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親の年齢が余計な心配を生む

「明日、夕方時間がある時に野菜を取りに来れるか?」

と、実家の父から連絡があった。

いつもは私の家まで届けてくれるのだけど、「取りに来れるか?」という言い方に引っかかった。

何かあったのだろうか?

具合でも悪いのだろうか?

そういえば近々ワクチンの接種をする予定だと聞いていたなあ。ワクチン後に調子が悪いとか??

なんだかんだ歳だしなあ。

実家に向かう途中、様々な予測をした。

病気や怪我だとしたらその程度はいかほどだろうか?

要介護状態になったら、どんなサポートができるだろうか?

兄弟は知っているのだろうか?

などなど車を運転しながらできうる限りのシミュレーションをしていた。

道路交通法上の取り決めは守りながら運転はしていたのだろうけど、向かう途中の風景とか出来事とかよく覚えていない。

反射というか習慣というか、特に考えずに運転できていたようだった。

目や耳が脳に届けた情報は「私」に届いたのか届かないのかわからないまま、オペレーションが実行される。

ある意味自動運転か?いや、全然違うな。

幸運にも、こういう運転モードの時に何かトラブルに見舞われなかった。

子供が飛び出してくるとか、高齢者が自転車でフラフラ走っているとか、煽り運転されるとか、事故に巻き込まれるとか、そういうのはないまま、何事もなく実家に到着した。

車を停めると、すぐ横の畑に父はいた。

「おう、ちょっと手伝え。」

とザルと袋を渡された。

「キュウリがいっぱい成ってな、食べきれないくらいなんだわ。」

嬉しそうにキュウリを切り取っていった。

どうやら日にちは異なるが兄にも弟にも同じように野菜を渡していたらしい。

「ナスもいるか?」
「お、食べたい。もらうもらう。」

続いてナスの収穫に取りかかる。

ついでにサニーレタスもいただいた。体にトラブルがあるようには見えない。いつも通りの父に見える。

それから立ち話をして、帰り際、

「いつもは持ってきてくれるけど、取りに来いっていうから、具合でも悪いかと思って心配したよ。」

私がそう伝えると、父はちょっと照れくさそうに笑って言った。

「おう、そうか。悪かったな。取れたてをあげたかったから呼んだんだ。時間が経つと味が落ちるからなあ。朝採って夕飯に食べるだけでも違う味になっちまうからな。1日経ってしまったらもう別モンだよ。だから時間の様子見て取りに来てもらった方が良いかと思ったんだわ。」

具合が悪かったのではなく、私たち家族への配慮だったのだ。

「それにしても、もうちょっと早く来れなかったのか?草取りの予定があって、それとぶつからないか気をもんだわ。」

マイペースの、いつもの父だった。

「それは悪かったねえ。。。」苦笑いしかなかった。

父は、自分の畑で採れない野菜は、仲間からもらえたりするそうだ。

なので、スーパーで野菜を買う機会は少ないのだそう。

それでも、時々スーパーで買うことがあるらしいのだけど、味が悪くてがっかりするらしいのだ。

「鮮度なんだろうなあ。収穫してからすぐに食べると美味いんだわ。何時に収穫するかによっても違うしな。スーパーは色々都合があるから、どうしても鮮度が落ちるのだろう、きっとな。」

産業としての農作物の限界を理解している。「まずい」と文句を言うのは簡単だ。じゃあ、どうする?の答えをも持たない人は多い。

父やその友達は、「自分の手で作る」を選択した。そうすれば鮮度は最高のものが手に入る。口にできる。

そこには手間暇の苦労や、金銭的なコストが発生する。

それと野菜の味はトレードオフなのかもしれない。

「来週にはキュウリは倒すことになりそうだな。そろそろ終わりだ。キュウリが終わったら次は白菜だな。」

冬野菜の計画ができていた。

冬の鍋のためにお裾分けを期待しよう。

家に帰って、もらったキュウリを水で洗い、そのままかじった。

「味が全然違うし、皮も柔らかいから、すぐ食ってみろ。」

父に言われたとおりにすぐ食べた。

言われたとおり、全然違った。甘いし、くさくない。キュウリが美味い。新鮮な感覚だった。テレビで畑にレポートに行った人が現地農家から収穫直後の野菜を食べさせてもらって「おいしい〜、甘い〜」と驚いているのは大袈裟でも嘘でもない。とれたては本当に違うのだ。

去年だって、その前だって、最近だってもらっていたけど、この感覚はなかったぞ。

それくらい「採れたて」は違うのだ。

味に驚いて、感謝を添えてLINEを送っておいた。

「家庭菜園の醍醐味だからな」と返事が来た。

美味い野菜が食べたいから、元気で頑張っていてほしい、そう思った。

けれど、元気でいるための野菜作りなのかもなあ、とも思った。

別れ際、体のあちこちが痛む話を聞いた。ある病気で長期間飲んでいた薬の作用かもしれない。

もうその薬の服用は終わっているのだけど、「しばらく続くでしょう」と主治医からも言われているようだった。

薬の作用の場合、私にはどうにもできない。加齢による組織の変化の場合も同様に何もできない。。

それでも、何かできることがあるかもしれないし、野菜をもらってばかりじゃなんなので、今度、父のケアをしに行こう。

母にはできなかったことなので。。

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