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三島由紀夫「禁色」

 アロハ〜。今日は読んだ本の感想。
 
 取り上げるのは三島由紀夫が1951年の発表した長編小説「禁色」。


 あらすじは
 
小説家として成功を収めながらも、生涯女性に騙され続けた男・檜俊輔は、夏のある日、伊豆半島へ片思い中の康子に会うために出かけていた。
しかしそこで彼が見たのは、非常に容姿端麗な少年・悠一と康子の姿だった。
悠一と知り合った檜は旅行後、彼から同性愛者であることを打ち明けられる。
そのときに檜はある考えを閃く。この誰もが美少年と認める悠一を利用すれば、今まで自分を欺いてきた女性達を復讐できるのではないか、と。
それから悠一は檜の駒となり、彼をこれまで騙してきた女性を夢中にさせながら、思わせぶりな態度やプライドを傷つける行為をとるなどして、復讐を果たしていく。
そんな日々の中、悠一は同性愛者が集まる喫茶店やコミュニティにも顔を出すようになる。当然、同性愛者からも絶大な人気を誇っていった悠一だったが、ある日嫉妬により、彼の母親や(檜の指示で)妻となった康子に彼が同性愛者であることを密告する手紙が届いてしまう。
家族崩壊のピンチに陥った悠一だったが、檜にかつて美人局を仕掛け、現在は悠一に夢中になっている鏑木夫人に救われる。
 その事件後、檜と出会ってから者達と縁を切っていくようになった悠一。檜も彼から別れを告げられることを予感していた。
 ある日、悠一が別れを告げるために檜の家を訪れる。共にチェスの試合を行った後、休憩すると隣の部屋へ移動した檜。なかなか戻らない檜を悠一が見にいくと、遺書と共に自殺した檜の姿があった。

 
 という感じ。
 
 三島由紀夫の作品についてよく言われることの一つに、作品の趣向によって意識的に文体を使い分けている、というものがある。
 芸術性を求める作品で使われる華美で難解な文体(「金閣寺」「豊饒の海」など)と娯楽性が高い作品でのわかりやすく簡潔な文体(「潮騒」「命売ります」など)の二つが、彼が使い分けている文体の種類だ。
 今作は前者のタイプ。とにかく日本語として華麗な表現のオンパレードに、まず読んでいて圧倒される。
 特に印象に残った表現があるので紹介したい。
 P.49で、悠一が檜に同性愛者であることを打ち明けるシーン。檜が彼の若さを感じた際の表現だ。
 
「あらゆる文体は形容詞の部分から古くなると謂われている。つまり形容詞は肉体なのである。青春なのである。悠一は形容詞そのものだとさえ俊輔は考えた」
 
という表現。読んでいるとき思わず「なんだこれ!」の言葉が飛び出した。誰が今までイケメンの若々しさと形容詞をつなげて表現しただろう。ほとんど前例がないのではないか。
 その他にも斬新な例えや比喩が出てくるが、難解なものも多く、よくわからない部分もしばしば。再読することによって理解が深められるかもわからないが、そういった文章に浸りたい気分の時には持ってこいの作品だと感じた。
 

 
 ストーリーに関して、読了し、まず感じたのは「復讐することの虚しさ」という、いかにも教訓じみたものだった。
 というのも、檜が物語を通して行う復讐は、結果的に彼に対して何にもプラスになっていないように思えるのだ。
 復讐は内容によっては、檜が悠一に男性としての魅了の圧倒的な格差を思い知らされることもあったし、被害を受けた女性達も元来の世渡りのうまさ(それが故にかつての檜を騙せた、みたいなところもある)で、酷い目に逢っても結局はうまく形勢を建て直している。
 それに最後に檜が自殺してしまうのも、悠一と関わることで、彼に対する好意を結果的に抱いてしまったことに一因があるとも捉えられる。
 そのため、内容に関しては当時先進的だった同性愛をテーマにしていることもあり(作中で単語「ゲイ」が初出の際はわざわざ注釈がつけられている点にも時代を感じる)、一筋縄でいかないような印象を受けるが、その実「復讐は何も産まない」という非常にシンプルなテーマの作品なのではないかと思えてくる。
 ただ、そこに三島由紀夫の巧みな言葉の支配と、同性愛と異性愛がないまぜになった愛憎劇が合わさることで、この作品を特別なものにしているのだと感じた。
 
 もう一点、私が感想として述べておきたいのが、三島の実体験ではないかと思えるくらいの人間・心理描写のリアルさである。
特に悠一サイドの物語で、彼とそれを取り巻く人々の描写はかなり現実的だと感じた。
 悠一においては異性に言い寄られすぎて、妻である康子に対してもかなり冷めた目線を向けている。特にp.281での悠一から康子への心情描写で
 
「家へかえれば康子の小羊のような目がじっと彼を見つめるであろう。『愛しています、愛しています』という一つおぼえのあの眼差」
 
という部分がある。
 もう、異性から媚びられることに慣れ過ぎて飽きてしまったモテ男のそれである。こんなにも現在でも共有できる感情を、言葉巧みに表現する三島の技量に改めて圧倒される。
 
 他にも、悠一が無下に扱うことによって逆にどんどん彼を追うようになってしまう男性・女性達。その姿の描き方がとても70年以上前のものとは思えない。
 
 また、悠一が誰からもチヤホヤされることによって、ハングリーな気持ちが枯渇し、無感情・無関心な性格を形作られる様も、現実的だと感じたし、読んでいて面白かった。
 

 
 みなさんは檜・悠一どちらがわに共感しますか。
 読んだことある方は感想頂けると嬉しいです。
 
 マハロ〜。
 

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