私が知りたいのは、考えを共有するのが不得手な人の気持ちだったりする

インターネットを調べれば、大抵のことは分かる。
けど、当然のことながらそもそも広く気持ちを伝えたい人の意思や考えは入ってくるけど、あんまり思いを共有したくないなーって人の気持ちは伝わってこない状況でもあるよね。

バイアスがかかっている。
結局、インターネット、SNS、書籍や論文に載っているものの根底にあるのは、人の「伝えたい」「知らしめたい」という意志で、それが弱い人の思いは、こちらには届かない、届いてこない(もちろん、セルフケアの本やブログなどて、そういう人の存在は認識している)。

そんなことは、この世界ではあったりまえのことだということは分かる。けど、私が知りたい、繋がりたいなと思うのは、例えばそんなか細いロウソクの火のような、けど確かにそこにある意志(人)だったりする。

ソーシャルネットワークサービスや、それが特化して動画共有サイト全盛となった今は、何かを能動的に伝えられ発信できる人がもてはやされ、価値があるとみなされている。私もそれを否定する気は無い。
けれど、私もそうだけど、内向的で自分の大切なものを壊れないように傷つかないようにして、外からの衝撃から守るように生きてる人にとっては、この時代のこんな状況は、まるで自分という存在を否定されているかのように思っちゃうんじゃなかろうか。

頑張って長々とここまで書いてきた。現実社会で上手くいかなくって、悲しいかなSNSでも(勝手に)上手くいってない人がいたら、同じ様に思ってるニンゲンはここにいるぞと、伝わると良いなと思うのである。


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