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読書記録006「私の奴隷になりなさい」サタミシュウ

会社の同じ職場の女性に惹かれるが、冷たくあしらわれる。そんな経験がいままでなかったから、主人公は一層その女性に執着するようになる。突然機会が訪れる。「今日、セックスしましょう」。そして、「ビデオカメラで撮ることが条件」だという。主人公は謎を抱えたまま、その女性と行為に至ることになる……。

官能小説でなくても性行為の描写は結局のところパターン化されているが、その限定された条件のなかでどのように性行為を際立たせるか、が重要になってくる。本作はそれにおいてかなり成功している。性行為の描写は多いが、それはビデオを通じてなされているのだ。ビデオへの偏執狂は映画「Focus」(井坂聡監督)や、ミヒャエル・ハネケの「べニーズ・ビデオ」を想起させる。そのビデオには、主人公が願ってもできない先輩の女性のあられもない姿態が映っている。限定的な興奮、倒錯的な興奮、全面的な屈服と支配。そういったタイプの違う興奮が、物語に花を添えている。

また本作がドライな文体で書かれているというのも、魅力のひとつであろう。「のように」も「あたかも」もここには存在しない。とにかく文章と構成が巧い。最後の一文には感銘を受け痺れてしまった。

ドライな文体がなしえる強度、その影響で、この小説が官能小説という枠に収まらず、いわば青春小説という風采を帯びることになる。そう、主導権が主人公でなくヒロインでもない他者であることによって、それが絶対者/絶対的他者となることで、それに翻弄される、青春小説的な要素が得られている。

この本は修飾語を欠いているため、あっさりと読めるが、空っぽな内容と言うわけではない。ドライな文体と言うのは、文体のなかに、行為のなかに修飾語が内包されているのだ。そこには書かれていない。しかしそこから読書は読み取ることができる。濃密な空気感、疎外感、自暴自棄、背徳感。本作を考えるにあたり、ベルトルッチも想起した。「ラストタンゴ・イン・パリ」は名前をはく奪したセックスだけの世界に近づこうとしていたが、それともちがう。関係性としてのSM。人間関係をサーフするためのライフハック。

人間的になるためには、隠された反人間的な通路があるということ。

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