リルケの聖書詩から
このしばらく、リルケ(Rainer Maria Rilke 1875-1926)の全集を図書館から借り出して読んでいた。彌生書房刊(昭和48年)で全三巻と思われるが、今回初めて知って驚いたのがリルケの残した詩作品の膨大な量だった。(翻訳は高安国世、富士川英郎、山崎栄治、矢内原伊作四氏による。)
勿論、彼の有名な作品の系列は文庫本や、手に取りやすい他の作品集に収められているのでこれまで多くの読者の目に触れてきた訳だが、リルケの詩はそれだけではなかった。彼が取り上げたテーマは広範で、ギリシア神話や聖書、中世ヨーロッパの錬金術なども含まれていた。
私が今回注目したのは、特に彼が聖書に取材した詩を相当量書いている事で、それも一般に見逃されがちな細かな場面に焦点をあてている。
ここでひとつ例を取ってみる。少し長い詩だが、以下に「アブサロムの離叛」を載せてみたい。
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アブサロムの離叛は、旧約サムエル後記の13~18章辺りに登場する。以下に要約する内容はこれらの聖書箇所にそのまま記述が載っているので、ぜひ参照してみてほしい。
(以下括弧内に記す章節の区分は全て聖書新改訳第三版(福音派の訳出)によるので、よりポピュラーな新共同訳の区分表記と多少ずれが出るかもしれない。)
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ダビデ王の息子のひとりアブサロムが、ある時イスラエル民衆の心が父ダビデから自分になびいてゆくように数年かけて周到に立ち回った。(サムエル後記15:5~6参照)その後彼は父ダビデに対して謀叛(クーデター)を起こす。彼はエルサレム近郊のヘブロンで王になったと全イスラエルに宣言し(同書15:10)蜂起した。ヘブロンは若き日のダビデがエルサレムに遷都し王位に就く前、王として七年半統治した由緒ある街だった。(同書2:11)
アブサロムはこの時、ダビデの有力な側近(アヒトフェル)をも味方につけた上で、父に対し蜂起した事になる(15:12)。これを知ったダビデ王はアブサロムを怖れてエルサレムからの逃亡を決行する(15:14)のだが、この後に複雑な確執や軋轢を経て(同書17~18章に詳しい)、アブサロムは勢力を弱体化させてゆく。やがて不慮の事故に遭遇したアブサロムは樫の木に首を架けてしまい、宙吊りとなって身動きが取れなくなってしまう。(18:9)
その時、長くダビデの側近を勤めていた有能な将軍ヨアブが、ダビデの命令を無視してアブサロムの心臓を刺して殺め、ここで彼は絶命した。(18:14)
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サムエル記はこの一連の出来事に多くの頁を割いているものの、登場人物の心理状態を詳しく描写していない。したがって幾つかの疑問も出てくる訳だが、ダビデは息子アブサロムをなぜこうまで怖れたのだろうか、と云うのもある。
ダビデは、ある時に一人の女性が入浴する姿を見て情欲を感じ、彼女を呼び寄せて寝る(11:1~4) 。彼女の名をバテシェバと云うが、夫を持つ女であった。また、彼女の夫ウリヤがヒッタイト(またはヘテ)人だったために、彼女自身もそうだった(詰まりユダヤ人でなかった)可能性が大きい。(そうでない場合聖書はそれを明記する。)
そうしてバテシェバとの「不倫」の末に生まれたのが、後にダビデの王位を継承しユダ国王となるソロモンだったのだが、考えればアブサロムとソロモンは「異母兄弟」の関係である。
神の啓示によって、ダビデの王座はアブサロムではなくバテシェバの子ソロモンに移る事があらかじめ決まっていた。それがアブサロムを父に対する謀叛に駆り立てたのかもしれない。また、そうであれば王権の継承を異母兄弟(それも年下)のソロモンに奪われた事への嫉妬と「腹いせ」が謀叛の根本動機という話になってくる。つまり、彼の抱いた劣等感や対抗心、名誉欲、支配欲が関係してくるのだ。
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もう一つは、当時ダビデの子供達が近親相姦の罪を犯していたのに加えて、兄弟を殺害するという事件も起こしていた。ここにもアブサロムが関わるのだが、彼のもうひとりの兄弟(つまりこれもダビデの子である)アムノンが、妹のタマルに恋情を感じ、ある時彼女を犯した(13:11~14)。アブサロムは、後にこのアムノンを殺害しているのだ(13:28~29)。
当時ダビデ王の一族はこれほどの倫理的堕落と退廃に染まっていたのだが、ダビデはそれを叱責することも罰することもせず、子供に対して曖昧な態度を取り続けていた。
何より父ダビデ自身が不倫によって子(ソロモン)を産んでいたために、その弱みを抱えたうえで子供達を強く叱責する事が出来ない状態であったのだ。…
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リルケの「アブサロムの離叛」は、こうしたダビデ一族の愛欲と情念の泥沼劇に焦点をあてず、非常な美男子だった(14:25)アブサロムの姿をオブラートに包んで、その死までを抑制した筆致で描いている。聖書に記述されていない虚構の要素も多い。アブサロムのような人物を美化した描出にリルケはどのような意味を込めたのだろう。父ダビデの側女(妾)だった女たちと、アヒトフェルの助言で寝る(16:21~22)場面から書き始めているのもなにか興味深い。
いずれにしてもリルケはサムエル記を深く読み込んでいた事が分かるし、それだけでなく、聖書の他の書にも精通していた。「エステル記」や「列王記」(エリヤの箇所)に基づいた詩も全集には収められていた。
私としては旧約聖書ばかりを取り上げているのが興味深い。リルケは母方からユダヤ人の血を引いている。その事も関係があるのだろうか。