見出し画像

グレタ・トゥーンベリ

グレタ・トゥーンベリという名をどこかで聞いたことがある、という人は少なくないだろう。
地球環境問題を訴える少女、というくらいしか知らない私にとって、以下2つの映像作品は中々に興味深いものであった。

『グレタ・トゥーンベリ 世界を変えるメッセージ』(2020)ドキュメンタリー(BBC制作 全3話)

『グレタ ひとりぼっちの挑戦』(2021) ドキュメンタリー映画

彼女は今年(2023年)の1月に20歳になった。
スウェーデンの成人年齢は日本と同じ18歳。(実はつい最近日本の成人年齢が変わったことを私は知った…)
とはいえ、日本では酒たばこは20歳からだそうで、何をもって成人なのかはやはり曖昧なお国である。

さて、この2つの作品に収められている映像素材はコロナパンデミック前の記録がほとんどだが、それは必然的にそれ以降大規模な移動ができなくなってしまったからだ。
コロナが無ければこの作品の結末はもっと違ったものになったかもしれない。
しかし、ロックダウンによって人類の活動が一時的ではあっても停止するという、通常ではありえないことが起こり、貴重なデータベースも蓄積されることになった。

運動家と称される人に対する批判は避けようがなく、グレタもまた例外なく辛辣な批判や罵詈雑言が浴びせられる。
まだ子供であることやアスペルガー症候群であることも、攻撃対象になりやすいこともあるだろう。

グレタは聡明な子であることが、作品を観れば感じることができるだろう。
彼女なりに相当に勉強をした上での発言であることはよく分かる。
社会問題、こと世界全体の問題となるとその背景は複雑であり、いわゆる『正論』などは絵に描いた餅でしかないことは『大人』であれば理解している。
グレタは自分でも感じているが、子供だからこそストレートに言えるし、言うべきだと思っている。
成人である18歳を目前に、その心が揺れているところも映し出されている。

グレタが言っていることが理想主義であり、非現実的な要求であることは彼女自身も分かっている、感じる。
そもそも理想や理念とはそういうもので、だからこそそれを現実にするために政治があるというスタンスで、彼女の言葉は各国の為政者や企業を含む権力者、つまり実行力を持つ者にその責任を問うている。
その理由はとてもシンプルである。
そう、彼らが会議で決定したことを実行すれば理想の多くは実現するからだ。
しかし、それを行っても悲劇を回避するには相当険しいことが、コロナパンデミックの”真実”によって分かってしまった。
つまり、地球環境を人間の活動の影響によって変化させてしまった時間を取り戻すには、会議で決まったことをやりきっても、更に多くの時間が必要であることが分かったのだ。

彼女に行動には意味がないのだろうか。
否、彼女は自身が注目されることで、より多くの人が環境問題に興味を持ってもらうことに繋がる、という点で意味を感じている。
戦略的に感情的になったり、冷静になったりとかなりの策士でもある。

資本主義社会における権力者は経済活動が滞ることを何よりも恐れる。
環境を守っても経済が破綻してしまっても人はたくさん死ぬことになるし、社会不安は増大し混沌が訪れる。
そのため、グレタの主張の多くは非現実の理想論と一蹴されてしまう。
正義のために頑張る正直な女の子を抜け出すことができない。
しかし、彼女の功績を考えるに、それは短絡的と言えよう。

資本主義における価値は経済成長の度合いによって変化するもので、それが倫理に与える影響も無視できない。
資本力を持つものが富を独占し、独善的な権力を行使することが増えれば、多くの人々にとってあまり良くない社会になると私は考える。
それは色々な見方があるが、起業家のマインドに公的な矜持があり、支持された時代はまだよいが、テクノロジーの進化によってパラダイムシフトが起こりつつあり、それを阻害するようになってきた。
そのような強力な権力に対し、より弱くなっていく一般市民が抵抗する手段は民主主義という制度上、存在する。
本来、主権は国民一人ひとりにあるのが民主国家だからだ。
そのためには問題の大きさを共有することが必要だ。
つまり、グレタは実際に人々を動かすことに成功しているし、環境問題への興味喚起という点で非常に重要な役割を既に果たしている。

理想主義と揶揄される現実性の乏しい主張ではなく、そのような問題が存在することを知ってもらうことが結果的に重要なのだ。

全3話のドキュメンタリー作品の中でグレタは様々な環境対策の現場を訪れる。
世界は環境問題に関して何もしていない訳ではなく、出来ることをしている人々がいることを知り、その多様な考え方にも触れるのである。
彼女はそれでも、それでは間に合わない、遅い、と言い張るが現実を直視する冷静さも持ち合わせている。
自分の感情と、現実とのギャップを解消し、次のステップへ行けるかどうかが、実現性という点では重要になるだろう。

しかし、彼女は既に結果を出している。
これからは子供という立場は使えない。
成人として訴え続けるには、肩書も重要になってくるだろう。
彼女は聡明だ。
だから研究者として、より重みを持った言葉を携えて数年後に現れるかもしれない。
そう願いたい。

今夏、猛暑日を記録した数字はいかほどであろうか。
温暖湿潤気候が熱帯化していくのを年々少しずつ感じている。
地球はこの後どうなるのか。
それも多くの予測がはじき出されているが、それは悪い意味で外れる要素が多いように思う。
この作品でも、氷河の崩壊によって思いもよらない現象が新たに出現する、というシーンがある。
良い方向に向かえるとしたら、やはり知恵とテクノロジーに頼るしかなさそうだ。
海水の真水化もどこまで現実的に可能なのか、私にはよく分からない。

最期に、人間社会が環境へ影響を与える問題の根底に、人口問題があるだろう。
先進国は少子化が進むが途上国は増えていく。
緑も必然的に破壊される。
地球のキャパに対し人が増えすぎることは無視できないのではないだろうか。
それを制御する、という前提は共産国や独裁国であれば可能だが、自由主義では中々厳しいだろう。

この記事が参加している募集

映画感想文

SDGsへの向き合い方