走る、は楽しい

まだ申し込めていないのだけど、親子で2kmを走るマラソン大会に出ようと思っています。

小学生までの子供が条件みたいで、娘が小6だからラストチャンスなのです。

中3の娘は音楽の方に一生懸命ですが、小6の娘は走るのが好きみたい。

なので、最低限2kmは走れるようにならないと話になりません。

「2kmくらい」と、甘く見ていましたが、全然走れない。

それでも、走れる体に少しずつなってきました。

続けたら誰でも少しは進歩するもんだ。
ジョギングで3kmくらいは走れるようになった。

これは正直な感想であり、自分なりの発見でもあります。

体は常に変化する。その環境の準備が必要なだけで。

そして、その環境に順応するように変化するので、走らない環境を準備したら走れない体が構築されるだけのことなんです。

で、頭の方は昔の「走れる体」のイメージのまま「変わらない」ものだから、走れない体に変わってしまった事実とのギャップに混乱するわけです。

多くの場合、そこでショックを受けたり、嫌になったりしますよね。

走り始めて、汗をよくかくようになったせいか、肌の調子がいい気がする。汗臭さの質も変化した気がする。1kmでも5分でもいいから、走るといいのよね、きっと。速歩きでもいいし。筋トレより気持ちいいかも

ちょうど良い負荷の環境で続けていけば、体はそれに合わせて変化します。

それを確認するために、変化を脳で追いかけるために、走ります。

何も体がボロボロになるまで追い込まなくたっていいんです。

1kmでも、5分でもいい。

体がどうなっているか、を確かめるために走ります。(今日はオフにしていますけど)

どんなふうに走ったら、辛くないだろう。

辛くないまま、早く走るにはどうしたらいいだろう。

痛みが出ないまま走り続けるにはどうしたらいいだろう。

そんな問いかけと、トライ&エラーを繰り返しながら、走っています。

最近の発見は、筋肉に頼った走り方は故障のもとかな、という点です。

走るのだから筋肉は使うのですけど、なんというか、筋力を高めて走るというよりは、弾力で勝手に進む、みたいなイメージですかね。

脳であれこれ指示を出すというよりは、筋肉、腱、靭帯の弾力で走る、みたいな感覚です。

筋トレをしていた頃とは違う楽しみ、喜びが、「走る」にフォーカスすることで生まれました。

弾力、粘度、組織の滑走、にフォーカスして体を見直してみようと思います。

何かしらの理由で走るのが困難でも、早歩きとか、縄跳びとか、そういう運動でも感じ取れるのではないか?と思います。

人生何度目かのランニングブームが私に訪れています。

過去のマイブームと大きく違うのは、距離やタイムを指標にしていないことですね。

循環器、呼吸器、栄養とかにも深入りしないといけなさそうです。

形と機能。若い頃、ドツボにハマってしまった世界ですが、もう一度ハマりに行きます。

楽しんで走ります。

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