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アイドルから教育現場が学ぶ、場をつくるということ(完結)

【アイドルの現場から学んだことの整理】

(1)では、全く接点のなかった"アイドルの現場"になぜ顔を出すことになったか。

(2)では、なぜアイドルにハマることになったかを書いた。

一旦、4ヶ月のプロジェクトの終着点として(3)で完結としたい。

教育にも推しの概念を

例えばアイドル。好きな人なら、もちろんグループメンバーの名前を覚えているし、どんな特徴かも言えるし、なんなら歌も大概覚えている。
そして、推しを見つけられるともう少し前のめりになれる。記事とか、ブログとか、SNSとか読んで過去のことや細かいことをさらに知ろうとする。

それを「嫌だな」と思いながら頑張って暗記してる人なんてほぼいないはず。
自分のペースで、自分がみたい時に動画をみたり曲を聴いていたらそのくらいの記憶はできちゃう人が多い。

じゃあ例えば社会科の授業。自分のペースで動画をみたりストーリーを読みながら、時代の箱推しでも人物単推しでも、推しを見つけられたら楽しいのでは?

一時期、教室が推しを布教するための
"ボドゲ会場"となっていた

ということで、特にコロナ禍の2019〜2021は本当の趣味から各教科の内容まで「推し」に染まった3年間だった。学年(教員)目標も「推しは推せる時に推せ」。
ボカロ、スポーツ、アニメ、YouTuber、ゲーム、声優、K-pop、(旧)ジャニjr…ありとあらゆる趣味を子どもたちと布教し合った。結果的に、非認知スキルのスコアも学力テストも爆上がりという謎。みんな取り入れたらいい。


改めて、場づくり

自分と子どもたちの関係性は完全に「ヲタク仲間」であった。でも、昨今の学校界隈の流れは少し違う。

演者(先生)と、その観客である子どもという構図。
今までは力関係の上下で成り立たせていたものが成り立たないご時世、SNSで気軽に発信できるところを活用して自己ブランディングを行い、自己顕示欲や承認欲求を満たし、あわよくば書籍なんか発売しちゃったり。
そのために子どもが離れないように認知する、レスする、褒める、煽る、楽しませる、時には子どもだけじゃなくて保護者まで…先生ほぼ地下アイドルやん!!!(言い過ぎ)

子どもたちは「先生は次、何をやって楽しませてくれるのかな」と待ちの姿勢。就活や社会人になっていきなり「指示待ちやめろ」なんて言われたって、6歳から指示をきちんと待てる指導してるんでね、日本の公教育。

「何やってくれるかな、ワクワク」
は、完全に観客なんよ

プレイヤーである先生にハマらない子が多ければ、学級崩壊の形も以前とは違ったものになる。
複数の自治体に関わっているが、権力に対抗した、いわゆる"荒れ"型の学級崩壊はかなり少ないように思う。

演者がどれだけ煽っても、曲も聴かずに携帯を見ている静かな崩壊。もしくは、観客側の内輪で関係ないふざけを行って演者を置いて盛り上がる騒がしい崩壊。発達の特性と先生を含む環境要因との相互作用で何人かが中心となる形。
後者は荒れに見えるけど、多分以前とは性質が違う。

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本来、先生がプレイヤー側をやるのではなく、学びのプレイヤーは、その主体はあくまで子どものはず。
だからこそ、先生は子どもが1番輝けるように場を設定していく必要がある。
そこで学びたいのは、場づくり。空間デザインは、設備は、マネジメントは、演者ではない裏方はどうなっているのか。

その辺を行政側からぶっ込みにいくプロジェクトに、特に2023年の下半期は取り組んできた。


10月以降のライブ参戦

これはもうただのメモ。

09.30 フィロソフィーのダンス@金沢
10.01 フィロソフィーのダンス@新潟
10.07 フィロソフィーのダンス@福岡
10.08 フィロソフィーのダンス@長崎
10.28 FRUITS ZIPPER@東京体育館
11.04 フィロソフィーのダンス@岡山
11.05 フィロソフィーのダンス@広島
11.13 C;ON@岐阜
11.14 C;ON@名古屋
11.15 C;ON@大阪
11.17 C;ON@広島
11.18 フィロソフィーのダンス@大阪
11.19 サンボマスター@横浜アリーナ
11.24 C;ON@仙台
11.25 C;ON@越谷レイクタウン
12.03 MOROHA@金沢
12.06 フィロソフィーのダンス@渋谷LINECUBE
12.08 フィロソフィーのダンス@明日フェス
12.09 フィロソフィーのダンス@新京極
12.10 フィロソフィーのダンス@京プレ
12.17 フィロソフィーのダンス@ガラフェス
12.19 フィロソフィーのダンス@MIX SPICE
12.28 C;ON@LEADING PREMIUM 年末感謝祭

9〜10月にかけてはラグビーW杯も同時並行

4日しかなかったライブの予定がこんなことに…
ありがたいことに、行ったライブやイベント全てよかった。イマイチだった日は1日もなかった。その中でも太字はかなりガツンと大きな学びがあった場。


【本題】ライブの場から学んだこと3つ

細かく書き出したレポートは無限(比喩)に要素があったけど、noteでは主に3つをとりあげたい。

1.目的の共有は強い

もちろん、受け手が何をどう受け取るかは自由。
その上で演者側が何を伝えたいのか、どういう場にしたいと思って立っているのかが共有できている場は強いなと思った。

明日フェスの観覧でディレクターさんみたいな人が企画のコンセプト説明をして。
観客側の界隈がそんなに被ってないからか、少し緊張感のある会場が一気に一体感をもって盛り上がれたきっかけだったな、とか。

SNSを中心として人の評価が気になるこの時代に、サンボのライブ全編を貫くメッセージ「呪いを解きにきた」を浴びせられたり。
君は最高だ、輝いている、光だ、ダメじゃない、ひとりぼっちじゃない、花束だ!
どの曲でもMCだも愛と平和を伝えているロックだな、とか。

フィロのスは、「愛を届けにきた、そしてファンからの愛を受け取る場なんだ」と明言してくれた。ただただハッピーを浴び続けて、声を出したり踊ったり最高に楽しむことができる。

MOROHAは、「自分のペースで楽しむな、俺らの本気に合わせろ」と言った。ライブ前に気合い入れすぎて、ちょっと憂鬱になるレベルの感覚。でも温かく、スッキリした気持ちになれる。

シーオンは「2024年、売れます!」と宣言した。どの曲からも「自分たちを見てもらえるように、音を聴いてもらえるように、表現が届くように」という思いをひしひしと感じた。

この「文脈の共有」がなくてももちろん売れる人は売れる。
ただ、80〜300くらいのライブハウスで演者と観客が一緒に場を作ることを想定したらだいぶ有効な方法だと思う。

教室は?たかだか20〜40人くらい。
授業1つとっても、1年間のクラスの方向性でも、この目的の共有みたいなものはとっても大切な気がした。

2.同じ演者・同じ曲でも、場によって変わる

例えば照明一つとっても、舞台のどちらから入ってくるかによっても、音響の設備によっても、同じ人たちが同じ曲を歌っているのに全然違う感覚だったりした。

フィロのスやシーオンはありがたいことにツアーに何ヶ所か着いていくことができたのでより鮮明に感じた。
視点の誘導がどこにいっているかで、曲から感じる印象が変わってくる。

全通(に近いこと)をしている人はどのくらいいたのだろう?20人くらいだろうか?
100人のライブであれば5分の1くらいはいつものファン、なのに会場の雰囲気も全然違う。
なんなら特典会の列の長さも違ったりする。

教室ではどうだろう。視点の誘導やスポットライトの当て方を意識した場になっているだろうか。
教材(ライブで言うと曲かな?)ばかり見ていないだろうか。動線やレギュレーションの告知も含めて、曲を歌うことだけ考えてる場合じゃないなと思った。

この規模の物販できるんだから…
意識すりゃできんだろ教員と子どもだって。

3.結局、客も一緒に場をつくる

子どもたちが学びのプレイヤーだとして、ファンがいなきゃ何のためにやるかよくわかんねーよなと思う。いや、自分のためだよね、正論だよ。でも人は正論だけでは動かない時があるのさ…

そりゃ、アイドルや歌手のみなさんだって歌うのも踊るのも楽しくてやってる人が多いだろうけど。
でも、「じゃあ1人で部屋でやれば?」とも「カラオケで友達とやれば?」ともならない。

やっぱり称賛とか、感動とか、一体感とか、達成感とか、そういった高揚感がないと「楽しいだけ」でずっと頑張れる人は稀だなと思う。
それは音楽でも、スポーツでも、芸術でも、そして学びでも。

なので、多分学びも興味に応じて探究し続けるフェーズと、アウトプットして称賛されたりフィードバックもらったりするタイミングが必要なんだと思う。カタカナ多い。

ノーメロ。すごく楽しそう。

前置きが長くなった。

ありがたいことに、自分が好きになったグループのファンはとても温かい。フィロのスも、シーオンも。ファンのコミュニティに混ざってるわけじゃない自分でも、そう感じる。
そして、ファンだけじゃなくて運営も温かい。その2つがなかったら自分は現場には足を運ばないなと思う。

年末のフェスは正直最悪だなと思う民度の低さだった。路上でのたまり方、ポイ捨て、トイレのゴミ箱。なんか警察もいたし。結構まじめに二度と近寄りたくない。メタ認知が弱すぎる、倫理観が自分と合わない層が混ざってる。

でも、ブラックナザレやシーオンのライブや特典会ではファンに対して嫌な思いを感じなかった。理由を分析したらきっと、運営の売り方も大きいのだろうし、男女バランスとか、年齢構成とか、色々な要素があるんだろう。

結局、演者だけが頑張ってもいい場にはならない。でも、演者は客を選べない。
だから、きっと客側の個人の声が大きくなる仕組みはリスクなんだと思う。ちなみに大好きな日向ハルさんは、客側の声が勝手に先走らないような配慮が最高だな、となるポストしてた。

上手く共存、大事。推せる!

大手(48とか坂道とかkpopとかはハロプロとか?)じゃないアイドルの難しいところで、勝負どころでもある気がする。どこまでファン個人を見るか、SNS含めて声を聞くか。ファンの中で派閥ができると、そこから漏れる層が出るのをどれだけ認識するか。

正直自分は、フィロのスのファンですら最初は怖かったし、特典会とか認知とかの仕組みも怖かった。
W杯の経験もあって、今でも「内輪ノリがすぎると、にわかやライト層がファンになる機会を逃す可能性があるぞ」という思いはある。

そういう意味では、FRUITS ZIPPERと出会えたのも勉強になった。
曲も人もとても好きだけど、まだ発展途上感はある。SNSの使い方や特典会、オンラインも含めて地下の戦い方でファンを増やしながら、TVやTikTokという別販路でライト層も流入している。

これはFNS!今日はレコ大!
いつかは推しグループも…

どこかでメンバーに限界がくる前に運営がSNSや特典会に制限をかけるのか、それとも続けて一定の内輪ノリで収まるのか。この先も興味深い。
インスタやTikTokで繋がったファン同士の勝手なグループ化も時代だなぁと思う。これで一気に小さめの箱に行きづらくなったから次は武道館だな…


教育文脈から脱線しすぎた。

サンボマスターのドラム、木内さんがMCで「観客が主役だって思った」という旨の発言をしてた。
これは、そこまで一定の仮説をたててライブを観に行ってた自分にとっては仮説を全部ひっくり返された瞬間だった。

子どもが主役なら演者側にたてるように、と思っていたけど観客側でも主役になれる可能性もありそうだ。

そうじゃなかったとしても、観客の中にどれだけ仲間、ファンを増やせるかは大事だと思う。
ダンス・ファウンダーで「おーれーの!」って言ってくれる先輩たちがいるから安心して「マリリ!」って言えるもんね。

まとめ

まとめると3点。
目的をみんなで共有する強さ
視点誘導やその日の温度感の掴みどころ
観客を主役側、ファンにする意識

正直、暗くて狭い箱に押し込められて、若い女の子に煽られながら光る棒を振り回し、叫んだり踊ったりしてるの狂気じみてる。

空間設計は北欧の図書館やユースセンターの方が参考になったし、MCのつかみはお笑いのライブの方が学べたし、全体の見せかたや巻き込みかたはスポーツから学べることが多かった。

ただ、そんな"部分"じゃなくて"在り方"みたいな部分はアイドル(というか正確にはライブハウス)の現場から学べることがめちゃくちゃたくさんあった。サンボマスターは武道館でもライブハウスみたいなやりとりをファンとしてたからセーフ。

とくにアイドル本人さんたちの尊敬する部分がたくさん見えてきた。行かなきゃ見えないものがあったし、2024年は趣味としてになるけどきっと通うと思う。

むしろ教育と親和性高いそうだとわかったし、どうせ過疎って統廃合進むならそこらへん融合させた学びの場づくりしてもいいな。

一旦、こんなところでレポートは終了。
これ、何をどうやって予算化しましょう…

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