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強制されて子どもは変わりますか?

おはようございます、今日は曇りで霧がかった朝でしたが、これはこれで心が落ち着く感じがしてよかったやうたです。

さて、今日は主に生徒指導についてなんですが、強制した指導って意味あるのかなあって言う話をします。

たぶん、どの学校でもあると思うんですけど、ピアスを開けたり、髪の毛を染めたりする子どもいますよね。特に休校期間が長かったので、その間にって言う子は多いんじゃないでしょうか。

そもそも、これらの行動って、問題行動なのかって言う問題もあります。タバコとかお酒とかだったら、法律で禁止されているから指導しやすいんでしょうけど、ピアス開けたり、髪の毛染めたりって、法律上なんの問題もない。

学校独自のルールの中で、それが決められているってことです。中には、それらを禁止していない学校だってある。だから、禁止する理由づけと言うか、根拠を説明するのが難しい。僕の学校では、「面接試験の時に不利になるかもしれないから」「世間一般の常識からいうと年配の人に対する受けがよくないから」と言う理由で禁止しています。

いろいろと反論出来そうな理由ですよね。そもそも面接受ける気ないって言われたらそれまでだし、別に不利になっていいもんって開き直られても無理だし、いや面接の時はちゃんとしていくわって言われても詰みです(笑)

でも、学校の方針は変わらず「それらの行動は絶対に禁止!」を貫きます。ルールだからと言う理由で、子どもたちの反論が届く余地はありません。

特に、反省文をすぐに書かせる指導にも問題があります。また別の機会に記事を書こうと思いますが、「反省させると犯罪者になります」という本の中では、すぐに反省させることは子どもの心情を押さえつけることになり、本質的な問題をその子の将来に先送りしているだけだと述べられています。

先日、驚いたのは反抗的な反省文を書いてきた生徒に対して、全部消させてから生徒指導の教員が言った言葉を写させたそうです。。。わからないでもないんですよ。指導に従わなかったら腹が立つのも分かりますし、言うこと聞かせたくなるのもわかるんです。

でも、対話して、折り合いをつけていくのを放棄するのは違うでしょう。大人じゃない。

無知な大人は、子どもの将来を壊しかねないって言うことを、どれだけの教員が自覚してしているんでしょうかね。

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