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書く人はシャイじゃなきゃいけない

本物を見るのは大事だと思う。先日あるイベントに参加してキングコングの西野さんをはじめて見ることができた。この人のことを真似したい、って久しぶりに思えた。


会社でイベントがあった。それは親子の会社見学をするイベントで私はとあるブースの案内役に選ばれた。


私は会社では「控えめ」「大人しい」というキャラであり少し変わったところだと「何を考えているのかわからない」「一歩いつもひいてる」と思われているような人柄で、実はそのことに少し誇らしい気持ちも持っている。


それは「文章を書く人はシャイじゃなきゃいけない」という強い思いこみによるものだ。これまで読んできた本の多くの作者はたいがい「自分はひと付き合いが苦手」とか「言いたいことが上手く言葉にできなくて困る」と語っていて、いつしかそれは「文章を書く才能がある人はシャイでなければならない」という思いこみになっていった。


書くことが職業になればいいのに、と夢見ている私にとって「シャイ」と思われていることは「文章を書く才能がある」ということの裏づけであり、だからずっとそのキャラを演じ続けている。


ただ実際にはそうでない一面もある。誰にも言わないが実はプレゼンなど人前で話すことが好きだし、できれば多少の冗談などをまじえて笑いもとりたい。そういう自分をイメージすることも多い。だが大抵は夢想で消えていく。


そんな中での案内役。私には二つの選択肢があった。これまでの会社のキャラを守るか、いつもの夢想を現実にするか。


子供たちの声がし始める。いつもは同僚のお父さんも今日は父親の顔でとても楽しそうだ。良い思い出となる日にしてあげたい。そうこうしているうちに開場となった。そのとき私は西野さんの姿を思い出していた。

(私は、ああいう風になりたいのだ)


「みんなぁー、こっちだよー!」


明らかにテンションを数段あげた私。両手を高くあげて子供たちを手招きする。声を大きく張り上げ、大声で笑い、拍手をする。時には大人をいじり、子供とハイタッチをして笑い合う。案内時間を見ながら次のブースへのつながりを円滑に行う。上手く笑いを誘えたフレーズは次の来場者にも繰り返し、そうでなかったものはやめる。そうしてあっという間にイベントは終了した。


同僚のニヤニヤした笑いを感じつつも達成感があった。気分も高揚していた。大したイベントじゃない。わずか数十人規模のものだ。それでも「出来ることからやる」が出来たことを誇らしく思う。それと同時にこんな思いも湧いてきた。


(俺はこんなところでは終わらない)


イベントの片付けをしていると、近くにいる口うるさい頑固な上司が私の方を見て言った。


「お前が一番良かったぞ」


私は飛びっきりの爽やかな笑顔を作りながら、恥ずかしげもなく親指を突き上げて最高にダサいポーズを決めた。

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