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Xやめて、自分の人生を生きることにした。

こんげー、わたげの本音です。

生き辛いし、
過去のフラッシュバックに
苦しみ、
人格交代しながら
今日も生きてます。

今回は、
SNSの1つであるX(旧Twitter)を
やめてみた話
です。


Vtuberなど、
ほとんどの配信者がやっている
X(旧Twitter)。

私は昨日、
アカウントを残したまま
やめてしまいました。

アカウントを残した理由は、
660人までフォロワーを伸ばした
自分の頑張りを消したくなかったから。

やめた理由は、
目に入る情報が
辛すぎたから。


暇なときに、
ついついアプリや
ブラウザを開いて
見てしまう
X(旧Twitter)。

おすすめに出てくるポストは、
「死にたい」
「国は安楽死を認めてください」
という悲痛の声。

心ない、理解のない、
男女で生まれる壁や差別への
批判、中傷。

無職やニート、
生活保護への強い風当たり。

毒親育ちの悲痛の声と、
それを批判、中傷する声。

それらに反論、
さらに反論、
反論という名の中傷。

私の気持ちを分かって欲しい、
その考え、意見は間違ってる、
子育てが、教育が、国が、
間違ってる。


そんな批判、中傷の嵐が
流れてくるタイムラインを見るのに
疲れてしまいました。

見ないようにして、
自分の気持ちを、
思ったことを、
同じ毒親育ちの人たちに
向けてポストしていた
今までの私。

最近は、
毒親のことを考えるよりも、
現在や将来のことについて
考えるようになりました。

だから、
同じ毒親育ちの悲痛の声が、
私の気持ちを理解して欲しいという
声を見るのが、
私には苦しくなってしまったのです。

ポストすることも
なくなってしまったのです。


完全に毒親の気持ちを絶ったわけじゃ
ありません。

ただ、
毒親は毒親、
私は私、
私の人生を生きようと
割り切れるようになったと
いったところでしょうか。


気持ち的に、思考的に
そうしていても、
悪夢となって私を苦しめる毒親。

早くこの世から
消えてくれないかな、
というのは変わらぬ本音です。


今は1人の人間として、
大人として、
自分の人生を生きたい。

毒親からの影響は多くあって、
憎い気持ちもある。

だけどいつまでも
縛られて現実から
目を逸らしたくない。

もういい加減、
自分の人生をみよう。


私の考えは、
毒親育ちの誰かに
押し付ける気はありません。

中には「過去に縛られず、
毒親のことは忘れて、
私のように今を生きよう」と
声をかける人がいます。

いまだに毒親に縛られている人は、
そういった声を拒絶します。

仕方ないことなのです。

今の自分を生きようという
段階に進んでいないのだから。

私は思う存分苦しんで、
憎んで、悲しんで、
そうしてようやく
立ち上がれたのです。

今も毒親からの苦しみに
縛られている人は、
思う存分苦しんで、
憎んで、悲しんで、
立ち上がるための準備期間なのです。

私は前に進めたからといって、
まだ後ろにいる人たちを
見下したり、
無理に前に進めようと
する気はありません。

あくまで私は、
自分の人生を
生きてみることにしたという、
報告をしたかったのです。


「見下している」

「毒親の気持ちを
絶った気でいるだけ」

「解毒した気になっているだけで、
毒親と同じ」


自分の人生を生きようと、
前に進み始めた人たちが、
今もなお苦しんでいる毒親育ちに
「前を見よう」と声をかけた結果、
かけられた言葉です。

私のこの話題も、
同じような言葉を
かけられるかもしれません。

それが怖くて、
X(旧Twitter)をやめて
noteやYouTubeに来たのです。


批判って怖いですからね。

ナイフのように突き刺さって、
抉られたような
痛みを覚えますから。


まとめると、
私は自分の人生を生きるために、
X(旧Twitter)をやめた。

やめた理由は、
前に歩き出した私に
かけられるであろう
批判の声を避けたかったから。

「あなたも前向こう」と
言う気はありませんが、
そう捉える人が
X(旧Twitter)には多い気がして、
比較的平和なSNSに逃げた。

こんなところです。


長々と書きましたが、
結論、X(旧Twitter)をやめる
きっかけが欲しかっただけでした。


今回はここまでです。

最後までお付き合いいただき
ありがとうございました。


それでは、おつげー。

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