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内なる情熱と作られた熱狂

アイドルグループ?

小学生の子供が口ずさむ曲がある。YouTubeをみながら曲の振り付けを覚えて踊っている。

どうやら、仲の良い友達の影響みたいだ。あるいは学校のクラスで話題になっているようだ。

なにやら、その曲を歌っているグループは一般応募の中から選抜して、アイドルグループをプロデュースするテレビ番組の企画らしい。子供たちに教えてもらった。

朝のワイドショー番組の企画なので、全く知らなかった。Twitterのトレンドに上がってくる「文字」と子供の話す「それ」が一致するのを知ったけど、チェックすることもなかった。

そのグループが生放送のテレビ番組で歌うらしい、というので映像を見せてもらったけど、特別感じるものはなかった。


作られた熱狂

番組出演者の反応や、ファンと言われる人の反応、子供の反応を見ていて気づいたのは、「これは作られた熱狂」だな、という部分だ。

人が何を好きになっても、何に夢中になっても良いと思う。

むしろ熱狂できる対象があるのは素晴らしいことだ。


その熱狂が個々の内側から生まれたものか、誰かに作られたものか、は違う。

そのグループの楽曲を聞いても、振り付けを見ていても、私個人は何も感じるものがなかった。


戦略による熱狂

しかし、そのグループが好きと語る大人は、かわいい、きれい、頑張ってる姿を見て感動する、などなどのコメントをする。

視覚情報や物語で訴えかける戦術ということなのだろうか?

私は知らないのだけど、プロデューサーとのやり取りや、練習の風景なども放送されていたのだろう。

上手くいかない、できない、つらい、みたいな挫折に近い場面と、そこから「努力」してなにかを獲得して、プロデューサーに「認めてもらって」みたいな一連の物語を楽曲よりも「先」に見せて、「共感」を得て、人気を集める。そういう作戦なのかな、と感じ取った。

過去のパターンでは、楽曲がリリースされるまではできるだけ隠して、秘密にして、期待値を高めて、リリース後に「舞台裏」みたいな苦労話の物語が共有された。

このグループのパターンは逆なんだな、と思った。


共感が産んだもの

そういう物語の共有が一切行われないまま、ほぼ情報なしで、そのグループの楽曲を見た感想として、何も感じない、だった。


子供の方は、共感させられた人たちによって共感させられた、という現代的な熱狂の仕方なのだろう。

あるいは、「周りと同じものに熱狂しないと仲間意識が薄れる」みたいなところもあると思う。

小学生にも伝わる「わかりやすさ」が、熱狂を作るには必要なのかもしれない。

世の中が難しくなっていっているから、人々は「簡単なもの」「わかりやすいもの」が好きになるのかもしれない。


難しいものをなんとかして理解したい、私はそう思って生きている。

だから「わかりやすいもの」には興味が向かないのだろう。

まあ、難しいものも紐解いていくと正体はシンプルである場合が多いのだけど。。。


誰かに作られるのではなく内なる熱狂に気づけ

そうやって作られた「わかりやすい、作られた熱狂」は残念ながら、移り変わっていく。人々の熱は冷めやすい。

それでもコアなファンによってグループは支えられることだろう。

そして、熱狂を作る側は、次のわかりやすさを作り出して世の中に出していくことだろう。


我が娘たちは「作られた熱狂」ではなく、「内側から生まれる情熱」を大切にしてもらえたらな、と思う。

そっちの熱はなかなか冷めない。消えたと思ってもまた燃え上がる。何度でも。

その熱は自分の中に作るのではなく、燃えている物を見つける感覚だ。

作られたものに夢中になってる間には気づかない。自分の内側から燃えているものに気づくには、多くの種類の人とのやりとりが必要だろう。

作られた熱狂に夢中になっている者同士ではなく、作られた熱狂に動かされていない人との会話で気づくと思う。

学校みたいな均質化された環境では難しいのかもしれない。


いつか気づくと思う。

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