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「あだ名」の背景にある力


日本の社会や文化の中で「あだ名」は、単なる愛称以上の役割を果たしてきました。これは、個人のアイデンティティやグループとの関係性を示す、変わりゆくバロメーターのようなものとして機能しています。

西郷隆盛(西郷どん):諱(いみな)は元服時に隆永(たかなが)のちに武雄・隆盛(たかもり)と名を改めた。 幼名は小吉、通称は吉之介、善兵衛、吉兵衛、吉之助と順次変更。 号は南洲(なんしゅう)。「隆盛」とは父の名前。

あだ名や敬称のもつ役割と距離感

日本語には多彩な敬称や呼び方があり、それぞれの状況や関係性に応じて使い分けられる特徴があります。一般的に、年上や上司、あるいは社会的な地位が高い人には「さん」や「様」のような敬称を使用し、逆に親しい友人や年下の人には「君」や「ちゃん」が使われます。また、職場では人の地位や職務を明示するために「部長」や「先生」といった役職名や職種を基にした呼び方が一般的です。家族の中でも、関係性や役割を示すために「お母さん」や「お父さん」といった呼び名が使われることで、その中の立場や絆を感じることができます。

日本文化の特徴である集団主義的な背景は、人々が所属するグループとの調和を重視する傾向が強くあります。その中で、あだ名は、その人が所属するグループの中での位置や役割、または特定の時期や状況における特徴を示す手段として用いられてきました。

敬称は、集団内での役割や期待値を示すものであり、時とともに変わることでその人の変容や成長を示す指標ともなります。

また、家族や親しい友人というプライベートな関係では、愛情や親近感を示すあだ名が用いられることが多くあります。これは、感情や絆の深さを示すものとして、関係性を強化する役割を果たしています。

独眼竜の由来: 伊達政宗は、幼少時に天然痘にかかり、その後遺症で右眼の視力を失ってしまいました。若いころ、彼の右目は濁ったままであり、それが敵に弱点として捉えられるのを恐れた政宗は、ある戦の前夜に自らの右眼を刀でえぐり取るという決意をしました。これにより、彼の「独眼」の異名が広まり、彼の勇敢さや果断さの象徴として語られるようになりました。

あだ名のもつ「時」の性質

さらに、日本の文化においては、過去の失敗や挫折を乗り越えるための新しいアイデンティティの形成をサポートする手段としてあだ名が用いられることもあります。新しい環境や役割に適応する過程で、あだ名が変わることで、人々は新しい自分を受け入れ、過去の経験を乗り越える力を見つけることができます。

例えは、豊臣秀吉は、若いころは「木下藤吉郎」として知られ、また、猿のような顔立ちから「猿」とからかわれることもあったと伝えられています。しかし、彼が天下を掌握するに至って「太閤様」や「秀吉公」として広く尊敬されるようになりました。このように、彼の立場や評価が変わったことが、呼び方や評価にも影響を与えた例と言えます。

あだ名は、ただの言葉以上の重要な役割を果たしており、その中には様々な感情や経験、人との関係性が込められています。

特に、長い時間を隔てての再会の瞬間、あだ名を呼ぶことでその間の時間のギャップを一気に埋め、瞬時に昔の関係性や感情を呼び起こすことができるのです。それは、言葉の持つ力として、また、その言葉に込められた思い出や経験としての力を持っています。

そして、そのあだ名が良いイメージを持っている場合、それは再会をより温かく感じさせるでしょう。一方、ある特定の時期の失敗や挫折を思い起こさせるようなあだ名である場合、その人がどれだけ成長したか、変わったかを示す機会ともなります。そして、その再会の場面での態度や言動によって、過去のイメージを変えることができるのです。

このように、あだ名は過去と現在、そして未来を繋ぐ架け橋のような役割を果たしており、それを通じて人間関係の深さや変遷、そしてその中に秘められた様々な感情や経験を感じ取ることができます。


『忠犬ハチ公』本名は「ハチ」。父犬「大子内山号(おおしないやまごう)」、母犬「ゴマ号(ごまごう)」。

自己成長の道具としての役割

日常の中で、特に若い頃、私たちは多くのあだ名やラベルに出会うでしょう。これらのあだ名が必ずしもポジティブでない場合もありますが、それにどう対応するかは、その人の選択にかかっています。

他人がからかう目的で付けたあだ名やラベルは、その人の真の性格や価値観を反映しているわけではない。これは、他人の誤解や先入観に基づいて形成されることが多いものです。

しかし、長い人生の中での一時的なあだ名やラベルに過度に固執することは、自らの成長や変容を妨げることに繋がりかねません。本来、他者が付けたラベルやあだ名に縛られる必要はないからです。

そして、多くの人が直面する失敗や困難は、彼らの真のアイデンティティを否定するものではありません。それは一時的なラベルや役割、あだ名のようなもので、場面や状況における演技の質に過ぎないのです。

不快なあだ名を受け入れ、それを乗り越える経験は、自己成長の契機となり得ます。また、この過程で他者との関係性やコミュニケーションの重要性、そして自己受容の大切さを学ぶこともできます。

同様に、社会的なプレッシャーやいじめに直面したとき、それは、一時的な外部のラベルに過ぎないということ。私たちの真の名前、すなわち本名は、あだ名自体が強力な盾となり、私たちを守ってくれるのです。


時代劇の多くは、キャラクターの個性や役割を強調している。水戸黄門:助さん角さん(『助さん角さん』) 本名:佐々木助三郎と佐々木角三郎。双子の兄弟で、それぞれの名前から「助さん」と「角さん」と呼ばれる。遠山の金さん:遠山金四郎。遠山という名前と、公正で正義感が強い性格から「金さん」として親しまれています。

本名の固定性とあだ名の流動性

日本の文化において、一人の人間が生涯を通じていくつもの「あだ名」を持つことは、その人の自己自認が流動的であるという考えを象徴しています。本名は固定的な存在を示すものであり、生まれ持った「本音」のようなものです。一方で、あだ名はその時々の状況や役割、関係性に応じて変わる「建前」とも言えます。

この考え方は、日本の社会が「役を演じる」という概念を重要視していることを示しています。人々は、自分の社会的な立場や状況、そして関わる人々との関係性に応じて、必要な役割を演じることが期待されます。

会社での社長は代表取締役を、保育園での「○○ちゃんのお母さん」は、母親役を求められているのです。

この流動的な自己自認性は、固定的な自己像を持つ文化とは対照的であり、日本の多様性と柔軟性の根源とも言えるでしょう。

実際に、不遇な状況や困難な経験を乗り越えたい時、人々は新しいあだ名を持つことで、新たなスタートを切る機会としています。これは、過去の失敗や挫折を乗り越え、新しい自分を築くための手段として、自らのアイデンティティを再構築する文化的な許容の現れとも言えます。

まとめ

日本の文化や価値観の中では、人間は一定のアイデンティティに固定されることなく、様々な役割や状況に応じて変わり得るという考えが色濃く存在します。

したがって、あだ名やラベルに過度に縛られることなく、それを自己成長の道具として利用することが、日本のあだ名文化を理解し、その中での自己肯定感を高めるための鍵となるでしょう。

現代の個性やアイデンティティを尊重する傾向の強い社会の中で、あだ名をつける際には、そのことを深く理解して付けるべきであり、お互いの相互理解を深めるような教育が望まれます。

このように、「あだ名」という文化的な概念は、日本人のアイデンティティや人間関係の形成、変容を深く理解する鍵となるものです。日常生活では、本名という性質とあだ名という性質を区別し、重要視しすぎず、これを通じて、日本の社会や文化、人間の心理や感情の複雑さに関する洞察を深めることができるでしょう。

筆者のエピソード

ひげもぐらの由来:よく行くバーで、常連仲間が先に席についていたとき、あいさつと同時に彼から突然「ひげもぐら」と呼ばれ、なんとなく気にいってSNSで使っている。しかし、彼はそれを覚えていない。

筆者のあだ名の変遷
家族:そうすけ、そうくん
学生時代・友人:そうくん、山本君、そうさん、はだか、
 ガイル、クラッシャー
職場:バカ、山本、山本先生、
プライベート:先生、ひげ、モグ、ひげもぐ、やまちゃん
SNS:ひげさん、ひげもぐらさん
仕事関係:よらくさん

おまけ:2ちゃんねる風

700:以下、名無しにかわりまして:20XX/XX/XX(水) XX:XX:XX
健一って名前の俺、小学校の頃は体育が苦手でずんぐりした体格だったから近所の女子から「のろけん」ってあだ名で呼ばれてたんだよなw語源は「のろまの健一」だってさ。

701:以下、名無しにかわりまして:20XX/XX/XX(水) XX:XX:XX
そんな俺でも今は結婚して嫁さんに惚気てるw

702:以下、名無しにかわりまして:20XX/XX/XX(水) XX:XX:XX
≫701
のろま卒業じゃねぇか!

703:以下、名無しにかわりまして:20XX/XX/XX(水) XX:XX:XX
いまだに「のろけん」って夕食のとき呼ばれてるけどな

704:以下、名無しにかわりまして:20XX/XX/XX(水) XX:XX:XX
≫703
そんな奴夕食に呼ぶなよ


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