きみは短歌だった

【選び取る①】 産むことと死ぬこと生きることぜんぶ眩しい回転寿司かもしれず

あ、

れ、

そうだ、

わたしはもう妊婦なんだった

と、回転寿司屋のカウンター席に座ってから気がついた。

生魚、食べてもいいんだっけ。

制御された皿がうつくしく目の前を通り過ぎてゆく。皿は全て正円だった。結局、穴子と卵と炙りサーモンの皿を取る。炙ってあればセーフかもしれない。とりあえず、わたしはそういう判断をした。あとで確認をする。

産婦人科で行われた超音波検査を見るに、わたしの体内で確かに何かが明滅していて、それはわたしのものではない心臓の動きだということだった。1分間に150回の明滅。早い。わたしの心臓ではない。つまり今、わたしの体内には自分のと他人のとふたつの心臓がある。他人?

いつから身籠っていたのだろう。昨日までは何の意識もなく生活していて、一昨日なんか会社の飲み会でお酒も飲んだのに、そうだよ、ちょっとちょっと、おい、飲んじゃって大丈夫だったんだろうか、わたしじゃない方のできたての心臓は。

植物はひっそりと萎れていくし、動物も静かに歳をとる。まるで何も変わらないみたいにじんわりと変化してゆく。けれどもわたしは、40分前から妊婦になった。医者が認定し、わたしはそれを聞いた。聞かなかったことにはできない。

来年あたり授かるといいねと夫と話していたこと、40分前の医者の認定、先週部長からシンガポールへの異動を打診されたこと(これは栄転を装った「肩たたき」あるいは「粛清」であると先輩に言われたこと)、小学生のころに考えた子供につけたい名前(ルル、エリカ)、明後日から父が検査入院すること、気がつけば、わたしの前には次々と皿が積まれていた。取った皿には責任を持たなくてはならない。食べて、そして支払う必要がある。

最近の回転寿司屋にはテーブル席もあって、ポテトもプリンも公平にレーンを回っている。子連れの客も少なくなくて、幼い子らはジュースを飲みながらツナコーン軍艦を食べている。大丈夫。落ち着いて。ここは回転寿司、片っ端から皿を取らなくてもいいの。回っていないものは注文できるか確かめてみて。注文が混んでいることもある。仕入れていないネタだった。回ってこないものは取れない。そんなときのお茶だ。粉を入れて、湯を注げばいい。

わたしは、幸せになる皿の取り方を考えつづけようと思う。

わたしが幸せになるために。生まれてくるあたらしい人間を幸せにするために。


◇短歌◇
産むことと死ぬこと生きることぜんぶ眩しい回転寿司かもしれず
/柴田葵

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