。色んなシチュエーションが見られて凄く楽しませてもらえた。

画像6


【舞台の考察】(※ネタバレあり)

この作品の考察をしっかり書くのであれば、シェイクスピアの「真夏の夜の夢」とゲーテの「ファウスト」をしっかり読んだ上で書きたいところであるが、その時間も今はなかったので自分が知っている範囲内の知識に留めて考察してみる。

この作品のテーマは「コトバ」であると思っている。"コトバ"は魔法のようなものである。「人は人に恋しているのじゃない。星だの、月だの、太陽だの、ただの石ころで着飾ったコトバに恋しているだけなのさ。」というメフィストの台詞があるように、人間は"コトバ"によって恋に落ちたり、逆に傷ついて嫌いになったりするものである。
そしてその"コトバ"には表と裏がある。その場で吐き出す"コトバ"と心の中に飲み込む"コトバ"と。メフィストは惚れ薬の効能を使って、ライとデミとときたまごの飲み込んだ"コトバ"をそぼろに聞かせることによって、彼らの本心を暴き出そうとした。実際はライやデミだってときたまごのことを人として恋している訳ではなく、本心は違うのだと、ときたまごもライのことが好きな訳ではいのだと。
確かに人間は普遍的に、そういった"コトバ"やシチュエーションによって恋をしたり傷ついたりする生き物である。シチュエーションも含めているのは、この作品の中で「夏のせい」「夜のせい」と環境のせいにする台詞が多々登場しているからである。例えば仲の良いカップルがいたとして、そのカップルが恋に落ちた瞬間ってういうのはどちらか一方の"コトバ"かシチュエーションによるものだったのかもしれないし、もしそれがなかったならばそのカップルは付き合うに至っていなかったのかもしれない。
原作が未読なので想像になってしまうが、おそらくシェイクスピアの「真夏の夜の夢」で言いたいのは、そういった"コトバ"やシチュエーションによって恋が生まれるといった主張なのだろう。

一方この作品には、メフィストという悪魔も存在する。これはゲーテの「ファウスト」に登場するキャラクターである。私はこのメフィストの正体は、人間が持つ嫉妬や憎しみの化身だと解釈した。物語中で、メフィストは自分を呼び寄せたのはそぼろがライとデミにモテるときたまごを羨ましく思った気持ちからであり、そぼろは心の内ではきっと、ときたまごも自分のように誰にも男性から愛されない立場を思い知るが良いと密かに思っていたのだろう。
しかし、表面上はそぼろとときたまごは幼なじみで大の仲良しのはずである。それは、お互いが表向きの"コトバ"で会話をしていて飲み込んだ"コトバ"を表に出さないようにしているからでもあると解釈できる。つまり、ここの友情関係も"コトバ"によって成り立っている側面があるのだろう。

こんな具合で、シェイクスピアの喜劇とゲーテの悲劇をミックスさせてしまう野田秀樹さんは素晴らしいが、まずは原作の「真夏の夜の夢」と「ファウスト」を読んでみたいと思っている。


写真引用元

Twitter 『真夏の夜の夢』公式|東京芸術劇場30周年記念公演
https://twitter.com/MidsummNights
Twitter 東京芸術劇場
https://twitter.com/geigeki_info

この記事が参加している募集

舞台感想

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?