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初恋 〜太陽の向こう側〜

当時住んでいた戸塚にある自宅から、渋谷のプラネタリウムまで毎月のように通っていたのは、小学校五年生の頃だった。小中学生向けの天体観測や天文に関するプログラムがあって、宇宙になんとなく関心を寄せていたぼくは、両親に頼んで毎月通わせてもらっていた。横浜では田舎の部類に入る戸塚でさえ、どんなに目をこらしても見ることのできない星空を、国鉄と東急を乗り継いでいく大都会の真上で感じられる数十分は、なんとも言えないふしぎな時間だった。

ロビーにある様々の技術を凝らした天文解説装置たちも心を捉えてやまない。投影が始まる時間まで、太陽系の模型をボタン操作で動かしてみるのは、毎月の楽しみだった。腰ほどの高さに設置されたドーム状のガラスケースの中の内惑星、外惑星が独楽のように回転しながら、太陽の周囲を巡るのを、身をかがめ地球になりきって真横から観察する。太陽を横切るとき、火星と交差するとき、頭上の宇宙で実際に進行している物理現象に想いを巡らせ、むせかえるような恍惚に包まれる。宇宙空間は限りなく広く、あまりにも遠いけれど、今まさに自分のものになったような気にさせてくれた。


十二月だった。

投影の時間まで、いつものように太陽系を回転させていたとき、ふとガラスケースの向こう側から視線を感じた。

 「毎月来てるんだ」

ケースの向こう側から初めて聞く女の子の声。そして生涯忘れないこの声。透き通るような声が指向している先には、ぼくしかいない。ロビーは薄暗くて、館内の明かりは彼女の背側だったから、はっきりとは分からないが、肩にかかるか、かからないか位の髪型からのぞく表情は笑顔ではないけれど無表情というよりはむしろ穏やか。生成りの目の細かなニットの胸のわずかのふくらみが示しているのは、たぶん僕と同じくらいの年齢ということなのだろうけど、当時のぼくにはそんなことは想像もできなかった。学校のクラスにはいないようなタイプの女の子。

 「いつもこれ見てるね」

ぼくのことを誰かが見ているとは思っていなかったから驚いた。学校でもすこしは女子を意識する年齢だったけどなんと声を返していいのか分からずに、ただ呆けたように女の子の顔をながめていた。

 「私はね。アカバネから来たの。君はどこから」

大人びているようでいて、こどもみたいな声で女の子は続けた。小五のぼくは赤羽がどこにあるのかさえ知らず、答えに戸惑っていた。このときのぼくはどんな顔をしていたんだろう。今のきみに聞いてみたいけど、それはもうできないこと。

一度ボタンを押してしまえばおそらく一分ほどは自動的に回り続ける惑星たちが、公転を止めた。地球の地軸の傾きからするとぼくは冬の位置にいた。ケースの向こう側にいる女の子は、だから夏にいる。公転には多少の作動音が生じる。回転が止まるとロビーに静けさが戻る。ぼくはようやく声を出すことができた。

 「ぼくは横浜から。アカバネって東京?遠いのかな」

静寂のロビーに響くぼくの小さな声は、まだ声変わりもしていない少年の声。惑星たちを眺めていたそのままの姿勢でか細く問いかけた。宇宙空間は音を媒介する大気がないからまったくの静寂だそうだけど、ぼくが言葉を発した後は、この世のすべての音の波が消えてしまったような気がした。

 「赤羽は東京。遠くはないよ。横浜なんてずいぶん遠くから来てるんだね」

 「横浜も遠くないよ。急行なら三十分くらい。でもぼくの家は横浜駅から乗り換えてまだ十分ちょっとかかる。やっぱり遠いかな」

彼女の髪が一瞬、風に揺れたような気がした。生まれて初めて、顔が作り出す表情がどれだけ人にものを伝えるのかを知った。言葉を交わし合うと彼女の表情が少しずつほどけて、笑顔といっても差し支えない瞳を見つけたとき、ぼくの胸の鼓動が耳の先まで伝わってきたことは今でもいつだって思い出すことができる。ガラスの半球の向こう側の表情を思い出すとき、この気持ちを何というのか、初めて知ったのだと思っている。
 
今でもこんなに鮮やかに思い出すことができるのは、何度も何度も、この日のこの時のことを思い返し反芻して、記憶の網膜にその光景を、記憶の鼓膜にその音の震えを焼き付けてきたから。この時の僕は決して言葉では了知していなかったけれど、心の海に投げ入れた小さな石が、ゆっくりと漆黒の深海に達して、音もなく海底の砂を巻き上げてその沈潜を止めるように、静かに彼女への気持ちを受け入れていた。

そのあと、ぼくたちは二人で並んで星々の投影を眺めた。誰かに見られているような気がして、とても恥ずかしくて、投影の内容は少しも覚えていない。投影の後、最上階のプラネタリウムから階段を使って地上階に下り、手を振って別れた。彼女は次の回からはもう来なくなった。だからこの日が彼女と言葉を交わした最初で最後の日になった。

ぼくは駅に向かい、自動券売機のぱかぱかいう蓋を開けて「こども」の切符を買って、そして渋谷駅から東横線に乗り、横浜駅で国鉄に乗り継いで戸塚の自宅に帰った。顔から上はふわりと熱を持っていた。出会いの記憶を取り出しては眺め、不思議な気持ちを覚えていた。彼女の姿と声は、その後もずっと胸の内から消えることはなかった。そういえばぼくは太陽の向こう側にいた少女の名前さえ聞いていなかった。


今ではとうの昔にプラネタリウムはなくなってしまい、渋谷の街は行く度にその姿を変貌させている。国鉄はJRにその名を変え戸塚と渋谷は乗り換えなくても行けるようになった。(もっと言えば赤羽と戸塚だって乗り換えなくても行けるようになった)

年に何回かは仕事で渋谷を訪れることもある。その度に若干道に迷いながら、プラネタリウムのあったあたりにちらっと視線を投げかけて、少年時代のぼくとあの少女があそこで出会ったことのふしぎさを思い出すことにしている。太陽系を挟んだ小さな恋のことを。

 









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