完全にもうやめた/完全にもうやめた
文学フリマの会場で、短歌のブース辺りを歩いていてふと表紙が目に留まったので購入。20頁で8篇の65首を掲載。このブースをお二人でやっていらしたが、その二人(笹沼、おしまい)がユニットとして活動されているらしい。
あ、いいな、と思った短歌がいくつかあったので紹介。
この生きることと死ぬことの境を曖昧にする表現に惹かれました。補充は生きるための行為、それはそう、しかしそれは酔うためで、入眠を促進する薬理をもつマイスリーはスキップをここでは誘発していて、そのように生きづらくする世間の論理のいわば揚げ足取り、その爽快さ、軽さを、魅力的に感じます。
これも爽快でいいですね。「春には春が咲く」という軽薄な表現、そしてつづく「とは聞くが」、聞いているのだけれども実際のところ分からない、だが「加速せよ」。こうしたらいい、こうするのが正しい、マニュアル片手に生きていたって、マニュアル読んでる暇もなく、そんなことより加速せよ、考える前に加速せよ、この春が枯れてしまうより先に。
時世の句ですね。ジェンダーの要素に加えて、「年齢」を入れてるところにセンスを感じます。このシンプルさ、そっけなさがいい。政治的主張を全面に出すのではなく、シンプルなかたちでまとめているところが、好印象でした。
ディスコミュニケーションが、上の句の「折れそうなとこだけ折った」で端的に語っているのが鮮やかですね。なんとなくファミレスかなんかでストローの袋だったりペーパーナフキンを折っていて、相手との話に飽きているとか、うまく気分が合わないような光景が目に浮かびました。
これも情景がなんとなく浮かんできて、いいですね。「おいしい」からの平仮名のつらなりが心地よく感じます。宅飲みしたかなんかで、「おいしい」と発言した人はもう帰ってしまって、一人で翌日頭痛を感じつつも起きて、常温になったいろはすみかんをぼんやり眺めている、そんな光景が思い浮かんできました。
さて、好きな短歌はほかにもあったのですが、あまり引用しすぎてもよくないかなと思い、ここまでにします。どこか恋愛のうたにしろなんにしろ、どこか生活のにおいというか、がして、この私と一緒にどこかの場所で生きているんだな、という安心感を感じました。他人にとっては凡庸、自分にとっては特別。そんな地上ですてきなものを見つけていきたいものですね。
ありがとうございました。ユニットっていいなあ。
おしまい(いるかフラッシュ) @youhavethelight
笹沼 @6_Sasanuma
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?