高齢者、選挙、人口問題

「なんだかうまく歩けないんだわ。家族が見ていて危なっかっしいって。」

「そうですか。少し歩くの見せてもらえますか?」

彼は立ち上がろうにもお尻が上がらない。「あれ?おかしいな。」

勢いをつけて2度3度と気合を入れて立とうとする。

次のタイミングでようやく椅子からお尻が上がった。

立ち上がったと思ったら、次の瞬間尻餅をつくように椅子に座り込んだ。

「おかしいな、調子悪いかな。」

彼はボソッと声に出した。

この場面を見ただけで、「これがこの時初めて起きた現象ではない」ことを知る。

彼は、歩くのが危なっかしいどころか、立つのもままならない。

ハイハイを卒業しようとしている赤子なら、何も心配しない。

けれど、彼は赤子じゃない。

一度尻餅をつけば、あるいは立った後にバランスを崩して倒れたら、骨折をしてしまう年齢だ。

そう、年齢で危険率が測れるのだ、ある程度は。年齢の時点で黄色信号なのに実際にフラフラしている。フラフラしているだけでなく、立ち上がれていない。

家族が心配するわけだ。

私は彼に伝えた。

「何か立ったり歩いたりするのを補助する道具があったほうがいいのではないですか?」

これは、彼の家族から頼まれていたことだった。家族が言っても聞かないから、私の口から厳しく言って欲しい、と言われていた。

「え〜?どんな道具だよ?」

「歩行器とか、両手に杖とか、押し車とか、どうしてもフラつくなら車椅子とかですかね。現時点では危なさの方が優っているのでね。」

それを彼に伝えたら、あっという間に嫌そうな顔に変化した。

視線を逸らし、フンと息を吐いた。

家族から何度も言われた言葉だったのだろう。しかし、一般人の家族から見ても、専門的な学習をしてきた私の目から見ても、結論は同じだった。

こんな時、専門的な学習に意味があるのだろうか?と自分を卑下するような感覚になる。専門家ってなんのためにいるんだ?専門家じゃなくても十分わかるじゃないか。「専門家」はただの看板だ。ただ、その専門的な活動をするためには看板がいる。お茶の先生みたいなものか。看板を取ると弟子を取って教えてよし、みたいな。でも、その看板も金で買うみたいなものだ。やれやれ。

そんな風に思っていたら、彼はなんともユーモアのある返答をした。

「そんなの年寄りが使うやつじゃねえか。嫌だね。」

おいおいおいおい。自分は年寄りじゃないと思っているのか?

十分年寄りだよ。まあいい。

彼の望み通り、杖も歩行器も使わないで、歩いてみることにした。体験すれば少しは考えが変わるはず。いや、日頃から体験しているはずなのだけどさ。

さっきとほとんど変わらず、勢いをつけて何度目かで立ち上がる。立ち上がった後、そばにいた私が体を支えようとすると、「いいから、いいから。大丈夫だってば。」と拒絶する。

私には、数秒後の未来が見えた。

私は超能力者ではない。

けれど、見えた。彼は転ぶ。

私の前で転ばせることはあってはならない。

私は、私の持てる知識と経験を総動員して、「転倒による怪我を起こさない」でいられるポジショニングをとった。私は、怪我をさせたことがない。

「じゃあ、その向かいのベッドまで行ってみましょうか」

「いいよ〜」

彼は倒れかけた。私が抱き止めて、衝撃ゼロで着地させた。

「おかしいな。やっぱり今日は調子が悪いかな。」

「いつもと同じでしょ。」この家族の声は彼には届かない。

衝撃ゼロで無事に着陸した後、「じゃあ立ち上がってみましょうか」と声をかけた。

「よしきた」

彼は自力で立ち上がることができなかった。私は手を出さなかった。彼は家族を呼んだ。「おい。見てねえで手ェ貸してくれ。」家族は手を貸すのだが、立ち上がれない。残念だけど、それは技術が必要なのだ。専門家の出番だ。「僕が手伝いますよ。」「悪いねえ。」のやりとりがすんで、彼は専門的な技術により立ち上がって、家族に持ってきてもらった椅子に腰掛けてもらった。

「これ、ご家族や僕がいなかったら骨折でしたね」

私は、正直な発言をした。正直すぎると嫌がられることがある。けれど、怪我の予防のためにも彼の家族のためにも、正直であることが必要だった。

「どうしますか?歩行器とかの道具を使わないで、痛い思いをしますか?骨折はかなり痛いし、寝たきりになる可能性があがりますよ。」

決まり文句みたいなセリフを言った。他の人にも何十回も行ってきたことだ。表情や口調は相手によって使い分けるくらい上手くなっていた。

「あんな年寄りくさいものをか?」

「あんた年寄りでしょ。違うっていうの?」

たまりかねた家族が一撃を加えた。

そして、コンビネーションのフィニッシュブローのような一言が炸裂した。

「この状態だったら家に帰って来られても困ります。私は何もしませんからね。私だって自分の体が心配ですから。」

彼は納得がいかないまま、道具の使用を受け入れた。

*これは実話をもとにしたフィクションです。

ちなみに、このやりとりは18年くらい前のものだ。

最近、ある動画を見て思い出した。

その人は「自分の親を介護施設に入所させたことに罪悪感を持っている」らしかった。

私は驚いた。

この時代でもまだそのように感じる人がいたのか。

入所させたいのだけど、諸々の事情のために我慢している人は、社会問題の1つとしてカウントされている。

入所を進めることができて、親も自分たちも良い方に進むケースが多い。

私の親世代は、自分たちの親を介護するのは当たり前だと思っているようだった。

その介護の経験から、私たち子供世代に介護されたくない、と感じている人は多い。私の父親もその一人のようで、将来のプランに施設入所をしっかり計画している。

先程の「彼」の話もそうだけど、ある年代までの人は「高齢者」という生態がわからなかった。

昔の高齢者自身も「高齢者」がどういう生き物かがわからなかった。

ところが、今は高齢者がどういう特性を持っていて、どんな対処法があるのか、何を選択すれば良いのか、あるいは選択できるのか、そういう経験値が溜まってきている。

だから、歳を取ったら、力が衰えてきたら、どうするのかが理解できている。

立派な高齢者が「あんなのは年寄りのものだ」とは思わないのではないだろうか?

少なくとも、これから高齢者になる人々は、高齢者がどういう道具を使うかとか、どんな発言をするかとか、理解しているし情報として持っていると思う。

というか、実は二極化が進んでいると思っていて、高齢者の特徴を知り、対処しようと思う人と、全然わからないから専門家にお任せっていう人に分かれる気がしている。

なかなか人が死なない国として、まだしばらく続く日本では高齢者率が爆増するのは統計が導き出した未来だ。超能力がなくてもわかる未来だ。

しかし、高齢者予備軍ないしは現役高齢者の政府のみなさんは対策らしい対策ができないまま時間を溶かしているように見える。

対策ができないというより、自分たちの問題を次の世代に預けてしまおうと考えているように見える。

なかなかに困った状況だ。

私のアイデアとして「選挙権に上限を設けたらどうだろう」とある人と笑いながら話していた。

18歳未満に選挙権がないのは、「その年齢の判断力を信用されていない」からだろう。

では、平均寿命間近の人たちの判断力はどうなのか?平均寿命から18引いた年を選挙権の上限にしたら選挙もある程度フェアになるのではないか?

笑い話なので本気で受け取らないでほしい。

ただ、人口構造も選挙に行く年齢層も歪なのは問題だな、と感じているだけだ。

オリンピックが終わったら今度は選挙が話題になるのだろう。

人口の問題、エネルギーの問題、いい加減、ちゃんと向き合おう。

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