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初恋 〜二番線の風〜

その日曜日の朝の空気は、吸い込むたびに初夏のようでいてまだ春のような、どちらつかずの思いを想起させた。季節の名前は二十四もあるのは少し多いかなと思うけど、四つではいかにも少なすぎる。そんな名付けがたい日が多いのもこの月の有り様で、十二歳のぼくは五月とはこういう月だと記憶した。母親が朝食を片付けながらカセットテープで聴いているツィゴイネルワイゼンは、狭くて昔ながらの決して明るくはない居間の雰囲気と一対で心の中に刻まれていて、この曲を聴けば少年時代の日曜の朝に戻る。音楽もまた時を越えてどこかへ行くためのひとつの方途だ。

朝食の後は、普段学校に行くよりも早く家を出る。家を出てから渋谷までの道のりは小学校六年生のぼくにとって、自分ひとりになれるとても大事な時間になっていた。

自宅から戸塚駅までは幾通りもの道があるけれど、どのコースもひと山越えないと駅にはたどり着けない。戸塚に限らず横浜は坂道が多くて苦労する街ではあるが、たいていの丘の頂上にはある程度眺望がきく場所があり、気持ちよく遠くまで見渡すことができる。いつかどこか知らないところへ行ってやろうという気分はこんな経験から生まれたのかもしれない。

日曜の朝だから行き交う人は少ないが、なるべく人通りの少ない道を選んで歩いた。石ころをけとばしながら坂道を下る。なるべく長く石を蹴り続けて、坂道の底まで運べるかどうかで、今日一日の出来事を占ってみるのがいつものやり方だった。坂道を小石とともに無事下り切れれば吉。そんな遊びだ。そして小石を蹴とばしながら、ぼくはあの冬にプラネタリウムで出会った女の子のことを思い出していた。あれから投影会の度に彼女の姿を探してみるけれど、一度も見かけることはなかった。天体運行の模型と戯れていればまた向こうから見つけてくれるかと、普段どおりを装うけれど、誰も声をかけてはこなかった。もっとも以前のように機器の技巧にも夢中になれなくなっていた。彼女に出会う前と後では、ぼくの中の世界が変化していた。

彼女に会いたいという気持ちを、何と表現したら良いのか、当時のぼくにはわからなかった。でも毎月渋谷に行く度にその姿を思い出すということが、自分の心の中に何かを生起させているのを了解はしていた。ただそれを恋とか愛とか名付けることは、自分に対して恥ずかしくて、とてもそういう解釈はできないでいた。

蹴とばしていた小石はいつか道を外れて、茂みの中に消えてしまった。

記憶が少しずつ曖昧になっていくとともに、あれは本当にあったことなのかと思い始めていた。現実に起こった出来事だったのか自信が持てない日もあった。それでも月に一度、渋谷を、あのプラネタリウムを訪れて、光量の少ないロビーに佇んで、動きの少ない空気の匂いを感じると、あのときの出会いを確かに思い出すことができる。彼女の姿かたち、着ていた洋服、そしてその声、言葉にしたすべてを、この空気の中に身を置けば頭の中で再生できる。彼女は確かにそこにいた。



戸塚駅の二番線に電車が滑り込んでくる。初夏の香りと、駅の下を流れる柏尾川の暖まった空気を巻き上げながら。季節はこうやって風に乗ってその名前を変えていく。夏も近い。東海道線のオレンジと深緑色の車両がホームに停止すると、圧縮空気の音とともにドアが開く。車内に足を進めてドアが閉まれば、日常とは違う、小さいけれど少年にとっての旅の始まり。初めて生まれた恋する心と、それが少しずつ消えてゆこうとしていることに、まだ気付けずにいた十二歳の五月のこと。







↓この作品の前編です。よろしければお読み頂けると。



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