ただの落書きになりそうだったメモ。「自分自身は関係性の中にある」
ノート術とかメモ術の類が大好きで、目にしては試してみている。
最近出会ったノート術について書いたのが数日前。
「とにかく書け」
「1日に1冊は書け」
みたいな、結構マッチョなノート術で、もちろん私は1日に1冊書けていない。。。
3〜4ページくらいだろうか。
お世辞にも使いこなしているとは言えない感じだけど、「書く」効用みたいなものは感じている。
思考を頭から取り出すので、頭の中がクリアになっていく。
脳と手がリンクするような形で、文字にしてみて自分の考えに気づく。
覚えておかなくていいので、気持ちが楽。
などなど。
しかし、大変重要な欠陥が私自身にあるのを思い出した。
「書いた」事実を忘れるし、「書いた内容」も忘れるのだ。。。
なので、「書きまくる」というマッチョなノート術に私専用のカスタマイズを加えないといけない。
書いたメモは翌日に見返す。週末に見返す。
これを習慣化しておかないと、よろしくない。
せっかくのメモがただの落書きになりかねない。
そんな発見があった日曜日の朝、さっそくノートを見返したら、「深堀して考えたくなるメモ」があった。
それがこれ、
自分自身とは関係性の中に発見される。
一人になって、引きこもって、じっとしていても見つからない。
どうしても、人との関係構築が難しいのなら、土や植物と関係を持ったり、モノと関係を深めるといい。
そこに自分自身が現れる。
たぶん、誰かのツイートを見ていて気づいたメモだったと思う。
詳細までを思い出せない(その詳細をメモしないとダメなのか???)。
ただ、まあ、書いているメモは「そうだよなあ」と、思う。
自分自身を見つめるとか、自分を知るっていう時は「瞑想」が選択肢として挙がる。
瞑想の難しさは「自分を客観視する存在と自分との関係性を構築する」点にあると思っている。
なので、「自分を客観視する存在」と出会えなければ瞑想中は「ひとりぼっち」だ。
独りぼっちでは自分自身を見つけられない。
それだったら、誰かとの関係性の中の方が発見しやすい。
もしも、人との関係が苦手だったら(私自身も得意な方ではない)、土や植物と関係を持つといい。
花を植える
野菜を育てる
木の剪定をする
雑草を抜く
土を耕す
なんでもいい。
その中で自分自身に気づくだろう。
そういうメモなのだけど、「自分自身?」とか「関係性?」の部分はもうちょっと考えていかないとかな、と思っている。
こんな未完成の、荒削りのメモでいいわけだし、とにかく書いておいて後で見直すスタイルでいいのだ、と自分に言い聞かせる。
後で読み返して意味が伝わらなくてもいい。
その意味を考えるのも、メモの楽しみの1つになると思う。
とにかく書く。
それを後で読む。
そんなふうにメモを楽しもうと思う。
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