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歩み寄り合い

私は、ソーシャルワークを学んでいる学生だ。

実習先は医療分野であったので、実際に現場を見たのは病院のみであった。それも一部の地域のものであるため、私は福祉の全体像を分かっていないし、実際に働いたこともないため、一概にこの領域にとやかくいう資格はないのかもしれない。

それでも、ひとつ、言わせて欲しいことがある。

この分野を馬鹿にしないで欲しい。

この間、とある人から「頭の悪い人が集まる専門職」と表現されたことがあった。

確かに、医療行為ができる立場では決してないけれど、それでも1つの分野の専門職として対等であるべきではないのだろうか。

それぞれとうまく連携するためにお互いの分野をよく理解しておく必要性があると思うし、尊重し合う心も大切にしていかなければならないのではないだろうかと感じた。

そもそも、歩み寄ろうとする心がない状態であると、偏見や差別が生まれ易くなり各々に上下ができてしまう。

確かに、偏差値というごく一部の評価では
上下があるのかもしれないが、

私たちの専門性はそこで図るものではないだろうし、他分野の人間に馬鹿にされる筋合いはないのではないだろうかと疑問と憤りを感じざるを得なかった。

仮にそういった一面を見ていても、個別化を図って欲しい。

この分野にトータルでレッテルを貼らないで欲しいな、と思った。


そして歩み寄ろうとする行為は、この分野に限らず必要だと思う。

人より少しだけ目立つことをすると、後ろ指を指されることが多くなる。

TwitterやInstagramといったSNSの投稿でも、似たようなことが言えるように思う。

そして、その目立った切り取られた"ワタシ"の中の一部分だけ注目され、悪口だったり批判を受けることもある。

しかし、本当に悪いように見えたことでも、その本質はちゃんと見えているのだろうか。

今回分野を馬鹿にされた場面を経験した自分も、馬鹿にされた、と感じた以外に相手がどういった文脈からそういった発言をしたのか、相手がどんな人間であるのか、まで考えただろうか。

今一度、自分に問いたい。

今悪だと思っているものは本当に悪なのか。

また、善悪でものごとを判断しすぎてしまってはないないか。

目の前の何かを大切にするために、
ひとつひとつ、丁寧に全体像を捉えてから物事を考えられるようになりたい。

そのためには、対話を通しお互いを知ることが大切であり、対話のためにお互いが歩み寄り合っていかなければならない。

めんどくさいだろうし、疲れるかもしれないが、

最終的に自分や誰かを守ることに繋げるためにも、遠回りに感じる少しの"歩み寄り合い"を大切にしていきたい。

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