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【私の音語り】1980年12月8日

中学生時代の私は、ある意味激動期でありました。
父の病(すい臓がん)が発覚し、1年の闘病ののちに亡くなりました。それまで漠然と高校に進んで大学に進学して・・・と思っていたのが、経済的に進学が難しくなり、自分がどんな風に生きていけばいいのかわからなくなってしまったのです。

そんな中、中学3年の時の担任の先生が熱心に指導してくださり、勉強が手に付かなかった私を励ましてくださったおかげで、無事、高校に進学することができました。

で、英語教師だった先生は、大のThe BeatlesとCarpentersのファン。毎週発行していた学級新聞にも自分の好きなアーティストの歌詞を書いて載せていました。
当時はまだワープロも普及していなくて、学校での印刷物は手書き原稿を謄写版印刷機にかけて印刷していた時代。今思うとすごい手間だったなと感じます。

そして受験が年明けに迫ってきた12月。そのニュースは普段音楽やRockに興味のない人にも衝撃を持って伝えられた事件でした。
「ジョン・レノン射殺」
The Beatlesが本当の意味で終わった瞬間でした。日本時間の朝のニュースで報道されました。Beatlesファンは朝から暗く沈んでいたのではないでしょうか。

その日に私のクラスでも英語の授業がありました。
しかし、その日は特別に授業を取りやめて、ジョンの死を悼むため、The Beatlesの曲、そしてJohn Lennonの曲を先生の手持ちのカセットテープで流してくださいました。
The Beatlesの曲はすでに当時には音楽の教科書にも載っていたので、「yesterday」などは皆で一緒に歌ったりしていました。
そして、この授業がきっかけでThe Beatlesの楽曲をすべて聴いてみよう、という気持ちになりました。そして最初に買ったのが「Let it be」のアルバムでした。

その後、高校に進学してからお金を貯めて「John Lennon correction」を買い、「Jone Lennon BOX」を買いしたのでJoneの全アルバムをレコードで持っています。

そして私たちの中学卒業と同時に先生も寿退職されました。
5月は新婚旅行に行く先生夫妻を伊丹空港まで見送りに行きました。
そして翌年2月、胃がんのために先生は28歳の若さで亡くなりました。
岸和田城にほど近いご主人の実家から送り出されるのを授業を中抜けして参列しました。その日の朝は寒かったけれどすっきりと青空の広がった日でした。

そんな訳でJohnが亡くなる少し前にリリースされた「(Just Like) Starting Over」


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