note詩人インタビュー Vol.4
≪Interview≫
note詩人
佐々木蒼馬さん
第11回びーぐるの新人
『言葉の檻のなかで吼えている獣 中島敦の詩的遍歴』(私家版)
「詩はファッションである」というnote記事を読んで以来、ずっと気になっていた佐々木蒼馬さん。今の新しいメディアに対しても話を聞いてみたい。そんな思いで突然のDMをしインタビューを依頼しました。第4回目のnote詩人インタビュー。
- 詩を書き始めることになったきっかけは何ですか?
最初の頃に書いてたのは、多分みんなやると思うんですけど感情の吐露みたいなものです。あの痛々しいやつ(笑) そこから始まってます。高校時代はバンドをやってたので、作詞みたいなことをしてました。そんなに本格的なものじゃなくて、これにメロディをつけたら面白いんじゃない? みたいなものです。
大学生になって、文学部だったんですけど、とりあえず専攻は何にしようと考えていました。最初は古典をやりたかったんですよ。中国文学。漢詩をやりたかったんですけど、でも気がついたら全然そんなのは消えちゃいました。しばらくはオカルト的なこと、魔術的なことばっかり調べてた時期もあって(笑) で、気づいたら大学2~3年になってて、やばい専攻を決めなきゃみたいな。大学の授業って小説が中心なんです。小説の読み方とか小説の読解、研究方法とか。詩に関する授業はほとんどなかったんですよね、だけど何かの折に自分で触れたんですね、詩に。それが中原中也と萩原朔太郎の詩でした。
それで中原中也と萩原朔太郎を読んで「あ、これだ」って思ったんですよね。それまで自分がやってたもの、書き殴ってたようなものの延長線にあるわけではないけれど、でも近いものがあるなと。肌に合うものがあったんです。自分が今までやってきたことの見本みたいなものがそこにあって。それで中原中也や萩原朔太郎の詩を繰り返し読んで、反芻して音読してみたいなことをやってて、自分もこういう風に書けたらいいな、と。でも、ノートに書き綴ってみてもそうはならないんですよね。何が違うんだろうとか、 ずっと思いながらやってました。
結局、専攻を決めるにあたって萩原朔太郎をやろうと決めました。 『詩の原理』っていう本を萩原朔太郎は書いてるんですけど、これを読むと詩が書けるんじゃないか、詩のことが分かるようになるんじゃないか、そう思って一生懸命読んでました。でも、さすがに当時の自分には知識がなかったから手に負えるようなものじゃなかった。 その後、卒業論文のテーマは萩原朔太郎の『猫町』にしました。それが大学生時代で、ただもう少しこの詩の世界に触れていたいな、というところで大学院に行って、大学院の修士では『詩の原理』をテーマにしてやってました。ただそこからまた関心がはずれていくんですけどね。
そこで萩原朔太郎の周辺の、ある種弟子にあたる堀辰雄に関心が向いて。そこで堀辰雄の詩を研究してみたりして、そこから堀辰雄のさらに弟子みたいな立原道造に出会って、ここだ、と思いました。萩原朔太郎よりも立原道造の方が自分にはマッチングしたんですよね。そこから立原道造の詩を読み、日記も読みました。彼の日記をね、人生の目標にしてたんですよ。彼の日記をただ読むんじゃなくて、彼の日記通りに生きようみたいな。でも、彼の日記は26歳ぐらいで終わるんで、この先どうすればいいんだろうとかありましたけどね(笑)
『季刊26時』
修士が終わって博士にいくことになって、だけど、なんか今のままではダメな気がする、みたいな思いがありました。大学時代は合唱サークルだったんですけど、合唱曲を通じて谷川俊太郎の詩とかに触れたりすることがあって、詩を好きな仲間は最初から何人かいたんですけど、そのなかの2人に、なんかやらない?って声を掛けてみたんです。
それで2011年「季刊26時」を始めたんです。お互いみんな26日生まれだったっていうことがあって、一緒に時を刻んでいきましょう、みたいな(笑) そこでようやく作品を完成させるっていうことを始めたんです。今までは詩を書いていても完成させる、というよりも、ただ作ってみた、というそれだけだったんですよね。読み手が発生するという状況で本格的に作品作りを始めたのは、このあたりです。それまでは日記っていうか、誰にも見せるわけでもない、ただ生きるのつらいよっていう、そういう感情吐露でしたからね。
季刊誌だったんで、年に4回出すっていうのは結構きついんですよ。3ヶ月ぐらいで1つ作って、それで次のテーマ何にしようみたいな。結構色々と回していかないとできないんですよね。それと、それぞれがひねくれものだったから、ただ詩が載っているだけの冊子は作りたくないみたいなところがあって、詩でしりとりをしてみたりだとか色々と企画をつくってました。一人は音楽をやっていたので、それぞれ朗読したものを切り貼りして、音楽的に構成して効果音みたいなものが入っている朗読音源みたいなものを作ってみたりとか。あと詩と一緒に紙面に楽譜を載せて、詩の楽譜みたいなものを作ったり、視覚詩みたいな感じにしてみたりして、すごく当時は前衛的な感じでやってました。
『プラットフォームになりたい』
そうやって色々とやってたんですけど、第5号ぐらいのところで、自分たちで詩の投稿を募る側をやってみたわけです。プラットフォームになりたかったんですよね。やっぱり既存の「現代詩手帖」とか、そういう場じゃない何か、新しい場を作りたかった。
それで詩を集めたんですよ。ただ、集めたはいいものの、今度は採用する側になるんですよね。まだ詩をはじめて2~3年のペーペーがね。そこで我々も「俺たちが選んでいいのか」みたいになったんです。やってみたはいいものの、なんか違くねえか? みたいなことになったんですよ。ただね、やってみた時はすごく売れたんです。まあ、数はたかが知れてますけど、それでも作ったものはすべて売れた。これを続けていけば、たしかにちょっと商業的なものに、趣味の範囲を超えたものにしていけるという感触はあったんですけど。でも、それを自分たちの清い心が許さなかった(笑) 自分たちがまともなものを書けていないのに、選ぶ側になって、そんなお前たちは何者なの? という感じですね。
その第5号の投稿を募ったものをきっかけにして路線的に少し違うということになって1回沈黙したんです。そのなかで一人が脱退して。それでもう一人と一緒に、これからどうしよう、となったときに、やっぱり、ちゃんと詩が書けないとダメだよね、ということがあって企画とかはやらずに、詩だけを出していこう、という風に変えていきました。
『幻・画・美』から『現・画・美』へ
- 投稿について
この頃になると、やっぱり何者かになろうということもあって投稿もやってみようということになりました。「現代詩手帖」も「ユリイカ」も出せるものには毎月全部出していこう、と言ってました。初めはわりと出してたんですけど箸にも棒にも掛からない状態で。そうしているうちに、なかなか書けない状態がきたり、お互い仕事を始めて忙しくなって、集まる機会も減っていくなかで、なんとか書き続けていて、そのなかでいいのできたなと思ったのが1回あったんです。
その頃は作品が出来たら相方に見せるっていうのが通例としてなんとなくあったんですよ。だから投稿する前に見せたんです。そしたら、おっ、いいじゃんって。もう少しこうしたらいいんじゃない、っていう助言をもらって「びーぐる」に投稿したんです。それで初めて通ったのが2015年です。
その作品は今までの自分の方向性とはちょっと違ったんですね。それがなんで違ったのかっていうと仕事を始めたからだったんです。それまではちょっと空想的なものを書いてたんですけど、それがふわふわしてたんでしょうね。 そこにある種のリアルが生活に入り込んできた。その生活が入り込んできたものを、そのまま書いてみようとしたら、ちょっと詩が引き締まったなみたいなところがあって、自分の中で手応えが見えた瞬間でもありました。
同人に言われていたのは、「お前の詩は『幻・画・美』だ」と。 詩にメッセージを込めるっていうよりは、映像を見せる、その場面を見させるみたいな詩だったわけなんですよね。 そこに「幻」が現実の「現」になっていったんです。だから書き方っていうか、言葉の使い方はそんなに変えてないんですけど、リアルを素材にすることによって、これは自分のスタイルとしては、いけるんじゃないかなと自分のスタイルが固まったところですね。
『詩を救い出す』
ちょうど「詩はファッションである」とかをnoteで書きはじめた頃なんですけど、ふと思ったんです。「文学」とか「詩」というものがすごく狭いものになっていってる、と。
文学形式の一ジャンルみたいな。でも、「詩」っていうのはもっと大きく捉えるべきなんじゃないか。ギリシャ神話とかでもミューズは詩や歌、音楽の神様ですから。そういうところからさかのぼってみても、詩というのは芸術一般とかもっと大きなものじゃないかと。 文学形式の一ジャンルじゃなくて、もっと大きく捉えていくべきで、今いるところから救い出すっていう行為をもっとしていかなければいけない、って思ったわけです。
このままでは詩は小さくなっていって、誰にも読まれないものになっていく。 専門的になりすぎるっていうか。そういうところからもっと引き上げていくっていうことをしていかないと、読まれなくなってしまう。それは、我々自身の問題でもあり責任なんじゃないか、ちゃんと読まれるようにしていくっていうことも必要なんじゃないのかなっていう気持ちがあったんですよ。
それでnoteという存在も、その辺りからかメジャーになり始めたんですが、新しいメディアとかも出てきていた時期なんです。だから詩の発表の仕方というのも、いつまでも紙の上にいるっていうことは、今後はないんじゃないかなと思ってました。例えばipadみたいなもので、言葉が浮かび上がってきたりとか、動いたりとか、点滅したりとかね。そういうところにまでいけると、なんか面白いんじゃないかなって思ったりしたんですよ。
『詩とは何だろう?』
それで今だと「メタバース詩」みたいなのがあったり、ウェブサイト上で詩が読めたりとかもできる。twitter上で同人誌を作るってこともできる。だから紙の上じゃなくてもできるんだよねっていうことがいくつも出てきてる。吟遊詩人が口承で伝えてきた口承の時代から、紙が出てきて書籍、書物の時代、それから映像の世紀になっていったみたいに、メディアが変わっていくごとに、詩がどこに載るというか、そういう変化に合わせて、書き手もいろんなメディアを変えていかなきゃいけないんじゃないのかなっていう風に考えていたのが、そのぐらいの時期なんです。
今後はこのメディアアートと詩が混ざり合っていくんだと思うんですよ。それこそメタバースで詩となると、紙で読むのとは全く違う体験が待っている。視覚的にもね。でも、その時に立ち会う問題が「詩って、なんだろう」ってことなんだと思うんです。多分そこに回帰するんだと思うんですよね。詩って喋れば詩になるじゃないですか、 まあ最低限、紙とペンですよね。 それさえあればできる。それがまたどんどん違うメディアになっていくと、レイアウトが発生したり、単純に言葉を編み出すだけのものじゃなくなっていく。デザイン性の技術力とか、メタバースとかっていう空間を作るパソコンの技術とかプログラミングの知識とか、 そういうのがないと、詩ができなくなってくる。そうなると純粋に詩の力だけじゃなくなってくるわけなんですよね。そうなった時に「詩ってなんだろう」みたいなことになっていくのだと思うんですよ。当時は自分もそういうことをやりたいな、って思ったんです。詩をアップデートするんだということで意気込んでたんですけど、でもぶち当たった問題が詩でしかできないことってなんだろうって。
だから、そこからもう自分が書きたいもの書こうみたいなものにシフトしていったんですよね。仕事も忙しくなって、あんまり色々考える時間がなくなってきたっていうのもあるんですけど。とりあえず年に4回投稿するのが精一杯みたいな。 いろんなこと考えてると書けなくなるから目の前のことからみたいなことですね。
- 古い詩は読んだ方がいいと思いますか?
読んだ方がいいですね。可能性が広がっていきますから。そういう古い詩を受けて出てくる表現っていうのがあると思いますし、やっぱり引き出しみたいなのは増えるんじゃないかな。読書量が足りないと書けないみたいなものはあると思います。たぶん、天才なら読まなくても書けると思いますけど。なんか勝手にできちゃったみたいな。でも、例えばあのランボーでさえ伝記などを読むとめっちゃくちゃ勉強してて、フランス語で書く前はラテン語で書いてますし、古典も全部読んでますからね。その上で「地獄の季節」とか出てくるわけですよね。だから、 やっぱ読まないと書けないんじゃないかなっていうところはありますね。
私の場合ですと意識的に古典を素材というかネタにする部分が多いです。今の現代詩はなんでもありで長すぎるみたいな話をよく聞きますよね。私自身の詩も長すぎる、とよく言われることがあって。でも、詩はもっと大きく捉えるべきかなと思ってますし、そこは変わってないんですよ。例えばホメロスとかあれは叙事詩ですよね。叙事詩なんだけど、今普通にあれを本で読むと小説ですよ、物語ですから。だから小説みたいな詩だろうがなんだろうか、別になんでもいいんじゃないですかっていうのがあるんです(笑) 古今東西のものを読んでみて、こういうのを書いてみたいなとか、こういうのを下敷きにしていこうとか、そうすると、オマージュみたいなものができて嬉しいみたいなところはありますね。
『誰かのためにやるとか、新しいものを作りたいという欲求より、自分が読みたいから書くってことなんです』
- 「岬のヒュペリオン」を毎週ツイッターで投稿されていますね
私は旅をよくするのですが、その地でどんな文学者がいたのか、どんなものを書いてた人がいるのか、どんな作品が生まれたのか、それは別にアニメでも、映画でも、漫画でもいいんですけど、そういう物語が生まれた地っていうところにすごく関心があるんです。
そこに生きた人たち、それは架空の人であったとしてもいいんですが、そこにはそういう人たちがいて、それを受けた上で自分がどう反応していくか、その答えとして、どういうものを提示していくのかっていうところにすごく関心があります。だから意識的にその地に行ったら、ここで何があったのか、誰がいたのか、どんな物語があったのかっていうのをリサーチするようにして、自分がどういう答えをそこから出すのかっていうのをやろうとしてる。僕の書く詩は問いで始まることが多いんですけど、それがある種、そういうものたちに対しての答えとして出してるみたい気持ちでやってるんです。
それと自分でもそういう地を発見していくっていうのもあります。どこのどういう場所でどういう物語が稼働し始めるだろうか。ただ空想的でふわふわしたものにならないように、自分が培った現実の部分を組み込んで地に足のついた話にしていきたい。
今ツイッターで、 週に1回「岬のヒュペリオン」という叙事詩を投稿してるんですけど、あれはそういうものですね。フリードリヒ・ヘルダーリンの『ヒュペーリオン』っていう作品があるんですけど、それをベースにしてます。そういうのを素材にしつつ自分が旅した地を舞台にして詩を書く。だけど一篇だけ短いのを書くのじゃなくて、連作みたいにしていくかたちをとってます。それは僕の中で物語が発生してるからなんです。
もう2年ぐらい前からはじめているんですけど、まだ完成してなくて、どうにか完成させたいと思ってます。だから無理やりツイッターで週に1回投稿すると決めて完成させていこうとしてるんですね。それはもう誰かのためにやるとか、新しいものを作りたいとかっていう欲求より自分が読みたいから書くってことなんですよ。 結局、色々と考えたりとかはするんだけれどもベースになるのは1番やりたいこと。そして、ああいうものを書きたい、こういうものを書きたいとかってあるけれども「書けたものしか書けない」これですね(笑)
- 今後、詩集の予定はありますか?
今、用意しているところです。出版社に持っていって見積もりも立ててもらっているという段階ですね。「びーぐるの新人」を頂けたところで、このきっかけを逃したら多分またずるずる出さなくなっちゃうと思ったんで、もうこの1年以内に出そう、と決めてとりあえずアクションを起こしているところですね。詩集を出すことは目標でしたから。
これまでのインタビューを聞くと紙の詩集をだすことが意外です(笑)
紙の本が好きなんですよ。だから紙で作りたいんです(笑) デジタルで持ってても満足しないんです。映画館とか行ってパンフレット買いますよね。気に入った映画だったら、感動をなんとかして持ち帰りたい、ってなった時にパンフレット買うじゃないですか。僕はやっぱり何かしら持ち帰りたい性分なんです。旅先でも、この感情を持って帰りたいってなったら旅先ならではの調度品とかそういうものをきっちり買って帰るみたいなことが結構あります。
だから詩集っていうものに新しい形っていうのはないんだろうか、そういうことはすごく模索はしてましたけど、なるべく手から出てくるものとか肌触りから出てくるものっていうのは、うん、まあ大切にしたいんです。
インタビューをした人/文章を書いた人
「大人C」
編集後記
インタビューが終わった後、お互い少し時間があるとのことでお昼を御一緒させて頂きました。「天下一品」でこってりラーメン。今度はお酒を飲みましょう。
今回で4回目のインタビュー記事となりましたが気づいたことがありました。インタビュー記事の作成自体も楽しいのですが、それは口実だったんだなと。会ってみたい詩人さんがいて、その人と会うための口実に「インタビューさせてもらえませんか?」と言っているだけなのだなと。